Vol. 01  空美はさっさと帰りたい

Scene 01

紹介屋ギルド

 




「仕事」


 お尻まですとんと落とされた艶やかな黒髪。その捻れのない潔癖さは、どんな流行の戦斧にも裂かれることのなかった高踏的な紋章クレストのよう。


「あるんだけど」


「はぁ」


 フェレットを思わせる円らな瞳を理知的なフレームレスの眼鏡で匿っている。その指紋の見あたらないナイーヴなプリズムは、盾となってお姫様を守護する聖騎士団パラディンのよう。


「すっごいあるの」


「はぁ」


 1枚きり、乳白色のサテンドレスを全身にゆったりとまとっている。幅広く開いている襟もとで遠慮なく色香をふり撒く雪肌せっきは、未成熟なお姫様の醸しだす、見る者の心底をざわつかせる背徳的な無垢のよう。


「もう忙しくって」


「はぁ」


 サテンドレスとは対照的に、重たそうな血の色のパンプスを履いている。無垢なお姫様を待つ、血塗られた歴史を抱える王公一族ならではの宿命さだめのよう。


「猫の手も借りたいほどに」


「はぁ」


 パンプスよりも毒々しいクリムゾンカラーの、厚みのない冷淡な唇にゴロワーズをくわえさせている。毎夜の晩餐会、隣国の放蕩王子が企てる手遊びに染まったお姫様の、密かに彼女を慕う聖騎士団長を悶々とさせる背伸びのよう。


「死者の手も借りたいほどに」


「……はぁ」


 などと、私は空想してやまない。目のまえの椅子に居丈高に座るこの女性には、疚しく空想させる絶妙なギャップがあった。


 美人タロット占い師、入間いるま梨花りか。ひとは、彼女のことを『イルマ姉さん』と呼ぶ。


 表情を司るすべてのパーツが、表面積の小さな顔のうえに黄金の比率で配置されている。童顔でもあり、はッとするほど清楚な面立ち。お姫様やお嬢様という形容もよく似合う。


 静かにしていれば。


「手伝ってくれるよね?」


 残念ながら声はガラガラ。百戦錬磨の女子プロレスラーをイメージさせる。お酒のせいで煙草のせい。


 事実、酔えば陽気なヘヴィスモーカー。暗室に恋し、ウォツカを愛し、ダーツに焦がれ、でも絶望的にヘタで、グラスを片手に暴投を照れる姿が絶句するほどにおそろしい。


「手伝ってくれるよね?」


「……はぁ」


 素面のときはさらにおそろしい。ひたひたと忍び寄るような重圧をナチュラルに漂わせている。無頼漢の峻烈さとは異なり、相手の負い目につけこんで弱らせてから一気呵成に縛りあげそうな、古典ヤクザの手練手管をほうふつさせる冷徹なロジックを全身に顕現させている。


「最近」


 くわえ煙草の舌を器用に発音させる姿も、さまになっている。


「ぜんぜん仕事してないじゃん」


「はぁ」


 負い目だらけの私には、生返事を重ねることしか応答手段がない。カラス貸しの高利にクレームも叫べず、逆に「借りたものを返さないのは人道に背くよねぇ?」と問われて項垂れる後ろ暗い債務者のよう。そうとくれば当然のこと、イルマ姉さんは白雪姫の顔色を変えない。むしろ生返事こそ好機チャンスといわんばかりに、


「べつにあたしはかまわないんだけどさぁ」


 いったん捨て置くと、蒼い血管の浮かぶ華奢な右手で優雅に髪をかきあげた。為す術もなく立ちつくす私よりも低位置に座っているというのに、不思議と、目にも明らかな上から目線。


「だって人件費なんて発生しないわけだし」


「はぁ」


 純白のテーブルクロスが敷かれる金色の円卓をまえに置き、おなじく金色の、異様に背もたれの高い椅子に腰かけている。腕組み・脚組み・くわえ煙草・冷徹なまなざし──これら刃のエゴイズムをフレグランスに光らせ、おへそのあたりに両手を重ねたまま微動だにできずにいる私を見すえるイルマ姉さん。このまま神輿のように奴隷に担がせても違和感はないだろう。


望月もちづき空美そらみの話をしているの」


「はぁ」


「どうせヒマなんでしょう?」


「はぁ」


「前回ほど難しくはないと思うよ?」


 ここで、私の生返事が途切れた。


 予想どおり、前回の話が出た。2週間前の話。泣きわめかれ、駄々をこねられ、突き飛ばされ、


『もうおまえ……死ねよッ!』


 ロストしかけたときの話。


 足先から、まるで霧が晴れるように消えていく私の身体。消滅のスピードは思ったよりも速く、太ももまで達してようやくロストしていると気づいた。狼狽しながらもジーンズのポケットを探り──そうして、間一髪で完全消滅からまぬかれた。


 私に「死ね」と訴えた少女は、いまもポストの脇にうずくまったままでいる。もう2度とそこを動かない。動かず、死んだ魚のような瞳で一点を凝視している。やっと叶った夢を凝視している。やっと叶い、同時に、永遠に叶わなくなった夢を凝視している。


 帰りたがってる。


 間一髪で生還したいまだからこそ、私は思う。私にできることはもっとあったはずだと。ああしていたらと。こうしていればと。でも、タラレバを相殺する妙案を閃くことはならず、むしろ後悔の念が膨らんでいくばかり。覆水は盆にかえらず、なにも手につかない虚無に罹患したまま、2週間、私はいたずらに寝こみつづけた。


 自分の才能のなさを改めて痛感してからまだ間もない。だから、願わくば忌まわしい記憶は封じておきたかった。せっかくベッドから起きあがれるぐらいには回復したのに、さっそく封を解かれて落胆。


「いつも忙しいわけじゃないんだから」


「はぁ」


「過疎る日だってたまにはあるんだし」


「はぁ」


「倒産することはありえないけどね?」


「はぁ」


「ほら、少子化だったりもするじゃん」


「はぁ」


「のちのち日照ることを考えればさぁ」


「はぁ」


 ぼろ。サテンの太ももに灰の塊が落ちた。気にする様子もなくノールックで払いのけると、


「だから」


 彼女はおもむろに、円卓の中央で高く平積みになっているタロットカードへと右手をかぶせ、


「仕事があるうちに」


 ひと息にスライド、横一線に崩した。


 カードの裏地には、枯れた蔦が縦横無尽に絡まりあっている。しかし、その奥にどんな災厄が隠れているのかはこの女帝しか知らない。


「見せてほしいんだけど」


「見せ、る?」


「意欲」


 講談師のように凄むと、マニキュアを嫌う細長い指先で中央のあたりの1枚を引いた。


「総務のあたしとしては……の話よ?」


 総務というビジネスライクな単語の響きは彼女にはふさわしくない。親方だ。ギルドの親方。ブラックドラゴンを手懐け、颯爽と跨がり、あの神々の戦争ティタノマキアを駆け抜けたことのある親方──とイメージしてみたとたん、私は危うく噴飯しそうになった。


 ときに、責められている感覚がピークに達すると、私はこうして現実逃避しようとする悪癖を持っている。きっと、怒られたり、叱られたり、責められたりすることに慣れていないからなのだろう。事実、いままでだれも私を怒らなかった。叱らず、咎めず、責めなかった。あきらめたふうにして、呆れたふうにして、だれもが私の目のまえを素通りしていった。


 イルマ姉さんは、私にとってはじめての、普通に責めてくれるひとだった。しかも、女らしくねちねちと。


「それとも」


 まさか噴飯するはずもないけれど、私の悪癖を察知したかのように彼女はぎろりと睨めつける。そして、こんなことを尋ねる。


「そろそろ給料がほしい?」


「いえ」


「必要ないもんねぇ?」


「はぁ」


 じつは、いくらかのお金は所有している。ライヴポイントを使って手に入れた日本円。骨董屋『金銭廻廊きんせんかいろう』は私の行きつけのお店だ。あそこには、ポイントがいくつあっても足りないほどのお金が売られてる。


 観賞すること以外、まったく用途のないお金。私のような使い方をしているひとは、たぶんひと握りしかいないだろう。いや、私にだって使えない。お金なんてこの世では無価値なものなのだから、持ち腐れであることに違いはない。


 でも、使えるとか使えないとか、有価値だとか無価値だとか、そういう次元の話ではない。


 あくまでものためにお金を買っている。購入し、所有し、使用している。どんなに他者に理解されなくとも、私にとってのお金とは、なくてはならない価値のあるもの。


 と、ここでイルマ姉さん、


「じゃあ、はいこれ」


 どこに隠し持っていたのか、4つ折りの紙片を卓上へと投げた。ごく普通の、メモ用紙の切れ端。


「詳細」


「え」


 まだ、やるとは言っていない。


 前回とまったくおなじ流れだ。危うくロストするところだった、前回と。


「行くだけ行ってみて?」


 行くだけ行ってみれば、あとはなにをどうしたところで仕事へと取りかからなくてはならない。これをサボると『契約怠業放置罪けいやくたいぎょうほうちざい』という罪で捕まってしまう。重罪だ。私の仕事とはそういう仕事であり、つまり、そういう仕事だとわかっているからそういう言い方をするイルマ姉さん。


 間違いなく私の憂鬱を熟知しているだろう彼女は、なおも簡単そうにつづける。


「80代のお婆ちゃんだし、大丈夫よ」


「はぁ」


 ちなみに「大丈夫」という言葉は、問題はあるけれどきっと乗り越えられるだろうという期待があってはじめて正しい意味となる日本語だ。本来は慰めのための言葉ではない。


 やっぱり、問題はあるらしい。


 なるほど、私に仕事を依頼するのだから問題がないわけがない。問題なしと胸を張られる理由なんて、万にひとつもない。私自身でさえもそう思う。なのに、イルマ姉さんはアッケラカンと、


「老人は達観してるだろうからさ」


 蠅でも追い払うかのように、引いたばかりのカードでメモを弾き、こちらへと転がした。よりにもよって「塔」のカードで。正位置であれ、逆位置であれ、災難しか暗示してくれない最凶のカードで。


 んぐ。固唾の不安を飲みこむ。だって、イルマ姉さんの占いはよく中るから。


 中学生からビジネスマン・戦火をくぐり抜けた諸先輩方・政界・法曹界・裏社会にいたるまでのひとたちが、34歳の、でも年齢不詳の、ヤサグレている女帝を頼っては長蛇の列を織り成している。それどころか、なぜかファンクラブまでもが存在している。冷徹に叱責し、人生を否定し、奈落の底へと叩き落としておいて、まるで天女のようなやわらかさで拾いあげるという指南術が、ちゃんと叱られてみたい仔羊たちのハートをびびッと誤解させているらしい。


 ファンメールもしばしば届く。赤面するほどの熱いメッセージをしばしば朗読させられる。声が小さいと叱られながら。


「あの」


 お得意の小さな声をさまよわせながら、おそるおそる、私は右手でメモを摘まんだ。摘まんだとたん、


「ぅいッ!」


 ぱちッ──静電気のような鋭い刺激が指先を刺し、思わず五体が萎縮。この痛みには慣れない。


 右の指先をこすりあわせる。同時に、反対の手でメモをつかまえると、怖々とつづけた。


「あの、お花が」


「あぁ!? もうなくなったの!?」


 私の台詞を遮ってガラガラ声が飛んできた。まるで悪臭でも嗅いだかのような顰めっ面をつくるイルマ姉さん。さらに、


「なに依存してくれてんだよぉ」


「すいません」


 硬球のため息をデッドボール、しかたねぇなぁという速度で立ちあがる。顎から順に、これ見よがしに背中を向ける。ブラジルのトップモデルよろしく、くねくねとお尻を誇らせながら部屋の奥へと向かう。そして重厚そうなドアを乱暴に開け、隣に広がる生活拠点へと姿を消した。つんとする樹木の香水と咳きこみそうな紫煙──要するにオンリーワンなフレグランスを残して。




 

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