第六話

「館が襲撃される可能性があるってのは、どういうことだ」


 連隊の詰所がわりに借り受けた倉庫に入るなり、中にいた数名に呼ばわった。

 道中リィミィからもたらされた情報はただそれのみで、彼女自身がその報を扱いかねているようだった。


 農耕具の土の鉄の臭いが、密室に充満していた。

 歴戦の男女に取り囲まれている少年は、罪人のように、ただでさえ華奢な体躯をしぼませて、椅子の上でヒザと背とを丸めている。

 透明な瞳に淡い色合いの毛髪。やや血色の薄い肌。狐の尾を模した飾りを腰からくくりつけている。

 いずれも獣竜種に代表される特徴だ。


「ん、こいつはたしか」

「新参のシェントゥだ。若すぎて今回の戦には参戦していない」


 だから、今回の警備に参加したのだとリィミィは紹介と補足をした。


「お前が、見つけたのか」


 星舟は意外の念に襲われた。

 もし異変を察知するとすれば上空で見ていたキララマグかクララボンの鳥竜種姉弟のどちらかだと思っていた。

 少年を取り囲むなかに入っていたその二人に目をやれば、困惑顔で首を振る。


「見た、というよりも聞いたそうだ」


 唇を噛んで視線をさまよわせる少年に代わり、リィミィが口を添えた。

 いわく、彼が倉庫から出て屋敷周辺を見回っていた先で、どこからともなく、床や天井をへだてて音と声とを聞いたのだという。


 何色もの声音がささやき合う。獣竜の耳をもってしてもその全てを拾うことはできないものの、そのうちの一語が強烈に耳に残った。


「ワレラセイジョウナルジンリノオンタメニ」


 という、呪文めいた締めくくりの言葉が。

 やがてそれは金属音にかき消されたという。


「『我ら、清浄なる人理の御為に』」

「なんです? それ」


 クララボンが、リィミィが繰り返した言葉の意味をたずねた。


「『光夜こうや騎士団』。最初はこの国内で人間の権利を確立するための活動家の集まりだったのが、いつしか過激な人間至上主義へと鞍替えした。手段と目的が入れ違ったバカ共だ」


 そう言って星舟は鼻で嗤った。

 元より、敗残者の類縁だということを思えば、彼ら人は十分すぎる保護を受けている。

 竜は絶対数において人間よりも少ない。祠や洞や集落で人間から離れて暮らしていた時代であったならまだしも、国を治めるとなれば当然その生産性や防衛機能を維持するための労力や兵力は必要となる。そのために人間の扱いに対して、彼らはおおむね慎重だった。

 だがそれにしても、最低限の食料を与え、奴隷として酷使すれば済む話だ。いや、街や城など放棄して自分たちの住処に引きこもればいい話だ。

 だが、百年前人間を追撃した竜たちが目の当たりにしたのは、荒れ果てた光景だった。

 相次ぐ内紛によって略奪や焼き討ちをくり返された集落。富や権力を中央に集中したことにより枯渇した農村。親が子を竜に食料として売ろうとし、逆に子が親を殺して自分で食らう地獄絵図。

 その先遣であった真竜たちはいずれも決戦までは城に籠っていた者たちで、はじめて知った人の国の姿に言葉を喪ったという。


 初代藩王結城真次とその幕僚たちは、自分たちの目の届くところだけしか見てはいなかった。征旅のなか、何度も目にしたこの光景に、一向に心を向けようとしなかった。


 先遣隊から報告を受けた覇龍帝が、奪った土地から国を作り、海外から技術者たちを招いてその統治方法を学び、人を保護、あるいは苦界から解放しようとしたのはそれからだった。


 竜たちは、こと真竜種においては尊大で強い矜持の持ち主で、なんの能も持たない人を見下し、自分たちこそが至上の存在と信じて疑わない。だが情けや義理は人以上に知っている。

 もちろん例外はあるにはあるが。


 ――竜なのに、『人』が好過ぎる。


 その善意や意義を慮りもせず、彼らが来る前の生活がどんな惨状だったか振り返りもせず、自分がどれほどの厚遇を受けたか顧みもしない。ただきれいごとに溺れて考えもせずわめき立てる。そんな連中の象徴ともいうべきが、『光夜騎士団』なる組織だ。


「えーと、つまり? そーいう厄介な連中がこのお屋敷に紛れ込んだと」

「そういうことになるわね」


 弟の言葉に、キララマグがうなずき、深緑色の視線をシェントゥに向けた。

「こいつの言葉や感覚を信じるとなれば」と、彼女の視線は言外に付け足していた。


「どこで聞いた?」

 と、星舟は机に広げられた地図を見せながら問うた。

 少年兵は震える指で本館の東棟の外を示した。


「裏口、食糧庫、そして調理場か」

 いずれも人の出入りが激しい場所だ。特に今夜は。

 華麗な夜会の裏側で、その倍するせわしなさで料理人や下働きが動いているのだから。


「で、具体的にはどこから聞こえてきた?」

 それに対してシェントゥは首を振った。

 ――木造だから声を拾いやすい反面、響き過ぎて特定ができないのか。

 星舟は不明瞭な返答に対し、怒らず納得した。


 この居館は外目から見れば白亜の堅城にも見えるが、実際は地元で採れたツガが用いられている。

 ここを制圧したアルジュナは、壁の上から塗炭と灰と植物を特殊な比率で混合した物を塗ることにより、腐敗や虫食いの対策としたのだ。白く見えるのは、そのためだ。

 今回はそれが助けとなりながら、一方で仇となった。


「そいつの聞き間違いなんじゃないですかね」

 クララボンは懐疑の声を発した。

「だって、俺は見てないですもん」

 一同が注視するなか、怖じることなく彼はつづける。

「見逃したんじゃないのか、お前鳥眼だろ」

 人間の銃士経堂きょうどうが逆に疑問の声をあげた。


「おあいにくさま。ミィ先生お手製の……度入りのゴーグルっていうの? コレがあればよく見えるんだよ。お前らよりもずっとね。なんなら、同じ高さから遠見対決でもしてみるかい? 飛べるなら、の話だけど?」

「なにぃ!?」


 議論が脇にそれながら加熱しそうになる。その直前に、星舟は机を拳を打ち付けた。


「やめろ」


 その一言で、場は静けさを取り戻した。


「そういうの、第二連隊オレらの間じゃナシだって言ったよな?」

「……ウス」


 クララボンがしぶしぶ引き下がった。だが、人に詫びることはなかった。


「で、でもクララさんの言う通り……聞き間違い、かも……」


 そこまで唇を引き結んでいたシェントゥが、ようやく口を開いた。

 だが、そこから発せられたのは、自身の感性の否定だった。


「おれ、初陣じゃ荷運びだったし、対して活躍もしていないし……だから」


 他者から聞いてみれば、少年の実績の有無と今回の報告は、無関係なものだった。だが、彼からしてみればそれはそのまま自信の無さにつながる要素なのだろう。

 星舟は膝を折って、うつむきがちなシェントゥと目線を合わせた。

 委縮する彼の前髪に手をやると、その先端を撫でつけて白い歯をニッと向けた。


「じゃ、これがお前の初手柄だ」


 少年は耳から首筋まで赤く染めてはにかんだ。


 ――この様子じゃ『騎士団』の存在は知らなかったらしいしな。あの長ったらしい決まり文句は、聞き間違いや虚言でとっさに口にできるものでもない。

 星舟には星舟なりに、シェントゥの報告を信じる理由がある。だが、それを口にするのは野暮というものだろう。


「聞いてのとおりだ。杞憂であればそれに越したことはないが、真実であれば大変なことになる」


 立ち上がった時には、星舟は気持ちの良い好青年の貌から、指揮官の面立ちへ切り替えていた。


「シェントゥが音を聞いたというところを重点的に警戒を強化する。キララとクララは引き続き空から侵入、脱出の経路を探れ。経堂とシェントゥは現状監視に当たっている者にも事情を説明し、聞き込みに回らせろ。オレらが入館する前に警備や準備を担当していたものをこっちによこせ。リィミィとオレは各部署から集められた情報を精査し、連中の目的を洗い出す」


 星舟の号令が発せられれば、隊員たちにそれ以上の異議はない。

 それぞれ割り当てられた任務を達成すべく、早足で方々に散らばった。


 彼らの気配が消えたあと、

「やれやれ」

 と毒づき、星舟はシェントゥが使っていた椅子に腰を下ろした。


 第二連隊は、第七まで存在するトゥーチ家直轄の部隊のなかでも、もっとも多くの種族を抱える混成部隊だ。

 そして、そのいずれもが、どこか欠落している。


 一度海外に渡航しながらも年齢や性別、種族家柄、身長や外見を理由に学者としての道を閉ざされて帰国した獣竜。

 鳥竜種として生まれながら飛ぶのがさほど上手くない者。視力の弱い者。

 狙撃砲撃に精通しながら火器類を軽視しがちな竜の国では重用されず、また本人の軽率な言動から各国からつまはじきにされた銃士。

 他より敏感な五感を生まれついて持ちながら、自信が希薄で口下手なために上手くそうした情報を伝えられない新兵。


 ……ただでさえ能のないと称される人間の身であり、さらに隻眼という障害を負った指揮官。


 こんなありさまなために、『寄せ集め部隊』だとか『駆け込み寺』だとか揶揄されていることも知っている。そこに『どこかの誰か』の作為が働いていることも、勘づいている。


 ――けど、誰とは言わんがそんな連中ばかり送ってくれてありがとうよ。


 だからこそ、星舟にとっては御しやすいのだ。

 彼らが抱えている屈折や煩悶、痛み。

 それをおのれの身でもって、知っているからこそ。


 ――そして感謝してやる、愛すべきバカども。まさか竜に挑んできてくれる人間がまだこの国にいるとはな。……おかげで、また手柄が立てられる。


 隻眼の男は、声に出して高らかに笑った。

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