アン「ぐねぐねウロウロしてばっか」

 晩酌会は終わり、場所は二階の寝室。

 アンは独りベッドに横になり月夜を眺めている。


「う~ん」


 今夜はもう寝なさいと咲人に言われて床に就いたが、なかなか寝付けない。

 どうにもアンは不完全燃焼な気分だった。


「う~まくぅ、できないぃぃ」


 お酒も入って今夜はいつもより長く咲人とおしゃべりをしていた。といってもアンが質問して咲人につらつら喋らせるという感じのものだ。それでも、口下手な彼女にとってはなかなかの成果ではある。ただ今夜のアンはそれで満足できなかった。

――はっきり聞ければいいのに……。 

 それが出来ないから先程は遠い事柄から回りくどく質問を重ねていったのだ。そう自分自身が言い訳めいた主張を始めた。

 アンは首を振る。それで結局、話は弾まないまま時間切れになったではないか。

 今日は咲人に聞きたいことがあった。

 だけど直接訪ねる勇気はなかったので、咲人の人生を子供のころから聞かせてもらった。そうすれば、いずれはソコに辿り着くはずだから。


「うう……!」


 思わず頭をガリガリいてしまう。そうしたところでフラストレーションがはががれ落ちてくれるわけでもないのに。

 今更ながら子供の頃の話なんて聞くんじゃなかったと後悔する。

 咲人の身の上話ならいくら聞いても構わない。けれど、相手に多く質問をすれば、じゃあ貴女はと質問を返されるものだ。

 アンビエントの幼少期は楽しいものではなかった。だから当然答えたくない。

――サキトは……それを、わかってる。  

 アンが憂鬱ゆううつな気分になる質問を咲人はしてこない。だけどそれでは話は弾んでいかないものだ。もしかしたら、今夜の会話は咲人にとって少し退屈なものだったかもしれない。そんなことを考えると不安で胸が痛い。

 アンは苦痛に耐える様にぎゅっと目をつむりイライラをぶつける様に頭で枕をバフバフ叩く。



 § §



「のど、渇いた……」


 見悶えていたアンだが喉の渇きを感じでベッドから身を起こした。

 いつもなら何も考えずにキッチンへ向かうのだが、今夜は少しだけ咲人と顔を合わせたくなかった。ちらりと隣のベッドを見る。窓際の咲人のベッドだ。

 いままでは頻繁に潜り込んでは占領していた彼の寝床だが、最近はちゃんと自分のベッドを使っている。

 

「サキトぉ……」


 無性に彼に甘えたかった。だけどね、とアンは思う。

 咲人と別々に寝ているのも、彼のベッドに潜り込まないのも決めたのはアンだ。

 それは甘えなくても大丈夫になったからなのか、それとも素直に甘えられなくなっただけなのか。よくわからなかったけど、アンはそう決めたのだ。



 § §



「あなたの、お名前は……?」 


 キッチンへ忍び込んだ帰り。

 アンは玄関近くに飾られた写真に話しかける。写真立てのなかで咲人の妻、由美が勝気に笑っている。当然写真はなにも答えてはくれない。

 咲人に聞けなかったこと。それは彼女の名前。


「…………」


 たったそれだけのことだ。質問してみればいいと自分でも思う。


「だけど……もし」 


 咲人の声がその名前を紡いだときに自分の知らない優しくて甘い音をかなでたら。アンは耐えられないかもしれない。


「だって、わかるもん……わかっちゃうんだもん」


 アンの耳は咲人の声の真実を聞き分ける。

 この人に注ぐ愛情の深さだってきっと分かってしまう。 


「私達の魔法の……特別な繋がりが、霞むようなものを見せつけないで」


 アンは震え、祈るように俯いた。

 写真立てのなかで丹湖門由美は勝気に笑っている。

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