美味しい話には裏がある

昴 なつき

美味しい話には裏がある

「先生、今度の連載ですが……グルメ物なんてどうですか?」

 編集者が電話口でそう言った。

「ああ~、良いですね。最近流行りらしいですね。グルメ物。書いてみようかな」

 最近シリーズをひとつ完結させた彼が答えた。

 彼の名前は、事情があってココでは伏せておくことにする。かなりの人気作家であるという事だけ理解しておいてもらえればよい。

「先生? 何か当てがありますか? グルメ物書くにあたって」

 編集者が何故か突然そんなことを言い出した。

「あると言えばあるし、無いと言えば無いし」

 歯切れ悪く彼は答えた。

「そうですか!!」

 突然編集者の声が弾む。

「先生、ならば取材旅行とかどうですか? 飛騨の辺りに!」

 確実に1オクターブは声が跳ね上がっているだろう。編集者はまくし立てる。

「僕が、責任持って編集部と交渉します。グルメ物で行くならグルメ旅的な話にしましょうよ」

「はぁ……」

 彼は気のない返事を返した。実のところ彼はあまり食べ物に詳しいとはいえない。シリーズが完結したばかりで、すぐに次が決まるなどと微塵も考えていなかったので、単にお愛想で書いてみようなどと答えただけだった。

「まあ、今はシリーズ終えたばかりですし、少し充電しつつグルメ物のプロット考えてみますよ」

 彼はそう答えて電話を締めくくった。

 そうは言ったものの元来が料理は食えれば良いという彼、グルメ物などと言われても何をどうすれば良いかアイデアも全く浮かぶことも無く、数日が過ぎ去って行った。

「先生、一旦立替になりますが取材旅行許可取りました。とりあえず、京都へ行って湯豆腐の取材しましょう。そこから飛騨へ周って、飛騨牛の味噌鍋。良い店があるらしいですよ。タイトルは、進撃の鍋グルメ旅とかどうですか?」

 すっかりグルメ物の話など忘れかけていたある日、編集者からの突然の電話。

 あれよあれよと言う間に話が進んでしまい、彼は東京駅で編集者を待っていた。

「先生、すいません。ちょっと今月は子供の入学とか有って、申し訳ないのですが、先生のほうで取材費立替よろしいですか?」

「うん、まあしかたないね。とりあえず手持ちそれなりにあるから立替ておくよ」

「よ! さすが人気作家!! 先生あざーす!!」

 かくして、二人は車中の人となる。

 新横浜を過ぎたあたりで、車内販売のワゴンがやってくる。

「先生、ところで朝飯は?」

「いや、まだですよ。コンビニでテイクアウトのコーヒーを飲んだだけです」

「せっかくグルメ旅行物の企画ですから、チョット駅弁を食べるシーンとかあっても良いですよね」

「は……はあ」

「お姉さん。シューマイ弁当2個下さい」

「ハイ!! ありがとうございます。2個で1800円になります」

「先生すいません。これもお願いします。あとで落としますから。あ!! お姉さん領収書お願い。名前は富士山書房で」

 彼はしぶしぶ財布を取り出した。

 横浜名物と言われているシューマイ弁当。かなりの人気弁当である。

 黄色っぽい包装を剥がし蓋を外すと、シューマイ5個に魚の照り焼き、唐揚げ、かまぼこ等が入っており、意外とバラエティに富んでいる。シューマイは小ぶりだが、肉だけではなく魚介類なども練りこんであり独特な風味が好きな人にはたまらないと言う逸品である。かなりの人気商品である事は、断言できる。

「先生、やはり名物の弁当だけあって、旨いですね~。あれ? これなんだ? 干し杏が入ってる。へ~!! 変ったものが入ってるなぁ。デザート代わりなのかなぁ?」

 などとしきりに感心しながら弁当を平らげて行く編集者。

「子供の頃は、ホームに売り子が居て弁当を抱えて売っていたんだけどなぁ。両親や祖父母に連れられて行った旅行を思い出すなぁ」

 彼はというと昔を思い出してポツリと語りだす。

「先生、新幹線窓開かないんで。普通の電車のホームにしたって売り子なんて今や絶滅危惧種ですよ。レッドデータですよ」

「ん? いや昔の家族旅行の事をチョット思い出してただけです。べつだん窓から買った弁当じゃなきゃ駅弁じゃないなんて、そんなこと言うつもりないですよ」

 そんな彼の返事を無視するかのように編集者は窓の外に目を向ける。

「先生、富士山です。うちの会社富士山書房だけにちゃんと富士は見ないと」

 などとのたまわっている。

「先生、浜松ですよ。もう浜名湖見えてきますね。そうだ、次は浜名湖の鰻の取材とかどうでしょう?」

「あ~、鰻ね~。って鍋グルメ旅って言ってなかったけ?」

 なんだかこの編集者に振り回されているような悪寒に襲われながらも彼は律儀に答えた。

「じゃあ、公式スピンオフか番外編の時にでも」

 手元のスマホに、『浜松、鰻』と既にメモを残す編集者。

 完全にこの編集者のペースになってしまっている、この取材旅行の先行きに一抹の不安を覚える彼であった。

「先生、こっちです。ちゃんとよさそうな店予約してあります」

 京都に到着してからも終始この調子。編集者は、彼を引き回す。

「やっぱり、京都で湯豆腐と言えば東山ですよね~」

 編集者はそう言うが、食べ物に詳しいとは言えない彼、郷土名物料理と言われても、秋田きりたんぽ、宇都宮餃子、博多明太子ぐらいしか浮かばないのが実情だ。

「はあ、タノシミデスネ」

 お愛想で返事をするのが精一杯だった。

「先生、ここです。さすが老舗の湯豆腐店、建物にも風情がありますね」

 木戸をくぐると庭園に囲まれた純和風の建物が見えてくる。編集者の言うとおり、建物自体は、風情の感じられる立派なものだ。

「おいでやす」

 和服姿の店員が出迎えてくれる。奥まったところにある庭園の見える個室へと案内された。

「先生、いよいよですよ。本場の湯豆腐。楽しみだな~」

 編集者のテンションはまた一段上がったようだ。

「いや、さすがだなぁ~。スーパーの豆腐とは段違いですね、先生。何と言うのかな? しっかりとした重さがあるって言えばいいのかな。このクリーミィで濃厚な豆腐と比べたらスーパーの豆腐なんてスカスカの軽いまがい物って感じしませんか?」

 編集者はそう言うが、彼には理解できていない。確かに同じ大きさの豆腐を口に含んだとき、舌の上に感じる重量はこちらの豆腐のほうがあるような気がするのだが。

 結局、編集者が語る豆腐の寸評に耳を傾けネタに成りそうな事を頭にメモしながら湯豆腐を完食する。

「せっかくだから、少し京都観光してから次の目的地へ向かいませんか?」

 彼には京都へ来たら是非見ておきたい場所があった。

「いえ、先生、申し訳ありません。宿が飛騨に押さえてあるもので。それに今から移動すれば丁度夕食時に飛騨へ着きますし」

 彼は、ざっと頭の中で計算をする。京都駅から新幹線で名古屋。JRで名古屋から岐阜。時間にすると乗り換え待ちも含めて1時間半程か。岐阜から飛騨直通の特急に乗り換え。運がよければ15時台。仮に乗り換えに時間がかかっても16時台の特急に乗れる。遅くても飛騨へ18時過ぎに到着。確かに丁度夕食に良い時間かも知れない。

「しかたない。鉄道博物館はまたの機会にしよう」

「え? 先生、何かおっしゃいました?」

 怪訝な顔の編集者。

「さあ、先生、飛騨牛ですよ。飛騨牛。日本が誇るブランド牛が僕達を待っています」

 この、取材旅行が始まってからどんどん上がり続けるテンションを隠そうともせず、編集者が動き出す。決して安くは無い湯豆腐代を彼に押し付け、会社宛の領収書を要求し、我が物顔で店を出る。

「先生、この作品しっかり取材して、絶対成功させましょうね。上手く行ってシリーズ化が決まれば、全国の旨いもの経費で食い放題ですよ。楽しみですね~」

 どうやら、今しばらくは編集者のテンションが下がることは無いようだ。

「特急飛騨。確かあれディーゼル車だよな。ディーゼル特急は初めてだな」

 そして別の事でテンションが上がって来ている彼であった。

 かくして、2人は飛騨の地を踏む。

「先生、ですから飛騨牛って呼ばれるのは飛騨産の和牛の中でもある一定の等級をクリアした特別な牛な訳です」

 飛騨牛に対するウンチクを鉄道の中で編集者が口から泡を出す意気込みで説明してくれていたらしいのだが、彼の頭の中はディーゼル車独特の音と振動にすっかり染められていた。

 半ば、上の空な状態で目的の店に入る。飛騨牛を味噌鍋で食べさせてくれる店だ。

「ですから、牛肉の味噌鍋ってやつは、原点にして頂点。文明開化の味なわけですよ」

 上の空で聞いていたのだが編集者のウンチクはまだ続いてたのだった。

 目的の料理に舌鼓を打っているところへ店主が挨拶に訪れる。

「いかがですかな?」

 売れっ子作家の取材と言うことを聞きつけてわざわざ顔を出してくれたようだ。

「先生も喜んでおられますよ。まず肉の質からして違うと。あ!! 申し遅れました。私、先生の担当編集者のこういうものです」

 そそくさと名刺を店主に差し出す編集者。

「それに、何だろう。鍋のはずなのに香ばしい匂いが漂ってきて。なんとも言えない良い香りがする鍋ですね」

 彼を差し置いて勝手に話を進める編集者。

「ああ、それはですね。味噌をなべ底に塗っているからですよ。出汁に溶けきれない分が鍋底で焼け焦げて香るんです」

「ああ、なるほどそれでか。味噌田楽の香りに近いとは思っていましたが」

 編集者がしきりに感心している。

 彼にとっては味噌田楽といえば、煮込んだ蒟蒻に甘い味噌をかけたものしかイメージできないが、田楽という料理は元々豆腐を串に刺し味噌を塗って焼いたものである。

 何か少しは答えないと、そう考えた彼が口を挟む。

「なるほど、ソコがミソということですね」

 その言葉に店主が思わず噴出す。

「さすが、人気作家の先生でいらっしゃる。まさか、駄洒落で返してくるとは。あはははははは。期待してますよ、新作。是非買わせていただきます」

 店主はそう言うとポンポンと拍手を打つ。

「こちらは、店から特別にサービスさせていただきます。牛霜降りの握りでございます」

「先生、これは傑作を書かないといけませんね。僕も期待していますよ」

 と、余計な事を付け加える編集者。

「はぁ、頑張ります。ご期待下さい」

 と、生返事しか出来ない彼であった。

 1泊2日食費交通費宿泊費で二十数万、こうして生まれた彼の新作。タイトルは『進撃! 鍋奉行が行く!!』という。社長業を引退したとある富豪が、3人のお供ともに全国の有名鍋店舗をお忍びで周り、化学調味料や代替食品等でごまかしている店を成敗して行くというストーリー。

「先生。申し訳ありません。先日頂きました原稿の件ですが」

 編集者からの電話。

「実はですね。チョットあれなんですが」

「えっと、どこか修正箇所でもありました?」

「いえ、あの」

 比較的普段でもテンション高めの彼の歯切れが妙に悪い。

「申し訳ありません。あれ没になりました。グルメ物でありながら、食べ物の描写がイマイチで、その分鉄道での移動の描写が妙にリアルすぎて、何というかその、グルメ物らしくない。そう言った指摘が編集部内で多数上がりまして」

「ああ、そうですか。わかりました」

「で、あと2つお知らせが」

 編集者のその言葉に悪寒が走る彼。

 没だけならまだしも、この失態で新作すら出せなくなるのではと冷や汗をかく。

「取材費なんですが、没なので出せないと編集長が、あと自分グルメ雑誌の編集部に異動になりますので、後日新担当がご挨拶に伺うそうです」

 それだけ伝えると編集者はそそくさと電話を切ってしまう。

「はぁ……やはり美味しい話には裏があるわけだ」

 無言になった受話器を見つめ盛大なため息をつく彼だった。

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