幽霊画【妻を含め5人死にます…真の実話です…】
虚無
幽霊画
冒頭で申し上げておきますが、このお話しは、私自身に起こった、あまりにも不可解な、実話なので、一切の創作や、脚色を加えずに事実のみを綴らせて頂いております。よくある、何処の誰かすら、ハッキリとしない、『友人が』『知人が』の体験談もどきのお話しでは無く、本当の身の上話でごさいます。
本題に入る前に、私は今年で43歳になりますが、不思議と人の不審な死に関わる事が普通の方よりも少し多い様に思えます。まず、16歳の時に良くしていただいていた1つ上の先輩が工事用車両、に突き刺さりお亡くなりになり、18歳の時に新宿の歌舞伎町を歩いていると、私の身体すれすれに、太った男性が、ビルの上から落ちて来て目の前で息を引き取ったり、その後も後輩がクリスマスに自分の父親に刺殺されたり、女性の友人の彼氏に送ってもらえばその帰りに、その方が事故で無くなってしまったり、その後も列車への飛び込み自殺の現場にも3回居合わせたり、良くしてくださった方が自殺なさったり、ついこの間も、最寄り駅で飛び込み自殺の現場に居合わせました。 これだけ不審な死に遭遇いたしますと、慣れといってはおかしいのですが、いつの日か、人の不幸を目の当たりにしても全て偶然と考え処理する様になっておりました。しかし、今からするお話しは、あまりにも不可解過ぎて、こんな私でもなかなか偶然とは言いがたかったお話しです。
このお話をするには、まずは4年前の6月頃にさかのぼらなければなりません。私は、以前より趣味で、古い幽霊画・妖怪画等を蒐集致しておりますが、 幽霊画や妖怪画は本来、お寺や博物館にある為、当時より各地の古書店、骨董商等に声掛けをしたり、インターネットを検索したりと四方手を尽くし、探しておりました。そんなある日、京都の骨董商に私好みの幽霊画があるとの情報を得た私は、早速、その骨董商に電話をかけました。突然電話をしたせいか、骨董商の御主人は私に、『アンタこの幽霊画の事、一体どこで聞いた?、何で知った?この絵を本当に買うのか?』等、私を質問責めにしてきた。しかし、どうしても、幽霊画の欲しい私は、値段がついて居ないと言われた事をこれ幸いと、『御主人の言い値で購入致します』と返した。しばらく受話器の向こう側で、沈黙が続き、私も沈黙をま守り、交渉の是非を、ただただ待った。先に沈黙を破ったのは、受話器の向こう側の御主人だった。『値段何てどうでもいい、ただ、いくつか条件があると条件を提示された。』1.絶対に何があっても、返品は認めない。2.購入金額は、人に言わない3.領収書の発行はしない4.絶対に粗末に扱わ無い事 と、私には、容易に守る事の出来る内容でございました。当然私は、2つ返事でこたえ、交渉が成立し、数日後待望の幽霊画が到着いたしました。到着早速梱包を慎重にとき、中から、現れた、時代のある幽霊の図と毛筆で書かれた味のある白木の箱が顔を出し、その箱から軸を取り出すと、ほのかに、線香の香りが漂ってまいりました。軸を伸ばし、幽霊画を見た瞬間、私は一瞬で、心を奪われました。墨のみで畫かれ、着色も無く、特に血が流れたり、生首を掲げたりしてわざとらしい恐怖の演出は一切無く、ただその恨めしそうな目つきだけで、人の心に恐怖を刻み込む、正に理想の幽霊でございました。しかもその目は、どの角度から見ても視線が合ってしまう技法が施されておりました。私は、早速幽霊画を床の間に飾り暫く絵の前に立ち尽くし、見とれておりました。
しかし、この幽霊画との出逢いをキッカケにあんな出来事か起こる事を私は、この時知る由もございませんでした。
私の周囲に異変が起こりはじめたのは、その年11月半ば頃の事だった。珍しく、3歳からの幼馴染の道夫(仮名)から電話がありました。しかし、その声からは、涙ぐんでいるのがハッキリと伝わってきました。それでも、道夫は私に、『おう!久しぶり?元気だったか?あのよ〜俺、医者に年越せね〜かもって言われたよ!』といつもの調子でおちゃらけて話しました。私は察して、『どうしたよ?病気なのか?おめーなら死神も嫌がるから平気だろ?』とフザケて返しました。それから、道夫と浩二(仮名)と私の幼馴染3人で食事に行き、以外と元気だった道夫の姿を見て安心し、昔のように馬鹿騒ぎをして、道夫は、『またな!』と笑顔で後ろ向きで手を降りながら、駅の改札をくぐってゆきました。それが最後になるとは思いもせず、私達は大はしゃぎで見送りました。それからしばらくたったある日、先輩から電話が鳴り、道夫が自宅の前で冷たくなっていた所を近所の住人に発見された事を知りました。
幼馴染の死を悲しむ間も無く 、歳月は無情にも経過して行きます。新年を向かえ毎年、新年に妻と父と行く初詣は、幼馴染の死もあり、自重いたしました。しかし、恒例行事をやらないのは、父が可哀想だと言う妻の助言で、父に連絡を取ろうとした所連絡が取れないので父のもとへ、妻と向かいました。父は、風邪を拗らせ入院しておりました。病院にお見舞に行き私が、『大丈夫か?』と言うと、父は、笑顔で『大丈夫、大丈夫』と連呼し、写真を、撮ろうと言うので、父のベッドを囲み、記念撮影をいたしました。これが、元気な父を見た最後になるともしらずに…父は翌日、何故か容態が急変し、肺炎を拗らせ他界いたしました。後で皆んなで最後に撮った写真をよく見ると、病室の洗面台の鏡に、ぼんやりと、見知らぬ女性の笑う顔の様なモノが写っておりました。(この写真は現在もスマホに保存されており、SNSにも画像がございます)
そして、その翌年に妻の祖母が、自宅で転び骨折したため、入院いたしました。そして、三月経ち、足の骨折が治りかけた頃、入院していた病院で転倒し、意識を失ってしまったと連絡が入り妻と慌てて、病院に駆けつけました。一命は取り留め、峠は超えたとの話に胸を撫で下ろし一旦帰宅いたしました。翌日もお見舞いに行ったのですが、祖母も、また容態が急変し一足遅く還らぬ人となっておりました。
そして、去年9月26日に私と18年間連れ添ってくれた、旅行と読書が大好きだった妻も旅先にて他界いたしました。詳しい死の内容については、伏せさせていただきます。まだ妻が他界してから日が浅く、余りにも現実離れした数々の出来事が一年に一度起こり、私の中では、実感すら湧かず、未だ、まるで夢現つの様な気分で日々を過ごしております。
そんなさなか、今年の初めに、毎朝挨拶を交わしておりました、お隣のおばあちゃんが家の中で倒れているのが発見され、現在私の家の隣は売り家となっております。
そしと最近、ネットの記事に載せていただけるとの事で、この幽霊画の取材を受けました。その取材をした記者の方も、数ヶ月間、体調を崩されました。
次は、一体どなたの身に、どのような事が起こるのでしょうか……。
尚、現在もこの幽霊画は、私の自宅の床の間に、大切に飾っておりますが、万が一このお話しを、お読みになった方の周囲で、不可解な出来事が起こったとしても、私は一切の責任を負い兼ねますので、了承ください。
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