キスはおやつのあとに
うぱるーぱ
1
開け放たれている病室の入り口から、そっと中の様子を窺う。
薄手の手袋をした女がベッドで半身を起こし、雑誌に視線を落としている。……いや、正確には、血走った目で食い入るように雑誌にかぶりつき、その手を震わせていた。
もう少し特徴を付け加えるならば、そいつはまるでファンタジー映画の人物のような綺麗な金髪をしている。腰まで流れるそれは金糸のように艶やかで、窓から差し込む明かりにも煌めくほどだ。さらに、彼女の瞳は蒼く、顔の彫りも日本人のそれより深い。肌の色も黄色ではなく白味が強く、まるで豪華な屋敷の調度品のような気品の高さを醸し出している……の、だが……。
「ケぇーキぃ……ケぇーキぃ……」
まるでなにかにとり憑かれているかのように、両目をかっ開いてうわ言を呟いている。
「ウェンディ――」
「ケぇぇぇキぃぃぃッ!!」
熱視線が俺の瞳を焼く。それと同時にベッドから飛び出したウェンディは、一瞬で距離を詰め、物言う前に俺の手からケーキ箱を強奪した。
「タルト! モンブラン! シュークリーム!」
「おう、シュークリームは俺のな」
その主張は馬耳東風どころか聞こえてすらいないのだろう。ウェンディはその場でシュークリームをひっ掴んで口元に運んだ。
「粉砂糖のやさしい香りと、洋菓子特有の小麦とバターの芳香……! レトロといえば聞こえが悪いけれど、昔ながらのシンプルでいてしっかりおいしい、そんなお菓子って大好き」
まるで異性に言うみたいに頬を染めてる。こいつヤバイなー、と思うのと同時に、妙な色っぽさとかわいらしさを感じた。それはウェンディがイギリス生まれの日本育ちという、やや特殊なプロフィールのせいだろうか。それとも俺がこの奇天烈な幼馴染のことが好きだからだろうか。まあ、どっちでもいいか。
しかしこいつは、本当においしそうに食べる。かぶりついたときにはみ出るクリームを口の端に付けて甘い幸福を頬張り、そのおいしさに色っぽい吐息を漏らすのだ。
ケーキって官能的な味だよね。
そんなことを、ゼリー蓋の裏を舐めるような無邪気さで言っちまうのがウェンディ・カーペンターという女なのだ。
「んはぁ……生き返った。あ、誠(まこと)、そんなとこに突っ立ってないで、ほら座って座って。お茶淹れるからゆっくりしてってよ」
「いいや。座るのはお前だ」
誰にも奪わせまいと、ラグビーでそうするようにケーキ箱を抱えたまま、自分に割り当てられた小箪笥に向かおうとしたウェンディの首根っこを捕まえる。
「そんな手で茶なんて淹れるな」
少し乱暴だとは思ったが、有無を言わせないように力ずくでベッドへ放る。茶くらい俺が淹れてやる。
「えー。みんな大げさだよ。入院っていってもただの火傷なんだからさー」
気遣ってやってるのになぜか不機嫌に頬を膨らませたウェンディは、おもむろにパジャマの袖をまくり上げ、腕までも覆うロング手袋を外してベッドに叩きつけた。
「おふくろもこんな煩わしいの宛がっちゃってさ」
まあ、過保護な親のウザさはわからないでもないけどな。
「そんだけお前のかーちゃんは責任感じてて、できることはなんでもしてやりたいんだよ」
原因はウェンディのかーちゃんが揚げ物鍋の火の消し忘れだった。そして火柱が上がっているのに錯乱したウェンディが、花瓶の水で湿らせた台拭きを広げて鍋に放ったのだ。小火ならそれで消えただろう。しかし換気扇を焼くほどの炎を上げる揚げ物鍋だ。そんなものに水を含ませた台拭きを放り込んだらどうなるか、その答えが、ウェンディが両腕に負った火傷だった。
「けど本当、顔にかからなくてよかったよな」
「それはまあ、うん」
ウェンディが美人だっていうのは、決して外人フィルターがかかっているからではない。その証拠に、洋画の女優と見比べてみても遜色ないどころか、皆揃ってウェンディを指差すほどだ。
ちなみにこいつは顔だけではなく、スタイルもいい。胸なんかロケットみたいに突き出てるし、尻だって見事な丸みをおびている。そのくせウェストはしっかりと締まっているときた。だから女子連中からは影で「変態スレンダー」だなんて呼ばれている。
「もし顔に火傷してたら、もうキッチンに近づけさせてもらえなくなってたかも」
いや、そっちじゃねえよ。とツッコミたかったが、自分で言って青ざめ、能満な胸を抱いてブルブルと震えるあたり、ウェンディ的にはそっちの方が重要なのだろう。
蒸らしの頃合いを告げるアラームが鳴り、俺が紅茶をカップに注ぐのを見たウェンディは、座ったままベッドテーブルを手繰り寄せ、そこにケーキ箱を乗せた。
まずはウェンディの紅茶とケーキ皿を出してやる。すると、待ってましたとばかりに上機嫌な笑顔で、皿にケーキをふたつ乗せた。……はて、ふたつだと?
「ありがとー、誠。いただきまーす」
結局全部ウェンディに取られてしまった。けど、これでいい。
俺はよく、ウェンディに甘いと言われるけれど、好きな奴にはやさしくなるのは当たり前だろう? それにだ、料理をして、おいしい物を食べる。その時の、幸せに頬を膨らませたウェンディの笑顔が、俺を穏やかな気持ちにさせ、慈しみさえ感じさせてくれる。俺はそういうのが、たまらなく好きなんだ。
だからついこんなことを口走っちまう。
「なんか欲しいもんがあったら言えよ。できる範囲でなら持ってきてやるからさ」
「え? なんでも?」
「できる範囲で、な」
もっというならば、俺の財布と相談して許せる範囲でなら、だな。
「ふむふむ。なにをお願いしよっかなー」
ウェンディは青い瞳を俺に向けて、最初は悪戯っぽく目を細め、次にフルフルと首を振り、今度は真剣な顔になった……と、思ったら、高級アイスを食ってる時みたく口元を緩めて頬を染めた。
「決めました! 明日のおやつは、誠の手作りスウィーツを所望します!」
「俺なんかが作ったもんでいいのか?」
正直に言うが、俺はこの金髪食いしん坊と違って、お菓子作りなんてやらないから、凝ったものなんて作れない。
「なんでもいいよ。誠が作ってくれるものなら絶対おいしいから」
あ、ヤバイ。照れくせぇわ、これ。
俺はたまらず、アイディアを模索するふりをして明後日の方を向いた。だってウェンディの目が、食い物を前にしたそれではなく、そこら辺にいるような普通の恋する女の子のような、なんとも形容しがたい甘ったるい熱を帯びていたのだから。
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