第21話漆黒の貴公子ヴィンセント ―アラン―

 なんで、生きているんだ?

 10年前に死んだと……

 金色の魔王の瘴気に当てられて死んだと、あの日城に居たものはみんな死んだと聞いていた。

 懐かしくて、嬉しい……

 生きていたことが嬉しい。

 希望のように感じた。


「アシュリー。大きくなりましたね」


 ヴィンセントの心地よい声音も変わらない。

 そのままだ。

 父様と同い年であるはずだから流石にその姿は40を越えたように見えるけど、2、30代にも見える年齢不詳もそのままだ。

 例えるものも見つからない切れ長の目元、黒い絹糸のような髪、陶磁器よりも滑らかな肌、形容し難い美貌も何もかもそのままだ。

 誰もがその美貌を讃え、誰もがその姿を見たがった。

 ヴィーは涙を堪えきれずに目を大きく開いている。


 弾き返されたアシュリーは再びヴィンセントに向かって剣を振り下ろすも風に阻まれ刃を交わすことも出来なかった。

 ヴィンセントの側に控える黒い小犬は……アリスの?

 益々混乱する。

 アリスの小犬がなんでヴィンセントの側にいるんだよ。

 だからか? だから剣も魔術も苦手としていたヴィンセントが剣と魔術を使っているのか?

 昔、あの小犬ケロベロスが側にいるときだけは父様は魔術を使えたと聞いた。

 人では使えないはずの転移の魔術ですら出来たって、アリスですら転移なんて高等な術を開発できなかったっていうのに。


「アシュリー……あの犬……」


 ヴィーが震える声でアシュリーに声を掛ける。


「あの犬がなんですか?」


 剣を構え、警戒を張り巡らせている。


「覚えてないのか? あれはアリスの小犬だろ?」


「……覚えてません。母さん犬飼っていたんですか?」


 アリスと黒い小犬はいつも一緒にいたんだけど、アシュリーは幼すぎたのだろうか?

 伝承歌にもアリスの小犬は出てくるはずだ。

 まさか聞いたことがない?

 そんなことないはずだ。

 傀儡の勇者と貶められていてもアリスの伝承歌は人気がある。

 街にいけば必ず聴ける。


「マリアはここにいないのですか?」


 ヴィンセントは辺りを見渡した。

 彼に応えるようにケロベロスが一声鳴くと、その場に放り込まれたようマリアが現れた。

 本当に突然だ。


「ヴィ……ヴィンセント……様?」


 喉の奥から絞り出すよな声を漏らした。

 自分のおかれている状況にマリアはまだ気が付いていない。

 いや、ここにいる誰もがわかってなんかいないだろう。

 わかるわけがない。

 どうしてわかるっていうんだ。

 抗うことすら出来ずにヴィーは涙を溢し、いつものようにレオは呆け、マリアはらしくもなく戸惑い、アシュリーは剣を構えていた。


「……王様まで……」


 マリアは躊躇うことなく膝を折った。

 マリアにとって金色の魔王となっても父様はレイディエスト国王なのだろう。

 まだ東の大国と呼ばれていた頃、レイディエストの城でよく見た光景がそこにあった。

 玉座に悠然と座り、漆黒の貴公子と呼ばれる男が側に控え、マリアがいる。

 黒い小犬を侍らせたアリスがいれば完璧だ。

 足りないのもの多くあるけど、それは懐かしい光景だ。


「再び目見えることに喜びを申し上げます」


 マリアは嬉しそうに、本当に嬉しそうだ。

 盲目的ともいえるマリアの忠誠はいまだに健在ということか。


「王様、恐れながら聞きたいことがございます」


 父様は頷きマリアに先を促す。


「アリス様を贄としたその犬をなぜ側に置いているのですか?」


 なにを言っているんだ。

 聞きたいことがそれって……

 他にもあるだろう?

 なんでそれを、アシュリーの前で聞くんだ?

 アシュリーの手が震える。

 少し考えればアシュリーがなにを思うかわかるだろうに。

 どうしてマリアは……らしくない。


「アシュ……」


「うわぁぁぁぁぁ!!!」


 アシュリーがケロベロスに飛びかかっていく。

 止める間も、声をかける間もなかった。

 剣が届く前に弾かれるも、アシュリーは何度もケロベロスに斬りかかる。

 何度弾かれようとも気にせず、何度影に騙されようとも何一つ決定打にならずともアシュリーはケロベロスに向かっていく。

 アシュリーは母の敵が目の前にいると初めて知ったんだ。

 感情を素直に出すアシュリーが思うままに剣を振るう様を止められるわけが、止めようとも思わない。

 アシュリーの相手も飽きたというかのように魔術弾を放った。

 魔術弾の一つを剣で弾くも数が多くアシュリーに向かう。

 ヤバい! ここからじゃなにも間に合わない!

 黒い焔が魔術弾を弾く。


「アシュリー!?」


 レオの黒い焔がアシュリーを守るも、爆ぜた衝撃が残りアシュリーの意識を奪った。

 黒い小犬はその身を震わせ片眼鏡をかけ黒で纏めた礼装の男へ姿を変えた。

 ケロベロスが……暴食の魔王ベルゼブブだと?

 ずっと、アリスの、父様の側に居たというのか。


 ……知らなかった……


 ただの魔物だとは思ってはいなかったが、まさか魔王だとは思わなかった。

 そりゃ子供だったし、知らなくて当然だけどさ、俺たちは7体の魔王と過ごす時間があった。

 その時でさえ気がつかなかった……

 全ての元凶が……ずっと側にいたなんてさ……


 ベルゼブブはアシュリーを一瞥し、鼻で笑った。


「アリスよりもケロベロス、ベルゼブブの方が大事だからだ」


 身も蓋もないことを言う。

 アリスは子供の頃から一緒にいたんじゃないのか?

 ずっと父様に仕えていた臣下じゃなかったのか?

 こんなの、アシュリーに聞かせられない。

 聞きたくなかった。

 マリアだって聞きたくなかったはずだ。

 父様は……こいつはなんだと思っているんだ?


「マリア、聞きたいことはそれだけか?」


 父様……金色の魔王の冷たい声だけが響く。

 アシュリーを介抱しながらヴィーは父様を睨み付けていた。


「……アリス様はずっと王様に仕えていたのにどうして」


 マリアの呟きに金色の魔王は


「付き合いだけでいえばベルゼブブはもっと昔から俺に仕えている。気紛れだけで拾ったマリアには理解が出来なくて当然だ」


 マリアが体を震わせている。

 マリアが師と仰ぐヴィンセントとマリアは特別だ。

 父様にとって特別な二人だと思っていたはずだ。

 俺たち家族以上のものがあると思っていたはず。

 マリアが欲しかった言葉はそんなものじゃない。

 ずっと、ずっと信じていたんだ。

 あいつの信じている俺の父様レイディエストの王はもっと……優しく寛大で偉大な王だ。

 言葉を選ぶことも出来ない男じゃない。

 こんな優しさを知らない冷たい男じゃない。

 俺たちの知っていたクリストファー王ではない。

 たったこれだけの言葉で信じていたものが崩れていくとは思わなかった。

 あんなのが父様だと……思いたくない。

 金色の魔王を父親だと思われたくない。


「他になければ俺はもう行く」


 項垂れているマリアに視線を送ることもなく金色の魔王はマリアの横を過ぎ、俺たちに興味を寄せることもなくレオの前に立つ。


 俺たち双子に興味すらないのか。

 父親だと家族だと思っていたのは俺たちだけだった。

 やつは気にする素振りさえないんだ。

 10年ぶりに顔を合わせたっていうのに……金色の魔王なんかになったせいで俺たちは、どれだけの目に合ったと思っているんだよ。

 まだ親に甘えたい盛りの子供だった俺たちは庇護をなくし、蔑まれ、辛酸をなめた。

 ヴィーだってあのまま城で暮らしていれば蝶よ花よと綺麗なものに囲まれて、土埃にまみれた旅なんかせずに済んだんだ。


「俺たちに言うことはないのかよ!」


 父様は俺に一瞥くれるとレオに向いた。


「この姿のレオは新鮮だな」


 なに笑ってんだよ……

 そんなに素直な笑顔、見たことなかったよ。


「色々すまなかった」


 なんでレオに謝るんだよ。

 相手が違うだろう。


「俺の子供達を守ってくれてありがとう」


 は……?


「これからも子供達を頼む」


 父親振るなよ。


「親父になったのに、レオに甘えてばかりだな」


 意味がわからない。

 レオだって困ってるじゃないか。

 レオは金色の魔王の配下じゃないんだ。

 レオにそれ以上近づくな。


「アラン。ヴィクトリア」


 父様に名前を呼ばれることが嬉しいと……違う!

 なんで喜ばなきゃいけないんだよ。

 でも……気持ちが……


 父様に会えたことを喜んでいる俺がいる。

 父様が俺たちにしたことに怒っている俺がいる。

 父様が父親として俺たちを心配していることに安心している俺がいた。


「大きくなったな」


 そりゃ10年も経てば子供じゃなくなる。


「苦労をかけた」


 本当に苦労した。

 わかってるのか?


「すまない。守ってやれなくてごめんな」


 なんでそんな顔するんだよ……


「まだ苦労はかけるけど、俺はお前たちを忘れたことはない」


 父様は……金色の魔王だろ?

 そんな普通の父親の顔するなよ……

 恨みきれないじゃないか。

 俺たちは父様を、金色の魔王を倒すために……

 父親に戻るなよ。

 どうしたらいいのかわからなくなるだろう。


「一緒に暮らせるように……せめてお前たちが苦労することがないようにするから」


 誰が金色の魔王と一緒に暮らすか……父様は敵なんだ。

 敵なら最後まで敵でいろよ……


「もう暫くよろしくな」


 屈託のないその笑顔がうれしいと感じてしまう。

 もとの冷えた表情を青い目に浮かべ、話は済んだと、俺たちの話は聞くこともないと、姿を消した。


 勝手すぎだ。

 言いたいことだけ言って……父親振るなら俺たちの話も聞けよ。

 自分の事だけじゃないか。

 自分勝手は変わらないんだな。

 金色の魔王になる前から父様は自分勝手だった。

 だからこそ大国の王を勤められたのだろう。


「お父様……」


 ヴィーだって、俺だって言いたいことはあったんだぞ。

 この10年どんな想いでいたか聞いてくれたっていいじゃないか。

 本当に自分勝手だ。

 

「アランさん? 大丈夫?」


 レオが俺の肩に手を乗せた。

 なんだ? 急に地面が揺れて……違う。

 世界が回っている……?

 目の前にいるレオの顔がぐにゃぐにゃと歪んでいく。


キィィィィィィィィ━━━━━━ン


 なんだ?

 この音?

 金属が擦れるような嫌な音だ。

 耳鳴りか?

 

 うるさい!


 頭が割れそうだ。

 立っていられない。

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