僕たちの聖域ーサンクチュアリー

藤野 朔夜

 昨日の夜から降り続いている雨は、夜が明けた今もなお一層激しさを増した。止む気配は全くない。

「いい加減、止んでくれないかな」

 俺の発した言葉に、反応は返って来なかった。

 部屋にはもう一人居るはずなんだけど……。

 窓の外から視線を外し室内を見ると、彼はソファに座って小説を読んでいた。

「ねぇ、止んで欲しいだろ?」

 前に回り込んで、小説を取り上げながら言う。

「え?あ、あぁ。雨?僕はそれほどでもないけど……」

 眼鏡の奥の目をパチパチさせて、現実に焦点を合わせてから答える彼は、

「結構降ってるね」

 小説を取り上げられても、怒る気配はなく。相変わらずの柔らかい雰囲気を保ったまま、窓の外を見やる。

「せっかくの休みなのにぃ……」

「あ、そうだよね。二人一緒の休みっていうのは、珍しいよね」

 俺は普通の成り立てのサラリーマンだ。が、彼はサービス業をしている。俺の休みは基本は土日だから、土日に働いている彼と休日が重なることは、普通ならあり得ない。

 では何故休みが一緒になっているのか?

 簡単なことだ。俺が土日に休日出勤をした代休で、彼の休みに合わせた平日の休みをもぎ取ったからだ。

 なのに、雨。

 何故か、雨。

 俺の努力を嘲笑うかのように、雨脚はどんどん強くなっている。

「退屈?」

 彼の隣に座り込んで、大きく溜め息をついた俺に、彼の笑いを含んだ柔らかい声が届く。

 俺は彼より二歳年下だ。二歳だけ。なのに、結構子ども扱いされてる所がある。

 こんな時は特にそうだ。

 でも俺は、そういう扱いをされるのが、別に嫌ではない。

 彼の場合だけに限り。

 いつもいつも甘やかして欲しいとか、思ってる訳じゃないし。彼は俺のそういう所を、しっかりと理解してくれているから。

「うん。退屈」

 頷いた俺に、彼はニッコリ笑ってこう言った。

「雨だけど、出掛けようか?」



「うわっ!!前見えてる?」

 道路に溜まった雨水を、勢いよく右車線を走るトラックが跳ね上げた為に、軽自動車のフロントは水で前が見えなくなってしまった。

「びっくりしたね。もう大丈夫だよ。何かスリリングなドライブになったねぇ」

 苦笑した彼は、豪雨の中でもあまり困ってはいない様だ。どころか……。

「楽しい?」

「そうだね。楽しいかな。いつもより雨がすごいからね。普段はこんなドライブ出来ないし。楽しくない?」

 なんて笑ってる。

「また前見えなくなると、恐いし……」

 俺の言葉に苦笑する彼。

「そっか。貴巳(たかみ)は雨嫌いだからね」

「うん。嫌い」

 即答する俺に、彼はちょっと困った顔をした。

「僕は雨、結構好きなんだけどね。出て来たばっかだけど、帰ろうか?」

 なんでもない事の様に言ってるけど。

「え、良いよ。せっかく出て来たんだし。退屈って言ったのは俺なんだし。啓司(けいし)さんといられるなら、どこだって同じだけど。それに俺が運転手じゃないから。啓司さんが楽しいなら、ドライブ楽しめる」

 慌てて俺は言いつのる。

 部屋にいても良いんだけど。でも滅入ってたのは俺だ。

「そう?なら良いんだけど」



 彼は本も好きだけど、ドライブも好きだ。

 どこかへ行こうという時には、必ず彼が運転手になる。

 俺は最近やっと就職の為に免許を取ったから、俺が運転しようか?と言った事が有る。まぁ、何度か慣れる為に運転はさせてもらったけど。でも結局は彼が「僕は運転好きだからね」という一言を言った為に、二人でどこかへ行く時は彼が運転手であることが決定している。

 俺は彼が好きな事は、あまり取り上げない様に心がけている。

 さっきの本は別だ。

 せっかく二人でいるのに、本を読んでいるなんて!である。

 俺はいつも二人でいたいんだけど、そうじゃないのかなぁ?と不安になったりするのだ。一人で本を読んでいるのを見ると。俺が隣にいるのに……って。

 自己主義?

 そんな事はわかっている。

 独占欲が強いし、自分本位だし、自分勝手だし……。

 上げればきっときりが無い。

 ずっと言われ続けたんだから、そんな事はわかっているのだ。でもだからって、すぐにどうにか出来る問題じゃない。時間をかけて治すしかないだろう?

 それをわかってくれたのは、隣にいる彼だけだった。

 だから今の俺の生活の半分以上は、彼で埋め尽くされている。

 殻に閉じこもりきっていた俺に、初めて会った時彼が言ってくれた言葉は、今でもはっきりとちゃんと覚えている。

「今すぐに周りを見て、周りの人間を気遣えって言った所で、そんなの無理なんだから。まずは少しづつやって行ったら良いんじゃないかな?誰か一人のことを、ずっとじゃなくても良いから気にかけておく、とかね」

 そう言われて、ゆっくりで良いんだと言われて。俺は何だか肩の荷がおりた気がしたんだ。

「自分の事で精一杯なのかもしれないけど、それは皆同じなんだよ。誰もが苦しんでいるんだ。君だけじゃない」

 柔らかい声で発せられた言葉に、俺は反発を覚えなかった。

 今まで何度でも言われてきた言葉と、同じだったのに。何が違ったのか、今でも良くわからないけれど。俺は多分、その時もうすでに彼の事が好きだったのかもしれない。

「うるせー。そんな事知るか!」

 といつもだったら怒鳴ってたのに。その時は「わかった」と素直に頷いてる俺がいた。

 俺はその時から、ずっと彼の隣にいる。

 彼は俺が隣にいる事を、嫌がらなかったから。

 生涯でたった一人出会える人。守りたいと思った人。

 守りたいから傍にいる。離れる気なんて、何が有っても起きない。

 だから、俺は彼の事だけを気遣う。

 それについて、彼は何も言わない。否、たった一言だけ。

「僕も自己主義なんだよ」

 と。

「それって啓司さんも俺が好きって事だよね?啓司さん以外を気遣わなくて良いって事は、そういう事だよね?」

 勢い込んで言った俺に、その時の彼は明確な答えをくれなかったんだけど。でも俺はそうなんだって、今は知ってる。

 彼は俺が社会人になって、一人暮らしが出来るようになっても、マンションを追い出そうとしない。

 隣にいても良いんだよって、態度で示してくれてる。

 だから俺は、ずっと彼の傍にいる。

 今日みたいに雨の強い日でも、たった一人で本を読んで過ごそうなんて、彼が考え付かないように。

 俺はずっと彼の隣にいる。

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