5 桜子、やんやん怒る

 それからしばらくして……。


「はい、できました!」


 ロースト・ビーフをあっさりと作った桜子は、スミレに手伝ってもらい、食卓に料理をならべていた。


「そ、そんなバカな……。しかも、すごくおいしそう……」


 手際てぎわよく料理をする桜子を台所でずっと監視していた菜々子は、がくぜんとしている。


「まずはロース肉に塩コショウをたっぷりねりこみ、薄切りにしたタマネギやニンジンがしかれた天火てんぴ(今でいうオーブン。下に七輪、上に炭を置いて加熱する鉄板製の箱)の中にお肉を入れて焼きます。その上にバターをのせて、しばらくしたらワインをかけてさらに焼き続けるんです。そして、焼き上がったお肉を薄く切り、別に作っておいたポテトやパセリをお皿に盛りつけ、ブラウンソースをかけて……ほら、できあがり♪」


 桜子は、料理を手伝うスミレに、楽しく歌うように説明しながらロースト・ビーフを作った。まるで魔法のようだった。


「ど……どうして、あなたみたいなちびっ子が西洋料理にくわしいのよ……」


「許嫁の柳一さんにおいしい料理をたくさん作ってあげたかったから、がんばって勉強しました!」


 桜子はそう言いながら、荷物を入れていた風呂敷ふろしきから、


『だんな様のほっぺたが落ちる和洋料理の作り方~新婚編』


 という本を取り出し、顔をポッと赤らめながらそう言った。どうやら、洋食だけでなく和食も作れるらしい。


(なに恥ずかしそうに腰をくねくねさせているのよ。イライラするわぁ~……)


 菜々子はそう思ったけれど、料理を大失敗した自分のかわりに晩ご飯を作ってもらったのだから、さすがに文句は言えない。しかし、こんなちびっ子がいつかは自分の義理の姉になるという事実を簡単には認められず、不機嫌そうな顔でだまりこんだ。


「そういえば、柳一は何をやっているのですか? せっかく、今日からいっしょにすごすことになった自分の許嫁が料理を作ってくれているというのに、あいさつもしないなんて……」


 柳一の話題が出て、婚約者同士の顔合わせがまだだったことに今さら気づいた、うっかり屋の仙造がそう言った。


「だんな様、わたしがお呼びして来ます」


「お願いします、スミレ。やれやれ……柳一にも困ったものですね」


 だれかと深く関わることを嫌う柳一は、中学校でいつも一人だし、家にいる時もなるべく家族と顔を合わせないように部屋からめったに出てこないのである。


 のんきそうに見える仙造も、心を閉ざしている息子のあつかいには困っているらしく、憂鬱ゆううつそうにため息をついた。


(一年ぶりに柳一さんと会える……。でも、柳一さんはまだ心を病んどるみたいや。お話するのは緊張するけれど、柳一さんを笑顔にするためにがんばるぞ~!)


 桜子は、ドキドキしながら柳一が食堂に姿を見せるのを待った。



 そして、しばらくして、無表情で冷たい雰囲気ふんいきをまとった柳一が、スミレに連れられてやって来た。


 柳一は、桜子をほんの一瞬だけチラリと見たけれど、すぐに視線をそらし、食卓の自分の席に座ろうとした。


「柳一。はるばる三重県からやって来てくれた自分の許嫁にあいさつもせずに食事をする気かい? このロースト・ビーフは桜子さんが作ってくれたのですよ。ちゃんとあいさつをして、いただきますも言いなさい」


 仙造がそう注意すると、柳一は面倒くさいのかいかにも嫌々といったそぶりで桜子のもとへ歩みよった。


 向かい合った桜子と柳一は、かなりの身長差だ。

 柳一も父親ほどではないものの、身長が五尺七寸(一七五センチ)ある。

 現代の感覚でも中学生で一七五センチは平均身長以上だけれど、当時の十五歳くらいの男の子は一五〇センチあったら平均的な大きさだった。


 つまり、柳一はこの時代の少年にしてはかなり大きかったのである。


(で、でかい……。わたしと柳一さんの身長差が……。一年前に会った時も大きかったけれど、さらに大きくなっとるやん!)


 桜子は、心の中でさけびながら、柳一を文字通り見上げた。小さな桜子には、柳一が巨人に見えてしまうのだ。


 だいたい五〇センチの身長差。

 菜々子にチビ、チビと言われてもあまり気にしなかった桜子だが、許嫁とこんなにも身長差があると、柳一さんに子供あつかいされないだろうかとさすがに心配になってくる。


 柳一は、桜子のそんな心配など知るはずもなく、小さな婚約者に軽く頭を下げた。


「花守柳一です。よろしく。……あと、いただきます」


 去年に顔を合わせているのに、まるで初対面のように他人行儀なあいさつだった。


 ものすごくあっさりとしたあいさつをすませると、柳一はこれで義務は果たしたと言わんばかりにさっさと桜子から離れて、食卓イスに座った。


 これっぽっちもわたしに興味がないのかしらと桜子は思い、心がこごえてしまいそうなほどのさびしさを感じた。


 仙造も、柳一の桜子への冷たい態度を見てまゆをしかめたけれど、それ以上は何も言わなかった。


 柳一は、注意されたことを表面上は直す。でも、他人への徹底てっていした無関心を改めることだけは絶対にない。そのことを仙造はよく知っていたのである。


「……晩ご飯にしましょうか。スミレもいっしょに食べていいですよ」


「ありがとうございます、だんな様」


 普通、奉公人は別の部屋で食べたり、時間をずらして食べたりするものだ。

 でも、妻のカスミがいなくなってすっかりさびしくなった花守家が昔みたいに少しでもにぎやかになってほしいと願う仙造は、スミレや以前ここにいたシノブを家族同然にあつかっていたのである。


 遠慮深い性格のシノブは、主人からのそんなあつかいにちょっととまどっていた様子だった。

 でも、尋常小学校を卒業したばかりで世間のことをまだよく知らないスミレは、「こういう優しいご主人もいるんだなぁ~」とあまり深く考えず、主人の家族たちと食卓をともにしていた。


「いただきます。…………お、お、お……おいしい~~~‼」


 ロースト・ビーフをひときれ食べたスミレは、ほっぺたが落ちそうなほどの幸せな味におどろき、感動の声を上げた。


「おお、たしかにこれはとても美味しい! いいお嫁さんになれそうですね、桜子さん」


 イギリス人の料理人が作った本格的なロースト・ビーフをお店で食べたことがある仙造も、桜子の料理を手ばなしでほめてくれた。


(本当だわ……。すごくおいしい。お兄様のために料理の勉強を一生懸命していたというのはでまかせではなかったみたいね)


 口にこそ出さないけれど、菜々子も心の中で感心していた。

 小学生でここまで西洋料理をきわめるのには、そうとうな努力が必要だったろう。どれだけがんばっても黒こげ料理ばかり作ってしまう菜々子は、料理の大変さが身に染みてわかっていたのである。


「みなさんが喜んでくれて、すっごくうれしいです! ……あ、あの……。柳一さんはどうですか? お……おいしいですか……?」


 桜子は、さっきからだまって食事をしている柳一に恐るおそるたずねた。


「…………ごめん。よくわからない」


「……へ? わ、わからない?」


 おいしい、普通、まずい。料理の評価はおおまかにわけたら三つしかないと思っていた桜子は、柳一の意外すぎる返答にとまどい、目をパチクリさせた。


 しかし、柳一は、それ以上は何も語らず、いちおう全部食べると、「ごちそうさま」と小さな声で言い、食堂から出て行ってしまったのである。


「り、柳一さん! 待ってください!」


 一生懸命作った料理に対して「わからない」はさすがにひどい。適当なことを言わないでほしい。

 桜子は、どうしてもちゃんとした感想を言ってもらいたくて、柳一を追いかけた。


「柳一さん!」


 廊下の途中で追いついた桜子は、柳一の背中に呼びかけた。


 その大きな背中からは、廊下の暗闇よりも黒々とした孤独の影が感じられ、桜子はゴクリと息を飲んだ。


「君の気分を害してしまったのなら、すまない。けれど……」


 柳一は冷たい声でそう言いながら、ふり返って桜子を見下ろした。


「本当に、わからないんだ。オレは……あの日以来、どんなごちそうを食べても感動できなくなってしまった。何を食べたって、何も感じないんだ」


「あの日? あの日とは、いったい……」


 そこまで言いかけて、もしかしたらカスミ叔母様が亡くなった日かも知れない、と桜子は思って口をつぐんだ。


「…………無遠慮なやつだな。君にそこまで話す義理がどこにある? 無神経にもほどがあるぞ」


 初めて感情をあらわにした柳一は、不愉快そうに桜子をにらんだ。五十センチほどの身長差がある相手に暗闇でにらまれると、さすがにこわい。


 しかし、柳一の冷たい態度にだんだん腹が立ってきている桜子は、持ち前の負けん気を発揮はっきして、


「さっきのはちょっと無神経だったかも知れません。あやまります。でも、ちゃんと聞きたいことを聞かないと、おたがいのことを理解できないじゃないですか。わたしたちは、将来は夫婦になるのですよ? 柳一さんのことをちゃんと知って、仲良くなりたいんです!」


 柳一の顔を首が痛くなりそうになりながら見上げてそう言い、キッとにらみ返した。


(うっ……。何なんだ、この子供は……?)


 いつも他人との接触せっしょくをさけていて、こういう直接的な物言いをされることに慣れていない柳一は、自分より五〇センチも小さな少女の気迫きはくにおされてしまい、目をそらした。


「ふ、夫婦だって? 笑わせるな。親同士が勝手に決めた結婚相手……しかも、君みたいなちんちくりんをオレが許嫁あつかいするとでも思っているのか? オレは人と関わるのが嫌いなんだ。一人が好きなんだよ。だから、オレのことを理解しようだなんて無駄むだな努力はやめるんだな。オレは君と仲良くする気なんてないんだ」


「ち……ちんちくりん⁉」


 ぷっつ~ん!


 ついに、桜子の堪忍袋かんにんぶくろが切れた。


 「ちんちくりん」という言葉は、桜子に言ってはいけない言葉ワースト2位だったのである。ちなみに、3位が「ざしきわらし」、1位が「一寸法師」だった。


 桜子は、ひゅーっと息を大きく吸いこむと、家中にひびくような超大声でまくしたてた。


「わたしは、柳一さんの許嫁やもん! 一生いっしょに暮らすんやから仲良くなりたいやん! 無駄な努力はやめろとか言われても、やめられやんやん!

 やめてしもたら、せっかく飛び級までして東京の女学校に入学したのに、今までのわたしのがんばりがむくわれやんやん! 婚約者にそんなさびしいことを言われたら、泣けてくるやん!

 ……でも、わたしは泣かへん! もっとさびしくて悲しいことを知っとるもん! 柳一さんを笑顔にするまでは、くじけやんもん!」


 桜子は、小さな体をふるわせながら自分の気持ちを柳一にぶつけた。興奮のあまり、我慢していた方言でしゃべってしまっている。


「や、やんやん、やんやんとうるさいヤツだな! わけのわからないことをごちゃごちゃと……」


 拒絶されているのに、ひるまずにまっすぐに向かってくる。こんな子供は苦手だ。

 柳一は、完全に調子が狂ってしまい、不快さを顔に露骨ろこつに出して「も、もういい!」と言った。


「好きにすればいい。オレは無視するから」


「あっ、待って! 逃げる気なん⁉」


 背を向けた柳一は、もう桜子が何を言ってもふり向かず、自分の部屋に逃亡してしまった。


 一年前、四日市の海岸でも柳一は逃げた。桜子は柳一に逃げられてばかりだ。……でも、故郷の家族や友人たちに応援されて、はるばる東京までやって来たのだ。東京で自分ががんばっていると信じてくれている故郷のみんなのためにも、ここでくじけるわけにはいかない。


「負けへん……。朧月夜おぼろづくよ家のお父様、お母様、杏平きょうへいお兄様。わたしは負けへんよ……!」


 桜子は、廊下の窓から差しこむ月明かりを見上げ、くじけそうになる心をはげますのだった。

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