虐待少女につき救済を

 いつからか、私は要らない子になった。三女として生まれ、必要とも感じていないらしい家族に、良く思われずに生きてきた。理由は知知りたくない。知る術も無い。


 家族は私を人間だとも思っていないのかもしれない。文字通り、玩具なのかもと。もしくは、単なる動物か。首に巻かれた鈴がそれを一層感じさせた。最も、この生活を強いられている時点で気付くべきなのかもしれないが。


 私に安住の場などない。あるのは無駄に長い時間のみ。そうしてその中で、継続的に暴力を振るわれ、身体を傷つけられ、玩具にされては窓付きの倉庫に閉じ込められる。自分にとっては、高くて覗き込むこともままならない。


 倉庫の中には食品やら農具やら、訳の分からない置物などが散らばっている。

 小さい頃こそヨタヨタと歩き回って、必死に食べ物や面白そうな物を探したり、置いてある絵本を読んで、世界の想像を膨らませていたりしたものだが、最近ではそれすら疲れてしまった。


 食事は倉庫から出た後、強引に摂らされる。疲れたのは、そんな楽しくもない食事のせいだろう。昔は楽しかったはずなのだけれど。


 それよりも、最近手が届くようになってきた窓のフチに手をかけ、必死に脱出を試みた方が遥かに益となると、思うようになった。


 脱出をしてしまえば、家族に認められることは無くなってしまうのかもしれないという、不安もあるが。


 この世界はあまりに非情であり、非道なものだと思う。もし仮に私が「死」を選べたとしても、その選択に走ることは無い。何故なら私には、まだ果てぬ生存本能が内に宿っているからだ。家族という恐怖の対象に、どうにか受け入れられようと必死に方法を模索しているのである。


 今日はまた、彼がこちらを覗き込んでいる。憎たらしいほど丸くて、冷たく温かい光を放つ。これではボロボロな身体が見えてしまうではないか。キッと彼を睨み付けてみても、何かが変わると言うことはない。


 自分に残ったのは、「何故このようなことをしているのだろう」という虚無感だけ。彼と言ったが、果たしてあれに性別があるのか、そして、生きているかというのも判らないのであるが。


 星の周りを綺麗に周回し、決して裏側を魅せることなく、我々を見つめ続ける。そんな彼を、まるで生きているかのように思う。まるで全てを見通しているような、そんな優しいようで、あまりに孤独な唯一の存在。


 そんな永遠の傍観者としての立場に自分が置かれれば、苦行としか思えないのだろう。


 私は彼を酷いと思っている。


 それでも、見ていてくれるだけでも安らぎを得られる、私にとって唯一の救済者。時折見ていて腹が立つことがあるが、友達のようだと思えば余計に安心を感じられるものである。


 とはいえ、利き手である右手を彼にかざして何かを願った所で、聞いている素振りは無いのだが。


 ため息を吐いて、その場で仰向けになる。これまた腹立たしい鈴の音が、背中に付いていた傷の痛みと共に響く。そのまま横を向くと、今度は肩に刻まれた赤色が邪魔をする。何処を向いても痛みしかない。


 私が何をしたというのだ。何処へ行こうと痛みしかない。愛して貰うことの一片も許されることは無いこの身体を、何故神様は私に授けたというのか。


 耐えようにも、悩みと痛みは増していく。その内頭が働かなくなり、眠たくなって。


 果てしない心の奥底に堕ちて行くのを、抑えることができなかった。


「助けて、誰でもいいから……」


 気を絶するその瞬間に見た彼は、私と似ている気がした。













 絶句した。


 何が起きているのか、そして、何が起きていたのか、全く理解が出来ない。同時に、左手に酷い激痛があることを悟る。


 反射で見やると、その手にはなんとガラスの破片が強く握りしめられていた。鋭く尖ったその形状は、人を貫くことも容易であろう。


 その証拠に、その先端から深い所までべっとりと、血液が塗られている。痛みの原因は、このガラスによるもので間違いは無い。


 だが、目の前の状況は未だ理解が及ばない。


 その数瞬は、時が静止しているかのようにも思えた。時が動き出したかと思えば、張り裂けそうな心がそこにはあった。紛れも無い、自分の家族が確かにそこには居た。


 辺りには錆びた鉄のような臭いが広がっている。


「おとうさん……おかあさん……」


 か細く、そして発せられる僅かな言葉を使って訪ねてみても、屍が返事をすることなど無かった。それは姉二人も同じだ。


 父親だったものは最も酷い有様で、全身の皮膚という皮膚が削ぎ落とされている。誰がどうして、どうやってこのような惨たらしいことを行ったのか、全く理解が出来ない。及ばない。考えたくも無い。

 加えて、自分の左手にあるこの破片は何なのか。自分の鮮血も混じって、気味の悪い赤のグラデーションを作り上げているガラスは……。

 動悸がこみ上げる様に荒くなって、胸を両手で抑えようとしても、震える手ではままならなくて。その内、全身を震えが支配していく。次第に嘔気を催して、その場で叫びが溢れ出た。



 全てを吐き出し終えると、何やら自分のような何かが、私に佇んでいることに気が付いた。自分のようで、似て非なる存在だろうか。


 まるで自分の正面に対峙しているかのようにも感じるが、実際目の前に居るという訳ではない。彼は誰でもない、私の内部に存在したのだ。昨日までは居なかった何者かが、私の心に現れていた。


 彼は朗らかな笑顔で私を見てくる。あまりにも残酷で、そして非道な行為、人殺し。それを私に行わせたのは、誰でもない、彼だ。直感だが、誤ってはいないであろう解が表れた。


 何のつもりなのか。か細いなりの、叫び声で尋ねると、『助けてと言ったのは君だよ』と笑う。その表情だけは柔らかかった。彼は優しくて丸い話し方をして、安らぎをもたらすかのような温かい言葉を発しながら、現れた理由を述べていく。


『君は救われたかった。この苦しみから解放されたかった。違うかい』


 確かに間違ってはいなかった。けれど私は、何もここまでのことを望んでいたという訳ではない。ただ私は、家族に認められたかっただけなのに。この生活をずっと行っていけば、いずれは認めてもらえると、そう信じていたのに。そんな希望や理想も、微かに描き続けていたのに。


 彼が、恨めしくて仕方が無かった。消せるのであれば、今すぐ消したいのは彼だ。キッと睨み付けると、やれやれと物悲し気な仕草をする。


『結局、ベルルは僕のことを睨むんだ』


 どうしてだか彼は、私の名を知っていた。それ以上に、私は自分の名前をこの時思い出した。彼もうっかりしていたようで、白々しく口に手を当てている。そうして彼は下を向いて何かを考えて、先ほどのような冷たい笑顔に戻る。


『君が友達だと思ってる、唯一の存在。それが僕だよ』


 私ははっとした。これは運命であろうか、それとも本当に現実と呼べるのであろうか。今私が話している彼こそが。ずっと見ている素振りをしていると思っていた、丸くて優しい光を放つ、そして唯一友であると感じていた「彼」だった。


 驚きを隠せず、両手で口元を覆い、涙を浮かべてしまう。嬉しさも確かにあるのだが、親や姉達を殺されたということもあって、それは複雑な涙となってしまった。


『——そうか。君は、まだ家族と居たいのか』

『うん……痛くても、何があったとしても、きっといつか認めてくれるって、そう思ったから』

『良く分からない子だね君は。そしたらじゃあ、僕のしたことは要らぬお節介だったわけか』

『そうだよ。返してよ。私の家族を』


 それを聞くと、彼は何かを閃いたかのように、また私に語り掛けてきた。


『もう一度、僕に身体を貸してくれないかい?』


 またか、と私は思った。自分の思いを踏みにじっておいて、どうしてまた私の身体を使おうとするのか。


『父親や母親に、もう一度会いたいんでしょう。愛されたいんでしょう』


 確かにそうだ。そうだけれど……。一度死んだ人間は、元に戻らない。そう本で読んだことがある。だからこそ死を恐れたし、時折死を願ってきた。


『死んじゃったら、もうダメじゃないの?』

『いいや、一つだけ方法があるんだ』


 私の知らない方法が、ある。

 それを知るのが何だか怖い気がして、暫くは思い留まり拒み続けた。だがその内、私は根負けした。初めての友達を信じたい気持ちがあったからだと思う。


『さようならを告げて、ベルル』


 心の中でさよならを念ずるが、それが何なのか、何を意味するのか。それを聞こうとしたが、間もなくして目の前が眩んでいった。それは物理的なものであって、心理的な物でもあったかもしれない。


 鈴の音が鳴り響いたことで気を取り戻した。呼吸をすると、甘い香りが鼻をくすぐる。

 一体、この感覚は何なのだろう。とても、とても晴れやかな気持ちだ。

 ふと目を開くと、絵本の中でしか見たことが無いお花畑が、見渡す限り全面に溢れ咲いていた。青い空、綺麗な土、名も無い緑の草木……。


 遠くには澄んだ川のようなものも見える。想像を遥かに凌駕した美しさが、そこにあった。辺りはとても暖かくて、ぽかぽかしたような心地よさだ。


 私が知らない素敵が、そこにはあって。

 もしかしたら、ここでなら家族と幸せになれるかもしれないと、初めて確信が持つことができた。


☆★☆


 彼女は、ここが一体何処なのかを理解することは出来なかった。けれど、この先へ歩いて行けば、ご家族に会えると感じたのだろうか。とても目が輝いている。



「今度こそ、家族になれる気がする」


 希望に満ちた目だった。彼女がここまで輝かしい笑顔を見せたことが、果たしてあっただろうか。


 もう彼女の身体には、傷は無い。その美しい金色の髪は、僕自身の本来の色を思わせた。良く見れば、何と可愛らしい少女であろう。


 自分がしたことは、本当に正しかったのだろうか。いや、きっと正しいはずだ。思いを押し付け、自らを肯定するように、僕は彼女に話しかける。


「この先へ行けば、君の家族に会えるよ」


 行きなさい、と言うと彼女は笑顔で頷いて、走り出した。見たことも無いほど軽やかに、そして笑顔を絶やさぬまま。


 道中で足がもつれて転倒もしていたが、どうやら痛みは無いらしい。転んでも恥ずかしそうにこちらを向いて、ほにゃりと笑みを零す。


 ああそうか、これが本来の彼女なのだ。僕の見てきたあの子は、厳しい生活によって疲弊し、衰弱した、見るに堪えない絶望で溢れていた。


 やがてベルルは川にある小船に乗り込むと、僕に手を振りながら、別れを伝えてきたのだった。


 そして気付けば、彼女は見えなくなった。


 僕はしばらく、その場を離れられなかった。


 帰ってきてしばらくが経過した。如何なものかと、空から下界を覗き込んで見る。近隣の住民も異変を察知したようで、一連の出来事は周囲に広く知れ渡っていた。


 明確なことは理解出来なかったが、少なくとも世間では、ベルルが犯人では無いという結論に至ったことは理解できた。


 それだけでも非常に安心だ。少なくとも人類の歴史上では、被害者として扱われるわけだ。


 言わば、一家惨殺事件として。


 全員がこの世を去っているのだから。とはいえ、僕みたいな存在には、全てを見通されてしまうわけだけれど。

 幸いにも、この星を見るのはこの僕ただ一人。故に神以外にこの真相を知る者は居ないということになる。


 さて、僕は神に仕事を押し付けてしまったわけだ。さぞかしあの方は面倒だと思っていることだろう。


 だが、僕がしでかしたこの行いによって、神のもとであの家族らは己を顧みて、反省しているはずだ。ならばベルルはあの場所で幸せに生きていけるはずなのだ。今度こそ。


 いや、実は要らぬお節介だっただろうか。僕が手を下さなくとも、いずれベルルは幸せになれたのかもしれない。僕はずっと、傍観者で居られたかもしれない。


 わざわざ死という方法を以て、仲結びする必要も無かったのかもしれない。だが彼女は、僕を必要としてくれた。助けを求めたのだ。


 ベルルという『少女の瞳』を見たら、居ても周っても居られなくなったのだ。


 僕は孤独で居ることに、疲れてしまったのかもしれない。そうでなければ、人の歴史に手を加える愚行を行うはずがないのだから。

 これが果たして未来へと結びつくか否や。それは僕にも、神にも分からない。


 僕はこれ以降二度と、同じ行動を起こすことは無いだろう。流れ来る外部からの攻撃を防ぎつつ、星を見つめる壁のような存在に戻るのだ。


 あれは彼女のために行った。周期が決して変わることの無い、最初で最後の小さな軌道修正である。

 再び傍観者に戻る前に、少しだけ眠ろう。これからわずかの間は、この星に変化が及ぶことは無いだろう。次に起床するのは恐らく、何か大きな事件が起きた時だ。


 それならば、起きないに越したことはないのだけれど。


 僕は月。それ以上でも、それ以下でもない。夜を仄かに照らすだけの、優しいようで、寂しい存在。そんな僕を思ってくれた彼女が居なくなったことを、とても寂しく思っている。

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