第一章:トゥーチ家の人々~領主館襲撃事件~

第一話

 トゥーチ家管轄、東方領都六ッ矢むつや

 六割の人間と三割の獣竜や鳥竜、そして一割の真竜種で構成されたその地方国家の首都は、多様な種のるつぼでありながら大過なく治められた、竜たちの統治の規範とも言える存在だった。

 十年の歳月をかけて完了した水路は民衆の衛生、生活環境を一気に改善させたばかりか、街の景観にも一役買っている。


 夏山星舟とその副官たるリィミィは、この『故郷』にいち早く帰還した。

 論功行賞も終えたとあっては、戦場にもはや用はない。次いで彼が願い出たのは、祝賀会の下準備だった。


 露骨な点数稼ぎ、という声は大きいが、それでも竜では成しえない細やかな気配りをしてこそ、人間たる自身の価値を見せることができるというものだ。


 そんな自分に負けず劣らず、街の住人たちは目ざとい。

 戦勝の飾りつけや露店を出してふだんは蔵入りしている品々を展開し、すでに祝いの雰囲気で凱旋軍の帰還を待っていた。

 もとより、十年前、人が敗北して国を奪われてもなお、居残った連中だ。

 金銭的な理由で出ていけなかった者もいるにはいるが、そんな事情を含めても、しぶとくたくましい。

 そういう人間の面を、星舟は嫌いになれなかった。


「時間もあるし、歩こうか」


 と誘ったのは、星舟だった。

「このあたりは、手癖の悪い奴らが多いですよ」

 人力車の運転手は、一応の義務としてそう注意してくれた。


「あぁ、よく知ってるさ」

 星舟は答えた。


 車を降りて、路地を歩く。


 ただ、小柄なリィミィには気の毒なことをした、と下りてから思った。

 自分より年上なのだが、小柄で骨細。顔だちも少女の面影……どころかどう見ても童女に近い。

 軍服の上からミィ家伝統だという白い狩衣風の羽織を打ちかけているが、これが裾や袖を持て余し気味で、それを引きずらないためには、常に背をそらすような歩き方をしなければならない。


 だが、気遣えば彼女の高い矜持を傷つけることになる。それを知っているから、内心では詫びつつも、あえて気づかぬていを装った。


 屋台でエビの串焼きを買い食いしながら歩いていると、

「靴磨き、どうですか」

 という声が聞こえてきた。


 見下ろせば、浮浪の身らしき少年が木箱の前に座っている。

 それなりに色を統一した書生のような風体だが、よく見れば靴や靴下の色、大きさ、意匠は微妙に異なっている。

 靴があるだけまだ贅沢な方だ、と星舟は思った。


「靴磨き、どうですか」

 少年は顔色を伺うような目つきとともに、そう言った。

 隻眼の将校は鼻を鳴らした。

 そして少年の商売道具である布巾を彼からもぎ取った。


〜〜〜


「良いか、布は指を重点に手に巻く。で、こうやって……円をえがくようにして磨く。土踏まずとかも忘れんなよ。ほい、これで一丁上がりっと」


 上着を脱いで中腰になり、みずからの手を汚しながらも自分の靴で実演する星舟を、あっけにとられた様子で少年は見つめていた。


「あとこんなところで商売するよりは、まっとうに靴履いてるヤツらの居住区へ行け。とかく竜どもは、人が自分らにへりくだって傅くのが好きなんだ」


 それに、と注意を付け足して彼はするどく手を伸ばし、少年の胸元をつかんだ。

 身構える彼から引き抜いたのは、夏山の蝉紋の縫われた革袋……自分の財布だった。


「こういうことをするなら、相手を選べ。ものを選べ。分量を選べ。家紋入りのものなんて根こそぎ盗れば、それこそアシがつく」


 声を低めてそう言うと、自身の頭の左横をたたいてみせる。


「死角からいったのは良い着眼点だ。けど、相手もそこが死角だってこと、自覚してるってことを忘れちゃいけねーな」


 表情を凍り付かせる彼の前で自身の財布を覗き込み、中身に増減がないことを確かめる。そのあとで鋼玉銭を何枚か取り出すと、少年の手に握らせた。


「話に付き合ってくれた礼金だ。とっとけ」


 そう言うよりも早く、少年の体が飛び上がった。

 突っぱねるように星舟の肩口をたたくと、その反動を勢いにして走り去っていった。


「ったく、商売道具置いてくなって」


 埃を払いながら立ち上がった隻眼の男の右側から、リィミィが預かっていた羽織と軍服を差し出した。それを肩からかける彼に、

「大丈夫か?」

 とリィミィは尋ねた。


「なに、時間には間に合うし、どうせ向こうで着替えも沐浴もする」

「そうじゃなくて、あの盗人突き出さなくて」

「良いんじゃねぇの? ひとり捕まえたところで、あの手の輩は三倍はいるから」


 それでも、人間が支配していたころの治世ならぬ痴世に比べたら、だいぶマシにはなったほうだ。


「その場のお情けではした金だけやっても、さっさと使い果たしちまう。大事なのは、生きるための知識を与えてやることだ」

「アンタがそうだったように?」


 透き通った藤色の瞳が、氷の矢のように視線を送る。

 星舟は皮肉な笑みをたたえた。答えはしなかった。


 やがてふたたび歩き始めたふたりに、白々とした陽光が降り注いでいた。

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