明日、世界が、終わる、その時まで。

蔦乃杞憂

前編

「明日、世界が終わる」


 と、何の脈絡のない会話から唐突に伝えられたらどうだろうか。


 あり得ないと一蹴いっしゅうするだろうか、根拠を並べて否定するだろうか、あるいはそれらを通り越して激怒するだろうか。どれにしろ、誰も彼も世界が本当に終わるなんて思っていない訳であって。


 しかし、俺こと一ノ瀬唯誓いちのせただちかに伝えられたのは、一寸の疑いも無い『世界の終わり』という事実だけだった。


 俺も最初は疑い、否定し、憤慨した。けれど、全ての感情をぶつけた所で、残ったのはやはり一つの世界が終わるという理不尽な事実のみ。


 所詮俺はただの高校生。超能力者でもなければ勇者でもない。突然力を覚醒させて全てを救い、丸く収めるなんて不可能だ。


 現実はご都合主義ではない。死んだ人間は教会で祈っても生き返らないし、かけられた冤罪は基本的には覆らない。


 つまり。俺に出来る事は。ただ指をくわえて終わりを待つことだけだった。








 軽い力で白い色の扉を叩いた。中にいるハズの『彼女』からの応答を、高鳴る心臓の鼓動を抑え付けながら待つ。


「はい。どうぞ」


「っ......!」


 思わず喉から言葉が漏れてしまった。変わらない彼女の声。いや、声質が少し大人っぽくなったかもしれない。


「あの〜、どうぞ?」


 不思議そうにこちらへ呼びかける彼女。俺はそんなに長い間扉の前で立ち続けていたのだろうか。慌ててノブに手をかけ部屋の中へと足を踏み入れた。



「えっ⁉︎ ............」


 意外にも、最初に驚きの声をあげたのは彼女......途上愛花とがみまなかだった。目を丸くしてこちらを見ている。肝心の俺はというと............正直、声が出なかった。


 たった二年、たった七三〇日会わなかっただけなのに、彼女は......愛花は変わった。それは勿論良い意味で。有り体に言うと、可愛くなった。


 いや、この年頃の女の子には可愛いではなく、綺麗と言った方が正解なのだろうか......?


 われず、ベッドに寝そべったままの髪。薄く紫がかった髪は、ボサボサに見えても髪自体は全く傷んでいないようだ。手入れをおこたっていないのかもしれない。


「唯誓............?」


 愛花は、どういった顔をすればいいのか分からないという調子で言った。掛け布団を払い、床にゆっくり足をつけた。


「あ......あぁ、久しぶりだな、愛花」


 緊張で言葉が短くなった。おまけに声が少し上ずってしまった。


「どうして......ここに?」


「おじさんとおばさんに頼まれてな。愛花を色んな所に連れ出してやってくれって」


 おじさん、おばさんとはつまり、愛花の両親のことだ。昨日『世界の終わり』を告げられ、悲しみに暮れていた俺に二人は、


「明日で全て終わりなら、せめて......せめて愛花を色々な場所へ連れ出してやってくれないか」


 と言った。


 突然で面食らったけれど、断る理由はない。それに、二年前がきっかけで疎遠になった愛花と再び話したり遊んだり出来るなら、むしろこちらから頭を下げて頼みたいくらいだった。


 仮に、三〇センチメートルの距離が俺と愛花の間にあるのなら、それが一五センチメートルに縮まるのではないか。そんな俺の希望的観測だった。


「そうなんだ......お父さんとお母さんが......」


 ほのかに笑った、気がした。俺の気のせいかもしれないけれど、出来れば本当であってほしい。


「さて! じゃあ久しぶりに再会したんだし! どこに行こっか?」


 そう言うと、愛花は勢いよくベッドから立ち上がった。しかし勢いをつけすぎたようで、大きくよろめいてしまう。


「あぶっ......なっ」


 気がつくと前に飛び出していた。真後ろへと倒れかけていた愛花の体を、両手を使って抱き抱えた。


 しかしほとんど重さというものを感じなかった。感じたのは服の感触と、愛花の体温だけ。あまりに軽いので、うっかり抱え損ねたのかと思ってしまった。


 体の動きにつられるように長い髪がなびき、ふわり、と甘い香りが鼻をくすぐった。街中なら思わず振り返ってしまうような、甘美な香り。多分、これは、愛花の......。


「ひぁっ⁉︎」


 愛花が短く叫んだ。眉をひそめる。どうしたんだろう、何かあったのだろうか......?


 ふと、左手に違和感を感じた。といっても不快なものではなく、それどころかむしろ心地よさすら感じる。優しく触れてみる。


 柔らかい感触が左手一杯に広がった。大きなクッションを鷲掴みにしているような、それでいてハリのある感触。さながら天国を彷彿とさせるソレに病みつきになってしまった。


「......ちょっと。唯誓」


「どうした」


「左手」


 自分の左手に目線をやる。


 そこにあったのは、愛花のお尻を俺が鷲掴みにするという痴漢の典型的な図だった。


「お、おぉ............悪い」


 本来なら思い切り仰け反って手を離している所だが、俺も初めから理解し、自覚した上で左手を動かしていたのだからさほど動揺はない。


 「ホンッと信じらんない! 二年前と何にも変わらないのねアンタ」


 愛花は思い切りこちらを睨みつけた。凄い覇気を感じる......。


「悪い、嫌だったな......。二度としない」


 流石に度が過ぎた。少なくとも二年間会わなかった愛花にすることじゃない。俺は態度を改めて愛花に誤った。


「別に......助けてくれたし......。それでチャラにしてあげる」


 そっぽを向きつつそう言う愛花。彼女には悪いがその仕草もかなり可愛い。



「......それで? どこに連れ出してくれるのかしらん? 王子様?」


 言いながら、自分の長い髪を指にくるくると巻きつけている。伏し目がちにちらちらとこちらを見ているのは何故だろう。何を訴えたいんだ......。


「ん......そうだな。愛花はどこか行きたい場所はあるか? そんなに遠くなけりゃ俺が自転車で連れて行ってやる」


 少しぶっきらぼうに言った。わざわざ電車やバスを使わずに自転車での移動を提案したのは、俺なりのさりげないアピール............のつもりだけど、恐らく愛花は気づかない。幼馴染だから分かる。愛花はそういった感情に対して異常なまでに鈍感だ。


 二年前、俺と愛花が疎遠になる前二人でよく遊んだ。その頃から(もしかするともっと昔からかもしれないけど)既にからっきしだったと記憶している。


 愛花を見た。何やらもじもじして、内股を擦り合わせている。こちらを見ずに床をじっと見つめている。


「それじゃあ............」


 間を置くと、愛花は顔を上げた。ほんの少し、目頭に水滴が付いていたのを俺は見逃さなかった。その涙を含んだ表情は、何かを悟ったような......上手く言い表せないけれども、とにかく決意のようなものが感じられた。



「公園、かな」







 夏本番の今日。太陽が容赦なく俺と愛花(プラス自転車)を襲っている。黒色のアスファルトは日差しを直接、大量に吸収し、ジリジリと焼けるような感覚を俺に抱かせている。


 自転車のペダルを必死になってこぎながら前を見る。アスファルトの向こうには陽炎が立ち昇り、太陽の光を屈折させてゆらゆらと不規則にうごめいていた。


 シャツには体から溢れるように出た汗が染み込んで、体に張り付いていた。それらの原因である気温は更に上昇している。(ように思える)


 ちらりと後ろを振り返ると、ニコニコと笑って俺を見る愛花の姿。愛花は俺の腰に腕を回し、体を密着させている。ただ、あまりに気温が高いために彼女の温もりはほとんど感じられない。


 それでもほのかな汗の香りと、背中の中心辺りに当たる柔らかい胸の感触だけは確かに感じられた。


 延々と続いているのでは? と錯覚を覚えてしまう程に長い住宅街の道を、二人分の体重を乗せた自転車で進む。


 いつも、というか、一人の時なら地獄だと嘆いていたこの状況も、後ろに愛花がいるというだけでその意味を一八〇度反転させていた。


 公園に行きたい、という意外過ぎる愛花のリクエストに応え、公園に向かっている最中なのだが、何故かその途中に人の姿は見られない。


 左右を見渡しても、打ち水をする主婦も、棒アイスを片手に歩く小学生もいない。いるのは俺と愛花のみ。このまま公園に着かなければいいのに、なんて、そんな自分勝手な考えが頭を巡った。



 そんな俺の考えとは裏腹に、思いの外早く公園に着いてしまった。しかしどうやらここにも人の影は見えないようだ。あるのはブランコや滑り台などいくつかの遊具と、水道、ベンチだけ。遊具は所々が錆びて腐食していて、年季の長さを物語っている。


 かすかに吹いた風が、地面の砂を巻き上げてくうへと投げ出した。木々は葉や枝を左右に揺らし、まるで人の声のような音を立てた。


 自転車を適当な場所に停める。ブレーキがかかり、耳障りな金属音が鳴った。自転車が完全に停車したのを確認すると、愛花はおぼつかない足取りで公園の地面を踏んだ。


 体を仰け反らせて伸びをし、空を仰いだ愛花は、んーっ、と声を上げた。


「なぁ、愛花。この公園に何か用があったのか? 人っ子一人いないような場所だぞ?」


 俺は部屋にいた時から募らせていた疑問をぶつけてみることにした。何かイベントでもやっているのかとも思ったが、そうでもないらしい。


「分からないの? ダメだなぁ唯誓は。ダメダメね」


 ダメを三回も繰り返すとは、そんなに重大なミスを犯したのか俺は。公園を見渡してみる。ついさっき見たばかりなので、当然だが特に真新しい物は無い。


 この滑り台もブランコも、どこかで見たような色形いろかたちをしているだけで。......そういえば見覚えがある。俺はこの光景をどこかで............?


「小学校の時‼︎ 毎日のようにこの公園で遊んだでしょ! 覚えてないの?」


「あっ......忘れてた」


 そうだった、愛花に言われるまで完全に忘れていた。道理で見覚えがあるはずだ。


 けれどもおかしい。小学生の時、愛花とほぼ毎日のように遊んでいたのは鮮明に覚えているのに、どこで遊んでいたのかに関しては、まるで靄がかかるみたいに不透明だ。それだけ途上愛花という少女の存在が大きかったということだろうか。


「まあ、小学生の頃だから今から......五、六年前だもんね。記憶なんて案外直ぐに忘れるものだし。......覚えてる方が珍しいのかもね」


 愛花は少し......いや、かなり残念そうに呟いた。憂いを帯びた目をしている。......そんな顔をしないでほしい。もう『今日』しかないのだから、愛花には悲しんでほしくない。笑っていてほしい。


「別に良いんだよ。唯誓は何も悪くないし、ね?」


 堪えかねた俺が謝ろうと口を開きかけた時、愛花は笑って言った。まるで心を読まれたような妙な感覚。どうやら俺は相当申し訳なさそうな表情をしていたようだ。鏡を見ずとも直感で分かる。


 気を遣うつもりが、逆に遣わせてしまった。何となくやるせない気持ちになる。


「そ、れ、で。ここに来た理由......だったね? 気になるのは」


 間を置いて愛花は切り出した。その言葉には、本来の話題に引き戻す為と、この微妙になった空気を払拭する意図が込められている気がした。



「この公園ね......来週には取り壊されちゃうんだ」


 

 あまりにあっさりと、愛花は言ってのけた。俺はどう対応すれば良いか分からずに視線を泳がせた。俺が覚えていなかっただけで、毎日のように遊んだ公園だ。そんなにさらっと、行ったこともない店が潰れると知った時の反応みたく割り切れるものだろうか。


「コンビニが出来るらしいから早急にね。だから、最後になるかもしれないから、どうしても見ておきたくて......ゴメン、時間使わせちゃって」


 歩み寄り、錆びた遊具に優しく触れる愛花。思い出に浸る彼女は、申し訳ないがどこか絵になるような雰囲気があった。儚く、今にも散ってしまいそうな花。そんなイメージが色濃く俺の目に残っている。


「全然。時間をムダにしたなんて思ってねーし、まず第一、お前の行きたい所に俺は行ってみたいし、見てみたいんだよ。だから愛花は昔みたくデカい態度で俺にアレコレ無茶振りしとけばいいさ」


 突然風が吹き、髪を大きくなびかせた。砂埃はおきていないようだが思わず目を細めてしまう。


 風が収まり、目を開けると、そこには何も変わっていないのに、何かが変わったように思える公園があった。


「公園は無くなっても、心に公園はいつまでも在り続けるさ」


「うわっ、クサ過ぎ。キモっ」


 雰囲気に流され、柄にもなくカッコつけたら即座にからかわれてしまった。さっきまでの弱々しい愛花はどこへ行ってしまったのか。


 ......まあ弱ってるより強気な方が『らしい』か。



 公園にある時計の短針は、『三』を示していた。



 ......『世界の終わり』まで、あと九時間。

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