咲人「チープな表現ですけれど」

 天使みたいだな。

 咲人の目の前には宙に浮かんでいるアンの姿がある。

 お互いの姿を認めた瞬間、アンは咲人の眼前まで飛んで来た。

 恐ろしいほどの速さのはずだが優しい風が頬を撫でるだけだった。

 アンの長い髪は風になびいて広がり、夕日の赤に染まっている。

 宙に浮かび上がっていることもあってその姿は神聖なもののように目に映る。


「サキト」


 アンが咲人の名を呼んだ。

 両腕を広げてゆっくりと二人の距離を縮めていく。

 

「アン」


 咲人は一歩踏み出し天使を抱きとめた。

――ああ……この胸の温かさは。

 天使のようだとは思ったが実物など見たことはない。

 それでもそんなことを思ったのはきっとこの胸の温かさのためだろう。

――由美さんと、えみと触れ合っている時と似ている。


「アン」 

「うん」


 けれど、いまはそれに浸っている場合ではない。

 これだけはアンに伝えなければいけない。


「私は、いまでも元の世界へ戻りたいと思っています」

「うん」


 彼女の肩がブルッと震えた。それでも咲人は続ける。

 薄氷の上を進んでいくようにゆっくりと丁寧に。


「えみもいますし、あそこには大事な人との……思い出がある」

「……うん」


 彼女の顔が俯く。その額が咲人に胸に触れかける。

 頭を抱きかかえて胸に軽く押し当てた。

 この脆くて頼りない道を彼女に歩ませていいのか。


「……それでもね、私はね……」

「………」


 彼女はなにも言わない。

 寄る辺ない道。非力な自分。 

 そんな自分と歩いていく道が彼女にとって良いものか。


「アンと出会えて良かった。そう思っています」

「え……?」


 アンは咲人を見上げる。真っ直ぐに。 

 その瞳は不安げに揺れている。

 瞳の奥で揺れているものはきっと咲人もアンも同じなのだ。


「……だから、帰ることが出来たとしても、いきなり居なくなりません」

「…………」

「アンがちゃんと……大丈夫になるまでは、ここにいます……から」

「……うん」


 それでもアンが頷くなら。咲人わたしを必要としてくれるのなら。

 私はこの娘を守ろう。そう咲人は想った。

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