摂理の奴隷

 




 おそらくは、宮城セツは医療ミスと揶揄されることになるだろう。マラソンやスカイダイビングに熱中していた、人生で最も輝いていたころの見た目なのに、たぶん陰口の対象になるだろう。相場として、定年をすぎているだろう観相の持ち主は差別的スラングの標的にされやすいんだ。


 生体からはファベーラの住人として怖がられ、幽体からは医療ミスだとバカにされる──せめて覚醒霊でなくなる方法さえあれば、セツの不幸は軽減されるだろうに。


「宮城某に同情したか?」


「え?」


 図星を突かれ、危うくプリムローズの花束を落としそうになった。


 有名無名を問わず、許多の生と死を見つめてきた漆黒の双眸が、視線の定まらない軟弱な私のを射通す。


「方舟の舵は摂理が取る。クルーに権限はない」


「はぁ」


「いや、方舟とは如何様の方便にすぎず、実体はただの奴隷船かも知れない」


 低く声を這わせると、ようやく鋭いまなざしを外し、円蛇さまは大世界の夜空を仰いだ。


「我々は摂理の奴隷かも知れないのだ」


 ぎぃ。ロッキングチェアが哭く。


「支配者が弱者ならばレーニン坊やの言葉も意味を成そう。しかし摂理を想定した言葉ではない」


 摂理は永久の強者だ──そうつづけ、ゆっくりと目を閉じた。


 摂理を語るときの円蛇さまは、とても美しくて、哀しそうでもある。悟っているようで、あきらめているようにも見える。


「ならば我々は永久の奴隷。奴隷は奴隷。降り、従うのみ。善い悪いの話ではないぞ?」


「はぁ」


「ふん。空美ごときにはわからないか」


「ゴトキゴトキと言わないでください」


 はん──とびきりの鼻息を漏らすと、円蛇さまは顎を引き、ふたたび私を睨んだ。哀しそうな、あきらめているような表情は一瞬のことだった。


「言うようになったものだ」


「すいません」


「空美ごときが」


「はぁ」


「泣いたくせに」


「え?」


「宮城某を放置して泣いたくせに」


「んもう、九十九さん……!」


 すると、彼女はこんなことを口にする。


「どれ。慰めてやろう」


「え? え? え?」


「見てのとおり、胸を痛めているのだ。なにせ、あたしは空美のことが大好きなのだからな。ゆえに、抱きしめ、頭を撫で、心の傷を癒してやろうと画策していたところだ」


「かくさく」


「だから、寄れ」


「よ」


「近ぅ寄れ」


 真顔で命ずる。貶したかと思えば不気味なほどに優しくもなる。しかも表情の変化がなく、声のトーンも変わらないまま。だからなおさらに正解がわからないというもの。


 まごついていると、


「家を失いたいか?」


「職権乱よ」


「冗談に決まっているだろう?」


 冗談とは思えないトーンで語尾を遮り、あくまでも真顔で手招き。


「言うようになったものだ。泣いて帰ってきたというのに健気なことよ。よって慰めてつかわす」


 本当に慰めるつもりらしい。頭を撫でるつもりらしい。母性的なひとといえば美談にもなるけど、私にとっては「奇天烈なひと」のひと言に尽きる。


 これでも幽協環境部かんきょうぶの職員だ。一定の区画内にある施設を管理し、迷子があれば案内し、治安に目を光らせ、愚か者があれば容赦なく強制排除にかかる。管理に広報に警備と、なんでもござれの特別国家公務員。産方の伝説的な経歴といい、円蛇さまはすごいひとなんだ。


 静かにしていれば。


「ほれ。ずいと寄らんか」


「はぁ」


 やむなく、プリムローズをうしろ手にすると、おそるおそる階段をあがる。おそるおそるロッキングチェアのまえに立ち、おそるおそるひざまずく。


「ここに頭を乗せよ。埋めよ」


「はぁ」


 組んでいた脚をほどき、みずからの太ももをぺちぺちと叩いて誘導する円蛇さま。もちろん私に拒否権などない。奴隷のように上半身を畳むと、分厚い太ももの間に左の頬を埋めた。


 新品のコルクのような弾力の太もも。観相40代前半──まだ太平とはいたらない時代によって鍛えられた太もも。女傑の太もも。


 ほのかな薔薇のフレグランスもする。日本のものでも欧州のものでもない。根拠はないが南米の薔薇をイメージ。


いヤツだ」


 満足そうな囁きとともに、がっちりとした掌が後頭部に触れた。いや、触れたというか、太ももの奥底へと頭を押しこめられた。凄まじい腕力。抵抗する倫力も慟力もない私はされるがままで、魂が観念したころ、ようやく頭をワシワシと撫でられた。いや、撫でられたというか、削り節をこさえるほどの力で摩擦された。


 まいった。丁門を入ってすぐのところなのだ。ただただ他人に見られないことを祈るばかり。


「元気になれ」


「あり、が、とう、ござい」


「馬鹿をいうな。よく有ることだ」


「はぁ」


「これからも存分に甘えるがよい」


「そうします」


「それはそうと、客が来ている」


「そうですか……え?」


「空美の家に行くと告げていたな」


「え!?」


 驚いて顔をあげた。いや、あがらなかった。武将の腕力で頭を押さえつけられたまま。


「遊びに行くと」


「だ、だれ、ですか?」


「1時間もまえの話だ」


「ええッ!?」


「かれこれ1時間もの間、ふたりを待たせている」


「ふたりッ!?」


 しかし、やっぱり頭は微動だにしない。鉄壁の閂がかけられている。


「あの、放してもらっていいですか?」


「オオゴトだな」


「治ったので、もう、傷」


「ドエラいことだ」


「おかげさまで」


「ラストするかも知れないな」


「そろそろ」


「気の毒でならない」


「放して、ほしい……!」


 右足を立てて踏ん張ると、大きなカブを収穫するように頭を引き抜きにかかる。もちろん犬も猫も鼠もいない。うんうんと1分以上も格闘したのち、いったんプリムローズを床に置き、円蛇さまの膝に両手をあて、死に物狂いの格闘がさらに1分以上もつづき、


「ホントなんです、ホントなんですって……!」


 ようやくワインボトルの栓が抜けた。勢みで尻餅をつく。ぜんぜん痛くはないが痛恨の焦り。慌てて花束を拾うと、


「もう行きます、ので」


「成長とは寂しい喜びだな」


「おかげさまです」


「言うようになったものだ」


 一足飛びに階段をおりる。それから、隻腕の女武将に向かって一礼し、


「大好きですよ、円蛇さま」


 感謝の捨て台詞を残して踵をかえした。


に、言うようになったものだ」


 まんざらでもなさそうなつぶやきを背中に拝聴しながら走りだす。


 円蛇さまの言い方から推理するに、たぶん、客というのは私の先輩にあたるひとたちだろう。だとしたら大変だ。先輩を1時間も待たせるだなんて、オオゴトにもホドがある。




 

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