「おいしいハンブルグ」

みーたんと忍者タナカーズ

第1話

両親が戦前から営んできた食堂。

外観からは食堂とさえ分からないような造りをしてる。

ボロボロの家はろくに手を加えられることもなく、薄汚れた外壁が朽ちかけていた。

店に入るための戸さえも、滑りが悪く、一度店が開くと閉められることはない。

父は死ぬその日まで厨房に立ち、わずかに来る常連客を待つだけの日日を送っていた。

店は近所の常連がお酒を飲みに来る場所でしかなく、もはや父は料理さえほとんど作らない。客はつまみ一つ持ち寄り、店で酒を飲み、語り合う。

テレビはニュースか、野球がつけられることが多く、そのほとんどが野球談議に費やされていた。

野球が終わると、店は自然と閉店になる。

客はわずかの酒代と、最後の戸締りを手伝ってくれた。

五年ほど前に母親が死に店を閉めようという話はあった。

しかし独りぼっちになることを近所の人たちが気にして、こういう店の形態になった。

そんな父が死んで、店は完全に空き家のようになってしまった。

僕は都会に仕事を持っていたせいもあって、葬式の時くらいしか戻ってこなかった。

葬式を取り仕切る中、

「昔はこの店は行列ができるほどうまかったのになあー」

「息子さんの代になって急に味が落ちてしまって」という言葉が聴こえてきた。

母親の時もそうだったが、常連客にご近所さんが立ち寄る程度の淋しい葬式だった。

戦前からこの場所にあった店。

自慢の料理は当時としては珍しいハンブルグ。

食べに来る客のほとんどがハンブルグだけを注文した。

というのも戦後は食材も手に入らず、たまにハンブルグありの書き込みがあると、店には行列ができていた。

ハンブルグ以外の料理の味はどうだったのか、聴いたことがない。

そのせいか戦後すぐは高級料理すぎて、庶民が近づけない店になっていた。

やがて大衆食堂に業態を変えるも、客は戻ってこなかった。

祖父母の店もいい肉が手に入らなくなったせいで閑古鳥が鳴き始めたのだろう。

とすれば推測だが、祖父母は料理がうまくなかったのかもしれない。

肉といっても戦後すぐだと、何の肉を食べさせられたか分からない。

野良犬を出している店もあったと言う。

それでも美味しいと太鼓判を押していた店に、戦前から通い詰めていた常連のお年寄りは、もう一度この店のハンブルグが食いたいと口にする。

それは父も一緒で、「確かにうちのハンブルグは世界一うまかった」とたまに言う。

実際に父はその肉を食っていたのだろうから思い入れも特に強いのだろう。

祖父が死に、父が店を引き継いだ頃にはお肉も手に入れやすく、父はもう一度祖父のハンブルグを復活したいと、厨房に籠り試行錯誤していたのを子供ながらに覚えている。

我々にとって誤算だったのは、ハンブルグのレシピを知るじいじが戦後しばらくして、痴ほう症を発症し、あっという間にこの世を去ってしまったことだろう。

それゆえ人気のハンブルグのレシピはなく、父の代になってからも店は繁盛することがなかったのだ。



家は貧乏で、僕は空腹な幼少期を過ごし、食べたいものも食べられない暮しを続けてた。そのせいかお金持ちになりたいという強い野心を僕は隠し持っていた。

父は寂れた店を続け、去年の秋死を迎えた。

父がいつも口癖のように呟いていたのが、「もしハンブルグのレシピさえ残っていたなら、俺だって」だった。

そのセリフを一生呪文のように唱え続けた父に刷り込まれていたのだろうか、僕は父の死のあと遺品整理をする中で、何よりも先にそのレシピを探したほどだ。

しかし貧乏だった家には物も少なく、あっという間に夢は立たれてしまった。

サラリーマンとなった僕は父の死とともに、いつか幻のレシピを発見して、もう一度行列のできる繁盛店にしてみたいと考えていた。

それが父から受け継いだ遺言なのか、貧乏への復讐なのか分からない。

ただ野心だけが僕の中に生まれていた。

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