第26話 剣の道 09
「え……?」
姉の呆然とした声。アカネも同じ気持ちであった。
姉は優れた指導者で、皆も見るからに力を付けているのは。いち門下生であるアカネ自身が分かっていた。
だけど彼はそれを否定する言葉を口にしてきた。
「セイちゃん、それはどういうこと……?」
「そのままの意味だよ。剣術道場としてある程度の強さまで引き上げるならば、ユズリハが先生でも問題ないと思うよ。だけど剣士として強くなるなら、ユズリハが先生をしている以上は――絶対に上に行けない」
ハッキリと。
ムサシは断言する。
その言葉に衝撃を受けたのか、ユズリハは少し声音が落ち込んだ様になる。
「それは……やっぱり、私が剣士じゃないから、ってこと……?」
「端的に言えばそうだが、ユズリハが思っている理由じゃない」
ムサシの声音が少し柔らかくなる。
「ユズリハが剣士じゃないから、というのは確かな事実であり、先生役を務めるのに当たって通常の剣士の育成について疎外されてしまう部分であるのは間違いない。だけどそれは、剣士じゃないユズリハが――拳の間合いで戦うユズリハの指導が未熟である、というわけではないんだよ」
「え、え……? さっぱり分からないのだけれど……?」
「事例を示すとだな……ユズリハが一番先生をしている――指導してた時間が長いのって、妹さんだよな?」
「あ、うん。そうよ」
「その妹さんに、今日の昼、出会った時に少し試したことがあるんだよ。ちょっと気になることがあってな」
「何をしたの?」
「足さばきと判断力を見た。具体的に言うと、目の前に壁となって立ち塞がった時の避ける方法を観察してみたんだ」
(あ、あの時……)
アカネには思い当たった。
彼女が姉に対して許しを乞おうと饅頭を買いに行こうと走った時、一瞬で立ち塞がったムサシにぶつかって床にもつれ倒れ込んでいた。その後、尻と胸を揉まれたのだが。
(……)
思い出して羞恥に赤くなる。
が、すぐに首を横に振って忘れることとする。
記憶末梢。
話を元に戻そう。
(……ぶつかった件ってわざとだったのね……)
そしてあの一瞬でムサシは何かを見極めた。
何が分かったのだろうか?
その答えはムサシの口から語られた。
「あの子、思考と動きが合っていないんだよ。頭は剣士の避け方、だけど身体は格闘家の避け方。だから間合いの取り方とかがおかしくて、思考と実行の間に微小な差が出てしまっている。その一瞬の差が、俺にぶつかるという結果となって出てきていた。実際筋力も格闘家の鍛え方の筋力だったからね」
あの時、臀部を触ったのはそういうことだったのか――と先程に抹消したはずの記憶が再び蘇ってくる。
また頭を振って忘却する。
「だから今の君の先生役としての鍛え方は、格闘家の鍛え方になっているんだ。道場にしばらくいたから訓練方法も一通り目に入っていたけど、まあ、普通の人よりは良い位置に行くとは思う、っていう訓練方法だった。だけど――それはその段階までだ。剣士としては一般の域を超えない」
「……分かってはいるのよ」
ユズリハだろう、深い溜め息の音が聞こえた。
「いや、嘘。本当は分かっていなかったわ。剣士ではない私が指導できるのはあくまで基礎体力部分だけ――と思っていたけど、そこから間違っていたのね」
「これはもう経験則だからどうしようもないんだけどね。だからこの剣術道場を……そうだな、さっきユズリハが言った様に精神的に鍛える、とか肉体をほどほどに鍛える。という目的ならば続けていいと思うけど、本気で剣の道を進む――俺とかイサムの域まで達したいのであれば、それは指導者を変えない限り達成は絶対できない」
だから、と。
「本気で剣の道で上を目指させるならば、残念ながらユズリハが指導者である限り不可能なんだ」
再びの断言。
だけど、これは先に受けた印象とは違う。
彼女自身の指導に対しての否定ではない。
仕方ない、だ。
本気で上を目指すためには必要な事項がある。
それはユズリハには持っていない。
だから彼はこう言っているのだ。
「本当に君は門下生に――俺みたいになってほしいと思っているのか?」
「……」
姉が黙り込む。
彼が言っていることはそのままの意味だ。
剣士として最上級の領域。
そこまで行くためには、このような道場で訓練しているような生半可なことじゃ出来ない。
きちんとした剣士の指導を受けるべきだ。
その覚悟を――そのようなことを目的として、門下生はいるのだろうか?
その問いについては回答はただ一つ。
いない。
門下生の中で本気で剣に打ち込んでいるのは何人もいるが、ムサシの――『剣聖』の領域まで至りたいと思っている人間は一人もいない。
――ただ一人を除いて。
「……思っていないわね」
なのに。
姉はそう答えた。
「誰一人として、貴方みたいになってほしくないわね」
「言い方言い方! ……ってさっきも言ったよね、これ。流石姉妹」
「でしょ?」
おどけた様子の二人。
だけどアカネは、少なからず衝撃を受けていた。
本気で剣に打ち込み、『剣聖』のようになりたいとあれだけ言っていたのに。
誰一人としてなってほしくない。
裏を返せば――誰一人としてそれを目指していない、と姉が判断したということだ。
「……」
少しだけ気持ちが萎えてしまった。
いや、かなり意気消沈している。
このまま話を聞いていたくない。
――聞きたくない。
「……」
アカネはそっと、耳を壁から離し、今度こそ本当に自分の部屋へと戻って行ったのだった。
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