■五月十九日(火) 夏凛 3
聴き慣れた声に、夏凛は眉をひそめた。
入り口を確認すると、思った通り──吉田だった。
「わたくし山麓園の吉田と申します。西尾さんは……」
ドアで所長がこちらのソファセットを見たのだろう。そこで言葉を切って、吉田がこちらに顔を向けた。夏凛と目が合う。
「夏凛!」
「……ども」
夏凛が会釈する。吉田が顔をしかめた。
「おまえんとこの責任者か何かか?」
西尾が小さな声で訊く。夏凛に訊く。
「園長・副園長の次に偉い人って感じ?」
「何で俺の名前知ってるんだよ?」
「名刺渡した」
夏凛の返事に、西尾は小さくため息をついた。それからぽんと夏凛の肩をたたいて立ち上がり、笑顔を作る。その笑顔のままドアの方に向かう。
「わたしです。ご心配おかけてしております。安達博之くんの弁護人をこちらで紹介したのですが、何か問題がありますでしょうか?」
「あ、……いや、博之は出てから何年も経ってるから、もちろんあちらから助けを求めてくれば、できることはしますが、お預かりしている未成年のお子さんとは訳が違いますから」
「その未成年のお子さんですが、夏凛はこちらで少しバイトしてもらって、博之の弁護士代の一部に充てています。当然、足りない分は博之くんが出てからもらうのと、博之にも、夏凛が立て替えた分は返すように言う話でまとまってます。……こちらへどうぞ」
西尾が、パーティションを挟んで夏凛たちの隣にあたるソファに吉田を案内する。ほぼ同時に、所長がグラスに緑茶を入れて吉田のところに持って行く。
「お茶をどうぞ。所長の風野です」
「どうもごていねいに。吉田と言います」
すると橘が夏凛たちに会釈して立ち上がり、パーティションを移動した。吉田のいるソファセットに行く。
「西尾くんの紹介で安達博之くんの弁護をする橘です。よろしくお願いします」
「ごていねいに。……博之には会えたんですか?」
「もちろん、弁護人ですから。被害者の話をしていると涙ぐむこともありましたが、基本的には元気だし、こちらの質問にも素直に率直に答えてくださるので、本人の希望通り無実を主張しようと思っております」
「……そりゃ博之は美佐を殺したりしないでしょうね」
吉田が呟く。
「ただあの子は素直だけど乱暴なので、ムカつくことを言われて殴ったら死んじゃった、っていうのはありそうなんですけど」
「被害者はナイフで刺されてるので、殴ったならともかくナイフで刺して指紋をふき取るっていうのは、皆様から伺う博之くん像から離れてるな、というのが私の見解です」
「ああ、指紋は拭き取れないですね、あの子」
吉田があっさり納得する。
「ただ、博之みたいに単純な子ならともかく、夏凛みたいに難しい子を懐柔しているのが、わたしとしては不安材料ですかね」
「……あたし難しくねえよ」
その声を聞き咎めて夏凛が呟く。
「いや難しいでしょ。ここで会ってなかったら、かなりハードル高いよ」
隼人が答える。
「っていうか夏凛、懐柔されてるの?」
栄美が口をはさむ。
夏凛は腕を組んで考え込んだ。
「まあ、知り合って日が浅い大人相手にしては、あたし、信頼してる方かな」
「そもそもどうやって知り合ったんだよ?」
隼人に訊かれて夏凛は肩をすくめた。
「博之をたぶらかしてる奴らの仲間だと勘違いして胸ぐら掴んで、そのあとパフェおごらせた」
「説明
戻ってきた西尾が苦笑いする。
「ちょっと橘さんが吉田さんと話したいって言ってるから、おまえらはこっち」
西尾に呼ばれて、栄美と夏凛、そして隼人は西尾について行った。西尾の席らしい机の周囲のあいている椅子に隼人が腰を下ろす。栄美も夏凛が持ってきた椅子に腰を下ろした。
「栄美ちゃん、実費で夏凛のとこに泊まるのは大丈夫?」
西尾の質問に、栄美は困った顔で夏凛を見た。夏凛は腕と足を組んでソファにふんぞり返る。
「あたしと栄美は仲いいけど、あたしがどこに住んでるかとか栄美は知らない」
「……言ったらまずい感じか?」
「今さらどっちでもいいよ」
西尾の慌てた顔に、夏凛はため息をつく。実際、中学までの同級生はみんな知っていたし、先日の騒ぎで高校でもその話が広がっているのは感じている。
栄美が黙って夏凛を見つめる。
夏凛も栄美を見た。
「あたし、児童養護施設に住んでるんだよ。小さい子を預かるときは、面倒見る分多めにとるらしいけど、大人は実費で泊める、っていうのを今試験的にやってるんだ。ときどき幼稚園児とその親が泊まったりしてる」
「ああ、そういう」
栄美が頷く。
「高校生なら、小さい子みたいに大人の手も必要じゃないから、大人と同じ扱いでいけるよね?」
夏凛が西尾の顔を見る。
「って吉田さんは言ってる。家から制服を持ち出せないのはつらいけど、毎日自分で洗濯して干せば何とかなるだろう。大丈夫そう?」
「洗濯機があるなら」
栄美が頷いたのを確認して、西尾はふと何かを思いついたような表情になった。。
「ちょっと聞いてみる。もしかしたら、隼人の姉ちゃんあたりが制服残してるかもしれない。人が着てた服大丈夫? 人が着た服は着られないんだったら、連絡取らないけど」
「あ、ありがとうございます。もちろん大丈夫です。おさがりも喜んで着ます」
栄美がぺこりと頭を下げた。
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