季節が変わったそのあとも。

嘉田 まりこ

→6:00

 白いカーテンがふわりふわりと風を包んで揺れる。


「……窓開けたまんま寝ちゃったんだ」


 いくら暑い日でも、窓を開けたままや冷房をきかせたまま寝てしまうと次の朝は何だか体調が悪くなるから気を付けていたのに。


 習慣を忘れてしまうほど、酔ってしまっていたのだろうか。

 お酒に、じゃない――柏木に、だ。


 ***


 柏木は『かんだ』の暖簾をくぐるなり、繋いでいた二人の手を胸の前に出した。

 それを見た女将さんは『あらあらあら!』と喜び、最初の一杯をご馳走までしてくれた。

『相談してたんだ』

 にこやかにそう言った彼に、一体どこまで話していたのか聞き出すところから、その日の夜は始まった。


 お姉さんのこと、保さんのこと……聞きたいことはたくさんあったのに。

 

 普段いくら飲んでもあまり変わらない柏木の様子が、三杯目のジョッキを手にしたころからいつもと違っていて、矢を射るような目力も鋭さを無くして下がりきっていた。


『雫……って呼んだら怒る?』


 首を傾げながら心配そうに聞いてきたり、『怒らないよ』と許した途端、なんとかの一つ覚えみたいに私の名前を繰り返し呼んだりする姿は――撫で回したくなるくらい可愛くて――反則技だと思った。


 店を出ようと立ち上がった時も、私を送ると歩き出した時も、私が何度か背中を支えるほどフラフラしていた彼。


『タクシーつかまえるね』

『俺、送ってく、って』

『私は大丈夫だから。ちゃんと帰れる?』


 彼は、覗き込んだ私に向かい、最初『嫌だ』と首を振ったけれど、きっと自分がどういう状態まできているのかを何となくはわかっていたのだろう。

 少しすると素直に頷き呟いた。


『酔っぱらってごめん』

『ずっと、あんまり寝れてなかったから、久々にキタかも。ごめん』


 あまり寝ていない理由は聞かない方が良かったかもしれない。


『雫のことばっか考えちゃって……ちょっとおかしくなってたから』


 ふと、彼が私の肩に額を乗せる。

 両方の手も、緩やかに腰に回された。


『俺の方が歩けなかったから』

『高松が……雫が、ここにいるなんて』

『嘘みたいだ』



 ――泣いちゃうかと思った。


 もう沢山泣いたのに。

 いい大人なのに。

 誰かに見られるかもしれないのに。


 柏木が見せてくれたその姿は、私に『そのままでいい』と教えてくれている様だったから。


 弱くても、格好悪くても。

 わがままでも、情けなくても。


 柏木の前では無理なんかしなくてもいいんだ、と……そう改めて思えた瞬間だったから。私は不思議な幸福感に包まれた。


 すぐそばにある無防備な後頭部に手を伸ばしてみる。柔らかな髪を撫でているだけなのに、愛しさが何倍にも膨らんでいくようだった。


『一緒に寝たい』


 彼の甘える声に、胸がきゅうっと音をたてた。


『したい』


 いつも以上に素直で、いつも以上に大胆な柏木の言葉は私の芯を溶かしてゆく。


 ――こんな自分は恥ずかしい。


 今でもちゃんとそう思ってる。


 ――こんなとこ誰かに見られたら。


 そんなのちゃんとわかってる。

 わかってるんだよ。

 ちゃんと、自分が一番わかってる。


 でも、だけど。


 あの時、彼を引き離せるかと問われたら……答えは間違いなく『NO』だった。

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