幼馴染の料理道

凛乃 初

第1話お魚にはバーナー

 ピンポーン

 インターホンの音が鳴り、ガチャリと鍵が開く。

 俺が何かする間も無く、あいつは平然と部屋に上がり込んできた。

「やっほー、今日も作りに来たぞ」

 笑みを浮かべながら買い物袋をテーブルの上に置いた。

 ドスンと重たい音が響き、僅かにテーブルが揺れる。

「ふぅ、重かったぁ。へへ、今日安売りだったんだ。思わずいろいろ買っちゃった」

 買っちゃったって。俺んちの冷蔵庫は大きくないぞ。

「大丈夫、大丈夫。料理しちゃえば嵩は減るよ」

 どれだけ作るつもりなのだろうか。俺はそんなに大食漢じゃないぞ。まあ、一般人よりは多く食べられるかもしれないが。

「別に今日食べなくてもいいんだよ。すぐに使えるように準備しとけば、明日からの私が楽できるのだ」

 はいはい。別に面倒ならわざわざ作りに来なくてもいいんだぞ?

 親父たちは俺を頼むなんて言ってたかもしれないけど、一週間そこらをカップラーメンで過ごしたって死にやしない。なんなら近所の定食屋にでも行けば、バランスのいい料理を食べることはできるのだ。

 この美食溢れる現代、金があるなら何とかなるもんだ。

「もう、またそんなこと言って。頼まれた以上はやり通します! ついでに花嫁修業にもなるしね」

 花嫁ねぇ。彼氏もいない奴が何言ってんだか。

「あ! 今不謹慎なこと考えたでしょ。幼馴染なんだから、顔見ればすぐに分かるんだからね! 今夜嫌いな野菜ばっかり使おうかなぁ」

 ぐぅ……それは困る。

 すまんと謝ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「じゃあ早速料理に取り掛かろう! と、言うことでこれを見よ!」

 ガサゴソとカバンを探り、取り出したのは一枚のエプロン。

「どうだ。おニューのエプロン」

 ピンクと白のチェック柄。枠の中にはところどころにハートマークが入っている。

 全部じゃないところがつつましやかでいいじゃないか。

 けどなんで今新しいエプロンなんて買ったんだろう。昨日まで付けていたやつもそれほど汚れてもいないし古くなってもいなかったはずだ。

「だってあれお母さんのなんだもん。やっぱり自分のエプロンが欲しいじゃん?」

 欲しいじゃんとか言われても、エプロンは中学校の家庭科でぐらいしか使ったことのない身としては理解できない。それよりも腹が減ったぞ!

「はいはい、今作るから」

 立ち上がりエプロンを掛ける。

 後ろでに腰ひもを結……結ぼうと――結ぼうとして!

「できない!」

 ちょうちょ結びすらできずに、だらんと垂れてしまっていた。

 なんで肉に紐巻くのは上手くできるのに、エプロン紐は結べないんだろうな。

「ひ、人には得意不得意があるんです!」

 いや、同じ紐だろ。

 背中側へと回り込み、腰ひもを結んでやる。

「えへへ、ありがと」

 礼は美味い飯で頼む。

「ハイハイ、じゃあ少し待っててね」

 台所へと向かい、買い物袋から食材を取り出していく。今日は何がメインになるのだろうか? 昨日は豚肉のミルフィーユカツレツだったな。間に挟んであったチーズが切った瞬間トロりと溶けだし、一口食べれば大葉の清涼感がチーズと豚肉の脂っこさを解消してくれる。

 絶妙なハーモニーのミルフィーユは、まさに協奏曲。

 いかん、思い出したら涎が。

「かなりお腹が空いてるみたいだね」

 そうだな。考えてみれば、今日の昼は忙しくてゼリー飲料だけ流し込んだんだった。

「もう、またそんなので済ませて。明日からお弁当も作ろうか?」

 さすがにそこまで負担を掛けさせるわけにはいかない。時間があれば学食に行けばいいし、気にする必要はないさ。

「別に負担じゃないんだけど」

 ボソッと呟いた言葉は、まな板を置く音でかき消され俺には届かなかった。

「まあいいや。気を取り直して、今日の食材はこれ!」

 じゃーんと台所から見せつけてきたのは、パックに入った魚一尾と切り身。

 魚は小ぶりな鯛かな? 切り身の方はよく分からない。

「昨日がお肉だったから、今日は魚です。小振りの鯛と買ったらおまけしてくれた鰹の切り身!」

 おお、魚! そういえば、作ってもらい始めてから、魚は初めてだな。

 けど捌けるのだろうか? 魚の捌き方なんて知らないが、けっこう難しそうな印象がある。

「ふふ、捌けるかどうか心配してるな。大丈夫、動画で予習はしてきたから」

 動画を見るだけは予習とは言わないのではないだろうか。ますます不安になってきた。

「まあまあ。ゆっくりテレビでも見てなって」

 まな板に鯛を乗せ、出刃包丁を取り出す。そういえばどんな料理にするのか聞きそびれたな。それによって捌き方も変わる気がするけど。

「えっと、まずは裏返して――じゃなくて鱗取りだ!」

 流し台に鯛を置き、包丁でがりがりと鱗を落としていく。そして手で鯛を撫で、鱗が取れたことを確認すると、今度こそまな板の上に乗せた。

「今度こそ裏返して、お腹の少し上、ここぐらいかな?」

 何かを思い出すように呟きながら、鯛とにらみ合う。

 左を頭にして鯛をひっくりかえし、その腹に恐る恐るといった様子で刃を入れた。

 三枚開きとは違うな。塩焼きみたいな切り込みを入れているわけでもなさそうだ。

 適当にテレビを付けつつも、視線は台所に向けたまま、鯛と格闘するする姿を眺める。必死で気づいてないんだろうな。後ろからだと前かがみになったスカートの中が見えそうで……見え……見え――ない!

 もう少し下から見れば覗けそうだけど、それは違うんだよ。自然体で不意に見えるから良いんだ。

 じっと小振りの尻を見ていると、どうやら腹を切り終えたようだ。流しに移動し内臓を取り出している。

 エラ蓋に指を入れる。

「ううぅ、これはなかなか難しい」

 ぐりぐりとエラの中を掻きまわし、中からエラを取り出した。

 腹の中も綺麗に洗い流し、血合いなども取り除く。

 綺麗になったことに満足したのか、うんと頷いてまな板の上に鯛を戻した。

「後は切り込みを入れて準備は完了かな」

 最後に塩焼きのように三本の切り込みを入れ、どうやら鯛の下ごしらえは完了したようだ。姿をそのまま使うのか?

 鯛を別の皿へと移し、他の食材を取り出し始めた。

 しめじにプチトマト、それにあれはアサリか? ふむ、だいぶ読めてきたぞ。

 そして棚の中から、母さんが買い置きしていた白ワインを取り出す。

 やっぱりアクアパッツァか。

 フライパンにオリーブオイルを敷き、すりおろしにんにくを入れて香りを付ける。そこに鯛を投入して焼き始めた。

 ニンニクの香りと鯛の香ばしい香りが混ざってこちらにまで漂ってくる。

 いつもの調子を取り戻し始めたのか、フフフンと鼻歌を歌いながら、体が左右に揺れていた。髪とスカートがふわりふわりと――

 鯛の両面に焼き色を付け、しめじ、プチトマト、アサリを投入。中火にした後白ワインをサッと注ぎ込み蓋をした。

「後は軽く煮るだけだね。その間に~」

 今度はサービスでもらった鰹の切り身を取り出した。

「鰹と言えばタタキだよね」

 玉ねぎを取り出し、スライサーで手早くスライスすると、そのまま水にさらす。

 やっぱりタタキだよな。俺も真っ先にそれを思った。

 けどタタキって皮面を炙ってたはずだ。貰ったやつは生みたいだし、コンロで炙るのか?

「ふふふ、甘いねぇ。甘々だねぇ」

 何か秘策があるようだ。是非とも伝授してほしいところであります、お姫様。

「良かろう。これが秘策じゃ!」

 カバンをごそごそとあさり、取り出したのは――

「ガスバーナー!」

 それはカセットボンベに付けるタイプの簡易ガスバーナーだった。

 そんなもんどこから持ってきたんだ?

「今時の女子のたしなみですよ? カバンの中には財布にスマホ、化粧道具にガスバーナー」

 絶対嘘だ。いや、暴漢対策にはいいのか? ちょっと危険すぎる気がしないでもないが――

「あはは、真面目に考えすぎ。来る時にホームセンターで買ってきたんだ。ちょっと炙ったりするのに便利だって聞いて」

 そうだったのか。だが確かに便利だ。

 シュゴッと音を立ててバーナーが火を吐き出す。空気を調節し、火力を安定させると、アルミパッドの上に置いた鰹の皮面に火を当てる。

 じりじりと皮面が焼けていき、炙られた皮と溶けだした脂の香りに腹が鳴った。

「よし!」

 カチンとバーナーを止め、程よい焼き色が付いた鰹を切って行く。

 あ、今切り端しつまみ食いしたろ。

「料理人の特権だもん。おいし」

 大皿に鰹を並べ、その上に水気を切った玉ねぎを乗せる。

 ネギと七味を振り掛け、テーブルへと持ってきた。

「どうだ」

 これは凄い。新鮮故の鮮明な赤。円形に盛られた鰹の上に散りばめられた玉ねぎと薬味たちは、鰹の身の色をさらに引き立たせ、大輪の花にも見える。

「そしてこっちもちょうどいい感じだね」

 タタキに魅了されていると、台所から貝を酒蒸しにした時の独特なうま味を伴った香りが部屋を包む。

 アクアパッツァも完成したようだ。

「うーん、これはどうしたものか」

 だが、鍋の前で腕を組んで悩んでいる。何か問題があったのだろうか?

「よし、そっちに鍋敷置いといてくれる」

 そのまま持ってくるのか!?

「せっかく形も気にして作ったからね! そこで切り分けて食べよう」 

 まあ分かった。特に反対はないし、俺は素直に鍋敷を用意する。

 準備完了を告げると、行くよーと言ってフライパンを持って台所から出てきた。そしてフライパンを鍋敷の上に乗せる。

 なるほど。見て分かった。確かにこれは、形を残したままにしたいな。

 丸々一尾を使ったアクアパッツァは、フライパンの中央に堂々と鯛が鎮座し、その周囲をアサリ、トマト、しめじが飾っている。

 いつの間に入れたのか、スライスされたブラックオリーブが僅かに解れた鯛の身に挟まり、宝石のように輝いていた。

 あの変わった鯛の斬り方も、この見た目を重視してのものだったのだろう。

「どうだ! パート、ツー」

 素晴らしいです。

 拍手で迎え、手早くテーブルの上を準備する。

 深皿と鰹用の取り皿、スプーンにフォークにナイフに箸と勢揃いだな。

 そういえばご飯がない。いや、アクアパッツァだしパンの方が合うのか?

「あ、ご飯は考えがあるから後ね」

 そうか、何か考えがあるのなら、俺はそれに従いましょう。

 料理の完成を示すように、するりとエプロンの紐を解き、エプロン掛けに引っ掛け俺の正面に座った。

「では」

「「いただきます」」

 まずは熱々のアクアパッツァからいただこう。

「よそってあげるね」

  ナイフとフォークで手早く鯛の身を解し、適当な量を深皿へと盛る。周りのトマトたちも載せ、大きなスプーンで底にあるスープをかけ入れた。

「どうぞ召し上がれ」

 まずはスープだろう。鯛やアサリたちの出汁が染み出した白ワインベースのスープを一口。

 美味い! 複雑で、しかしはっきりとしたうま味が口の中にあふれ出し、磯の香をほのかに感じる。やっぱりアサリは良い出汁を出すな。

 そして鯛の身をパクリ。ふわふわホクホクの身は、噛むほどに鯛の風味を口いっぱいに満たしてくれる。

「うーん! 我ながらいい出来ね」

 正面では満足そうに頬を緩めている。この出来ならば、自画自賛も素直に受け入れよう。凄い美味いぞ。

「ふふ、ありがと」

 よそってもらった分を一気に食べきってしまった。まだフライパンの中には残っているが、その前にこっちにも手を出そう。

 花咲く鰹のタタキ。小皿にポン酢を入れ、マヨネーズを混ぜる。

 鰹を一枚、その上に玉ねぎと薬味たちを乗せ、箸で挟んでポン酢に浸す。

 そして一口に!

 しっとりとした鰹は生臭さもなく、ポン酢に負けないほどの味を舌にぶつけてくる。シャキシャキとした玉ねぎは程よい辛みがあり、七味がピリッと舌を刺激する。だがそれを全て包み込むのがポン酢に混ぜたマヨネーズ!

 ふんわりとした白身もいいが、赤身のしっかりとした触感もいいなぁ。

 箸は止まらず、一枚、もう一枚とタタキを食べていく。そしてそろそろ暖かいものをと思ったところでアクアパッツァ。これがホッと落ち着けるのだ。

 二人では多いかとも思った量だったが、主食が無かったおかげか簡単に平らげてしまった。

「ふふ、物寂しそうな顔ね。ここで締めと行くわよ」

 締めがある!? だと!?

 ほぼ身のなくなったアクアパッツァから、鯛の骨とアサリの殻を取り除いていく。

「じゃあちょっと待っててね」

 ふふんと鼻歌を歌いながら、台所へと戻っていった。何をするつもりだろうか。

 あれは鍋か。たっぷりの水とそこに塩? アクアパッツァの残り汁も温めなおし、そこに鷹の爪をスライスして入れる。

 あれは――まさか!?

 取り出したのは、パスタ。

 あの汁を使うというのか! そんなの、そんなの美味いに決まっているだろう!

 ゆでたパスタをフライパンのスープと絡め、皿に盛りつける。

「これが締めのアクアパッツァパスタよ」

 もう言葉が出ねぇよ。こんなの食べさせられたら、惚れちまうよ。

 これなら男を落とすときにも使えるな。いや、むしろその時の必殺料理にしておけよ。本命の男に作ってやれば、確実に落ちる。俺が保証するね!

「うーん、ならもう作ることはないかもね」

 なんでだよ。一生独身って人生設計か? 他人の人生に口を出すつもりはないが、結婚も視野に入れて動くぐらいの余裕はあったほうがいいと思うぜ?

「だって必殺料理を食べてもらいたい人には、今食べてもらってるしね」

 ん? それって――

「ふふ、保証してくれるんでしょ?」

 顔を上げると唇が触れた。

 初めてのキスは、鷹の爪がピリッと効いていた。

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