咲人「ししとうとラスク」

「ふぅ……」


 咲人のため息がキッチンの水音に呑まれた。

 洗い終えた皿を水切りラックに並べていく。

 アンの姿はない。いつもなら片付けはアンがやってくれるか、二人一緒にしているがいまは咲人だけだ。アンは片付けを申し出てくれたが、咲人はそれを断った。


「さて、と」


 片付けがひと段落した。咲人は気を取り直して酒のつまみの用意に取り掛かる。

 材料を並べて手順を頭でイメージする。

――やっと落ち着いてきた……まったくヘタレだな。

 小麦粉の分量を変えてプランスパン風に作ったパンを薄く切り分け、フライパンで軽く焼く。表面がカリッとしてきたところでいったん皿に移し替え、今度は山羊のミルクとグラニュー糖を投入し弱火で加熱する。ミルクはセインとの交換で手に入れたものだ。

 火から目は放さず、続いてししとうを軽く洗いヘタを取っていく。ぷち、ぷち、とヘタ取りをしながら咲人は知らないうちに身についていた能力に感謝した。

――本当にこの翻訳能力はありがたい。

 咲人が調理している食材は本来、山羊のミルクでもししとうでもない。

 彼からすればこれらは厳密には『異世界に生息する山羊っぽい生き物のミルク』と『異世界のししとうに似た野菜』である。

 けれど、食べてみると違いはほどんどない。少なくとも咲人には感じられない。

 そして、そういう物は咲人の耳には『山羊のミルク』あるいは『ししとう』と聞こえる。さらにそう聞こえたものは咲人の知る調理法で食べることが可能だった。おかげでいままで調理で大変な目にあったことはない。

 まるで一流の翻訳家が咲人のために意訳してくれているかのようだ。


「よし」


 くつくつとミルクが煮立ってきた。表面の泡立ちとオブラートを取り除く。常温で保存されていた影響か軽く分離していた水分をあらかじめ捨てておいたおかげで想定よりも早くミルクは粘性を持ち始めた。


「網焼き器……っと」


 手が離せなくなる前に焼き器をコンロに乗せ軽く塩振りしておいたししとうを並べていく。こちらはあとは適当に焼いて焦がさなければ完成だ。

――しかし、こっちはどうだろう?

 現世ではバターとグラニュー糖を加熱して作ったキャラメルにフランスパンをくぐらせ、ラスクのようなものを作ったことがあるが、こちらは上手くいくだろうか。


「たまには甘いものも作ってあげないと、ですね」


 食べさせたい相手を思い浮かべる。

 今日活躍してくれたお礼もあるが、いまはまだこういう形でアンを可愛がりたいと咲人は思っている。

 アンはもう子供ではないのだと咲人は思う。けれど、いきなり咲人の隣に並ばれては気後れしてしまうし、少しだけ面白くない。すぐ隣ではなくちょっと離れて見守る感じの距離感がちょうどいい。

 そんな想いは咲人の勝手だ。いつまでもそんな調子でやっていけるわけがない。


「そんなの重々承知ですよー」


 それでも、いまはまだ素直になりたくないのだ。それが咲人の素直な気持ち。


「じゅうじゅう♪ じゅうじゅう~♪」


 おじさん以外には理解に苦しむ鼻歌を交えながら、咲人はつまみを完成させた。



 § §



「う~~ぅ! にがぁっ‼」


 つまみを手にした咲人が加わり再開された晩酌ばんしゃく会。

 甘いにおいに誘われて始めはラスクばかりをウマウマと頬張っていたアンが咲人につられ、ししとうを口にした。どうやら、アタリだったようだ。

 にがっ、にがっ、とビールでししとうを流し込むアンを見守る咲人は悪い笑みを浮かべた。


「それなら、【味噌】をちょっと乗せて食べてみますか?」


 しばし、ししとうを見つめていたアンだが咲人を恨めし気に一瞥してからラスクを頬張り始めた。思わず咲人はケラケラと笑いをこぼした。

――改良の余地ありですがアンには好評、と。

 アンは美味しいものを食べると普段よりも咀嚼そしゃくスピードが速くなり、どことなくリスのような食べ方をする。咲人と目が合っても食べ続ける姿は動物チックだ。

 そんな調子でアンがラスクを頬張り続けるので咲人も一枚手に取った。

 サクリとした食感の後に甘みとミルクの香り、さらに濃厚な味が広がる。食感を活かすために薄く切ったのだがパンに対してキャラメルがやや多い仕上がりになってしまった。咲人には少し重い。

 やっぱりアンは若いなぁ、と思いながら咲人は口直しにししとうを頬張る。


「アンにはラスクの方が似合ってますよ?」


 今度はクスクスと笑いが漏れた。


「サキトが意地悪だぁ……!」


 咲人には重たいラスクとちょうど良いししとうがテーブルに並んでいる。

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