第四章 小林東伯齋

第十四話 邂逅

 子供たちが一列に並んで正座をしていた。

 師範代の大橋柳雪が道場に入ってくると、子供たちは一斉に柳雪の方を見て「おはようございます!」と元気よく挨拶する。


(本家の道場より人数は少ないけれど、みんな利発そうで行儀の良い子たちばかりだなぁ)


 私はぼんやりと彼らを眺めながら譫言うわごとのように呟いた


「おはようございます、皆さん。さて今日も日課から始めましょうか」


 柳雪がそのように告げ、壁板の前に一枚の和紙を張り出した。

 その紙には八十一の升目が描かれており、その中に飛、金や角などの一文字の漢字が散らばって書かれていた。


(ああ、これは詰め物だ——)


 柳雪が紙を貼り終えるや否や、子供たちが「はい!」と返事をして一斉に起立した。

 そして、全員がその紙をじっと凝視し出す。

 先ほどとは打って変わって真剣な雰囲気に道場が一瞬で包まれた。


 私もあわてて詰め物を解き始める。


(えーと、えーと、あ、解けた。十一手詰めだ)


 隣にいた弟弟子おとうとでしの上野房次郎もニコニコしているし。

 どうやら簡単に解けた様子。


(房次郎……普段と違う分家の雰囲気にちょっと興奮しているみたい)


 詰め物を解き終えた者から、ありがとうございましたと柳雪に一礼する。

 そうして、道場の反対側に整然と並ぶ将棋盤の前にひとりずつ着座していった。


 本当に正解したかどうかなど、確かめる必要すらない——

「解けた」と本人が言うのならそれはきっと解けたのであろう——

 なぜなら解けたふりをする者などここにはいないのだから——


 一人また一人とその場を去り、とうとう残りは私達を除いて一人だけになった。

 私も房次郎も柳雪に一礼して将棋盤が置かれてある方へと立ち去ろうとした。


 そのとき、私はなぜか気になったのでちらりと横を見た。


 そこには——自分と同じくらいの歳の男の子が泣きながら立ちすくんでいた。


「ひぐ…ふぐぅ…ううう」


 目からぽろぽろと涙を垂れ流しながら、壁に張られた紙を凝視している。

 無意識なのか彼の両手が袴をぎゅっと握りしめて前傾姿勢になっていた。


(この子……、まだ解けてないんだな)


 とっくに将棋盤の前に正座し終わった子供たちが無慈悲にも笑い始めた。


 ——あいつ、いっつも解けないよなぁ。

 ——きっと将棋の才能ないんだよ。かわいそうにね。あはは。

 ——ご当主様の息子なのにねぇ。恥ずかしい。クスクス


 柳雪は何も言わずにその男の子を見つめ続けていた。

 憐れんでいるのか、見捨てているのか、その表情からは感情が読み取れない。

 そして——


「はい、ここまで。では皆さん対局を開始してください」

 と無慈悲にも告げた。


 それでもなお、彼は泣きながら詰将棋を解き続けていた。


「うう…ううぅ…はぁ、はぁ」


 父上は私のことを絶対に許してくれない。

 だから、自分の力でこれを解くしかないんだ。

 たとえどれだけの時間がかかったとしても——



 江戸幕末の世に、将棋家のひとつ大橋分家の嫡子として生まれ、後に天野宗歩の生涯最大の好敵手ライバルと讃えられた者がいた。


 その名を、大橋宗珉おおはしそうみんという——

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