桜月夜に魅せられて
楠秋生
第1話
桜月夜というのは魅惑的、いや蠱惑的だと思う。
夜桜というだけで妖し気な雰囲気が十分にあるのに、満月の魔力まで加わるとなると、きっとなんとも言えない妖艶な雰囲気を醸し出すだろう。
今晩、この満開の桜の夜に満月が昇る。
夕暮れ迫る中、花見の場所取りをしている人たちを横目に桜並木の下をゆっくりと歩いていた俺は、歩みを止めて月が昇る方向に目をやった。まだ薄桃色を残した西の空と相対して、そこはもう夜の支配する空色になってきている。
月の出まであと一時間ほど。
「行かなきゃやっぱ怒るよなぁ」
桜の向こうにこれから現れる満月を想像しながら小さく呟いた。
三十分後の七時から、このすぐ近くの居酒屋でサークルの新入生歓迎パーティーが始まる。みんなが酔いつぶれた頃に抜け出すのは簡単だろうけど、開始時にいないのはあいつが許さないだろうなぁ。行かなかったときに文句を言うだろう
満月をバックにした夜桜の撮影と新歓パーティー。どっちをとるべきか。
俺の脳裏に微かに残る桜月夜のイメージを、もう一度思い浮かべた。
あれは絵だったのか写真だったのか。子どもの頃に見た時の、イメージだけが残っている。どこで見たのか、どんな構図だったのかさえも覚えていない。ただ闇に浮かぶ白っぽい桜と、まん丸な月があったのだけが記憶に残っていた。
すっかり忘れていたそれを思い出したのは、つい先日のこと。何気なく暦を見ていて、今年の新歓パーティーが満月と重なることを思いだした時だった。頭の中にそのイメージが浮かんで、自分で撮ってみたくなったのだ。
新歓パーティーをパスしようと決めて、踵を返したとき。ぐいっと俺の首に腕が巻きついてきた。
「どこに行くのかなぁ?」
先ほど思い浮かべた幼馴染みの顔が、至近距離でにやりと笑った。
「ファインダー越しに見るばかりじゃなく、人付き合いもちゃんとしろよ」
したり顔で言う樹。
「お前に言われたくないよ。軽い付き合いしかしないくせに」
小声で文句を言うが、樹は聞こえないふり。
「行くぞー」
俺の首に腕を巻き付けたまま歩き出す。その腕をはがして、「しようがないなぁ」と苦笑してみせる。
俺はこいつに弱いんだ。小さい頃、俺のところに来てはこっそり泣いていたのが、今でも忘れられないから。俺よりでかい図体になった今も、感覚的には守ってやるべき弟分なのだ。いつだって少々のわがままは許して、こいつの主張に従ってやってしまう。
仕方がない。月の出直後にこだわる必要はないか。
俺は東の空に一瞥をくれて、樹と一緒に歩き出した。
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