仇夢に生きる 閑話集

夏鴉

常葉と帯鉄

 痛みというものには慣れていたし、痛みを往なす術も身に付けていた。戦闘訓練で強かに木刀で身体を打たれても、ある程度平気な顔で動く方法は会得しているつもりだ。

 しかし常葉ときわは甘んじて、与えられた鋭い痛みを真正面から受け入れた。ぱあん。辺りに響く程の大きな音が鳴り、頬に熱と痛みが次々に走って行った。声は上げなかったが、眉は堪らず寄った。慣れているとは言っても、痛いものは痛い。それでも彼女の目をしっかりと見据えた。それすらも、彼女の怒りに油を注いでしまったようだけど。

「憐れみのつもりか」

 紅蓮の炎にも似た激烈な怒りが、彼女の黒曜の瞳をぎらぎらと輝かせていた。常よりも吊り上った眦と白皙の頬には薄紅が差し、きりりとした眉もまたこれでもかと言わんばかりに吊り上がっていた。

「お前の同情など要らない……!」

 怒気を全身から放って彼女は、帯鉄おびがねは吼えた。手負いの獣にも似た激しさだった。胸倉を掴まれて息が詰まる。喉を喰い千切られるのでは。そんな予感すら、常葉は抱いた。だが、怒り狂う彼女に負けじとその怒りに燃える瞳を睨み返す。

「そうじゃない」

「じゃあ何だと言うんだ! 聞いたぞ、全て」

 眉根をぎゅっと寄せて、彼女は吐き捨てる。

「お前が私を朱雀隊の隊長に推薦して、でなければ自分は青龍隊の隊長にならないなどとふざけた事を抜かしたそうじゃないか。私への憐れみか? 同情か? お前がそんな奴だとは思わなかった……!」

 あの野郎。内心で澄まし顔の上司たちに唾を吐いた。くれぐれも内密にと散々言ったというのに。このことが明かされれば帯鉄が少なからず傷付くであろう事は容易に知れたのに。胸倉を掴む彼女の手に自らの手を重ねて、あくまでも静かに常葉は言った。

「憐れみでも同情でもない。正論を言って来たまでだよ」

「何を……!」

「お前は強い。それこそ並の男じゃ太刀打ち出来ないくらいに。なのに女だからってその実力が認められないのはおかしな話じゃないか。だから提言してきたんだよ。下らない価値観に囚われるなって。俺が、気に食わなかったんだ」

「お前の力が無くとも何れ自分の力で登り詰めるつもりだった!」

 気高い言葉が常葉を貫く。逸らしてしまいそうになる目をそれでも必死に見開いて、帯鉄を見据えた。彼女の黒曜の瞳の中に、微かに悲しみの色が閃いていた。

「お前は、私を信じてくれなかったのか……?」

「違う」

「なら何故!」

「俺の隣に並び立つのは、梓以外に有り得ない。少しの間だって、俺の隣にお前以外の誰かを置くなんて、そんなこと容認出来はしない」

 紛うこと無き本音だった。彼女は強く、将たり得る器。常葉が何の手も下さなかったとて、そう時間を待たず彼女はその地位に手を掛けていただろう。このような事態であれば尚更に。幼き頃から共にこの場所を目指して歩んで来た彼女を、常葉は誰よりも認め、尊敬すらしている。そして同時に、彼女に偏執しているきらいもあった。どう考えたって、常葉は帯鉄以外の誰かに背を預ける自分というものが想像できなかったのだ。

 幸いな事に、常葉には力があった。己が我が儘を押し通せるだけの。

 常葉は、自分の為にその力を行使したに過ぎなかった。

 帯鉄とて、常葉とは長い付き合いだ。彼がその言葉を少しの不誠実さも無く紡いだことを悟って、先程までの怒りも何処へやら、戸惑ったような呆れたような表情を浮かべた。するりと彼女の手が、下ろされる。

「……お前は時々子供になる」

「まだ成人してないし」

「揚げ足を取るな。全く、いい歳した男が我が儘とは」

「勿論、実力からしてもお前がなるべきだって思っているよ」

「……その評価は、感謝する。先程は手を出したりして済まなかった」

「黙っていた俺も悪かったから、とんとんだ」

 潔く、そして綺麗に腰を折り曲げて謝罪する帯鉄の顔を上げさせて、常葉は微笑んだ。

「じゃあ蟠りも無くなった事だし、今後の青龍、朱雀隊の方針についてでも語り合おうか」





「……帯鉄隊長怖いっす」

「いやあ、あれは本当にヤバかった。一瞬殺されるかと思ったよ」

 からから笑って常葉は酒の入った盃を傾けた。緊急出動を終え、暫くは出る事もないだろうというから開けた、とっときの一品は程良く喉を焼いていった。

「ま、俺の判断は間違いじゃなかったんだけどね。お前も知っているんだろう? 梓の十人斬り伝説」

「そりゃもう!」

 こくこくと何度も頷きながら帯鉄率いる朱雀隊に所属している圓井つぶらいは興奮した声を上げた。

「オヒイサマとか何だとか言われてブチ切れた隊長が男の隊員十人相手に立ち回った挙句、散々に叩きのめしたって奴っすよね? ウチの隊にいて知らない奴はいないっすよ!」

「だよなぁ。あの場所に立ち会えなかったのが未だにすっごい無念」

「俺も見たかったっす。俺が配属された時には、もう帯鉄隊長は不動の地位を築いてたんで」

「あの一件で一気に信奉者増えたからね」

 本来少しずつ暴かれてゆく筈だった彼女の実力を、一挙に知らしめる出来事だった。苛烈極まりない武人然とした性格と、まかりなりにも部隊で活躍していた男共を鮮やかに圧倒したその実力。騒動の終わった後、彼女が朱雀隊の隊長に君臨することに異を唱える者はおらず、部隊の者は皆彼女を指標とした。

「実際凄いっすからね隊長は! ……怖えけど」

「ほう?」

 ぴしり。あれ程声を弾ませていた圓井が面白い程綺麗に背筋を伸ばして硬直した。彼の背後から降ってきたのは今まさに話題に上らせていた帯鉄の声に違いなく。

「お疲れ。お前も飲むかい?」

「有り難く頂戴しよう。しかし、圓井」

 常葉に向けていた穏やかな眼差しを厳しいものに変じさせて、彼女は圓井を睨み付けた。

「お前、報告書は当然書き終えているのだろうな?」

「あ、いや、その今からって」

「馬鹿者! 戦闘後は迅速に記載し玄武隊に提出せよと言っていただろう! だというのにこんな所で油を売るとは何事だ!」

「ひっ! すんません、書いてきます!」

 発条仕掛けの人形の様に跳ね上がり、慌ただしく自室へと帰って行く圓井の背中を見詰め、帯鉄は一つ溜息を落とした。

「……全く、戦闘以外だとどうにもサボるからいけない」

「相変わらず厳しいねえ」

「お前が甘過ぎるんだ。しかも、下らない昔話をして」

「酒の肴に、ね。圓井にならお前だって構わないだろう?」

「まあな」

 素っ気無く言って、彼女は圓井が腰掛けていた場所に腰を下ろした。彼女の厳しさは期待の裏返しなのだ。配属当時から高い能力を示し、また人懐っこく自らを慕って来る圓井を彼女なりに可愛がっている事を常葉は良く知っていた。圓井自身、ぼんやりとは理解しているだろう。彼だけでは無い。帯鉄は自らが指揮を執る朱雀隊を誰よりも想っている。故に厳しく、苛烈に振る舞う。そして隊員達はそんな彼女の期待に応えんと更なる尽力をする。帯鉄を隊長にと求めた常葉の判断は、全くもって正しかったのである。

「では一献、頂こう」

 彼女のしなやかな指が差し出す黒漆の盃に酒を注ぎ入れる。それが終わると今度は常葉が盃を差し出し、帯鉄が注ぐ。二つの盃が酒で満たされると、二人はそれを静かに打ち合わせた。

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