第9話『所謂、束の間の』

「きゃっ!」


 それから、俺と冬木はなんだかんだスムーズに館内を見て回っていた。 小さな熱帯魚が多数入っている水槽から、少し大きめな魚が入った巨大水槽まで、本当に沢山の魚が展示されており、俺にとっては懐かしくもあり新鮮でもあり、といった感じである。 あの頃は朱理は俺のことを結構慕っていてくれたっけかな……今では朱理の方が大人びてるまであるから恐ろしいものだ。


 そして、今は深海魚のコーナーで冬木は顔を近づけ、どこかボーッとした魚を見ていたところだ。 それに不意を突かれたのか、頭をぶつけてきた魚に驚いて小さな悲鳴を上げている。


「はは、魚にからかわれてる」


「……成瀬君に似ていますね、この魚」


 言われ、魚を見る。 なんかとてもグロい魚だった。


「わりとグロい見た目の奴と似てるってやめてくんない……?」


「性格のお話です。 隙を突いて攻撃して来る辺りが。 捻くれているとも言えます」


「隙を見せる奴が悪い。 だから俺は悪くない」


 一見隙なしにも見える冬木さんだが、存外隙だらけだ。 完璧な奴にも見えるけど、対人関係ならず対魚関係についても。 最初は本当に冷たそうな印象を受けたけど、冬木空という人物を知れた今はそんな印象など微塵もない。 本当の冬木はこういう奴なんだろう。


「成瀬君、一つ問題をあげます。 この世でもっとも賢い魚はなんでしょうか?」


 相変わらず水槽の中にいる魚に目を向けながら、人差し指を立ててそう告げた。


「お、朝の続きか。 うーん……」


 中々に難しい問題だな。 朝のこともあるし、絶対に罠があるはず。 しかし残念、どうせシャチとかイルカとか答えたら「それは哺乳類なので違います」と答えるつもりだろう! こいつの考えそうなことくらい、お見通しだ。


「……でも魚に絞られるとめっちゃ難しいな。 フグとか鯉とか、頭良さそうだけど」


「ぶっぶー、答えは成瀬君でした」


 朝の俺を真似しているのか、冬木は馬鹿にしたように言う。 というか、待て。


「俺は魚じゃねぇよ! 人を勝手に魚にすんな!」


「似たようなものだと思いますけど。 それに、魚の中で一番賢いとしたことに感謝して欲しいくらいです」


「馬鹿にするどころか感謝まで求めんのか……」


 どうやら冬木の喋り方からして、こいつ若干怒ってる。 朝のことを根に持っているのか、それとも館内に入ってからの俺の行動になのか……多分両方だな。


 そこで、冬木はようやく水槽から目を離した。 今まで喋りつつも魚と戯れていた冬木であったが、何か別の目的に移ったらしい。


「成瀬君、それはそうとイルカショーはまだでしょうか?」


「え、俺に聞くのか。 えーっと」


 冬木の方がよほど詳しそうだけど、聞かれたからには一応確認する。 入場したときに渡されたパンフレットを広げ、毎週日曜日にやっているイベントに目を通した。


「午後1時30分って書いてあるけど」


「そうですね。 それで、今は12時です」


「……そうだな?」


 最初から分かっていたような口振りを疑問に思いつつ、俺は言う。 すると、冬木はすぐさま口を開いた。


「先にお昼ご飯を食べませんか? お弁当は持ってきていませんよね?」


「あ、確かに丁度いいな。 朱理に作ってくれって言ったんだけど、断られたんだよな」


「私が作ってきたので、それでも良ければ。 嫌なら構いませんが」


 ……なんだか少し引っかかる言い方だ。 まぁそれは良いとして、ここで嫌だと言える奴がいたら見て見たい。 冬木の行動は素直に嬉しいし。


 そんな流れで、俺と冬木は中庭らしきところの飲食エリアへと向かう。 館内でも休憩スペースで食事を摂ることはできるらしいが、どうせなら外の方が良いだろうとの判断からだ。 ちなみに、どこで食べるかというのを決めるのに10分ほどの時間がかかったのは、俺と冬木だからだと思う。 普段、友達と飯を食べるなんて話は全くしないし仕方ない!


「そういや、冬木って料理できたんだな」


「あまり上手とは言えませんが、多少は。 必要最低限のことは自分でしようと思っていたので」


 相も変わらず真面目である。 俺なんか朱里に「今日の弁当冷凍食品多くない?」とか文句を言うレベルだ。 改めて考えてみると果てしなく図々しいな俺……。 こうして冬木と日常会話というのをしていると、たまに俺の人間性の小ささというのが露呈していってつらい。 直せと言われればそうなんだろうけどさ。


 その真面目な性格故、冬木の場合は悩みも多くなっていくのかもしれない。 冬木本人が気付いているかは定かじゃないが……こいつは、自分の悩みというのを後回しにする癖のようなものがある。 冬木が抱えていた思考を聞いてしまう力のこと、保護者である比島さんのこと、そして深い溝がある長峰のこと。 俺が知っているのはそのくらいでしかないが、冬木はそうして自分の悩みというのに触れようとはしない。


 ……もちろん、俺も似たようなもんだけどな。 それでも冬木のはハッキリ言ってしまえば後回しというものだ。 後に回す、つまりはそのうちそれらはまた回ってくる。 いつかは分からないけど、確実に直面する問題だ。


 それに対し、俺が何をできるか。 冬木の友達として、やってやれることなんて数少ない。 しかし、何があっても友達として冬木の味方になるということだけは守ろうと思う。 そのときがきて、そしてそのとき冬木の味方でいられればそれで良い。 俺も存外、冬木と似た者同士ってわけだ。


「成瀬君は料理などしないのですか?」


「逆に俺がすると思う? 全部朱理任せだよ」


「それもそうですね。 成瀬君が料理をしているというのは、少し想像できません」


 冬木はからかってくるとき、冗談を言ってくるとき、その表情や声色が全く変わらないから判断に困ってしまう。 大真面目に言っているのか、それともただの冗談なのか……。 もちろん分かるときもあるけど、大概分からない。 逆に朱理の言い方というのは特徴的で分かりやすいんだけどな。


「でも冬木が料理ってのも想像しづらいよな」


「……確かにそれは言えているかもしれません。 逆に朱理さんは料理など好きそうですよね、家事全般、卒なくこなしてくれそうです」


「そうそう、そうなんだよ。 一家に一台必要なレベルだな、あいつは」


 万能な朱理さんである。 あいつが居なければ俺は今頃餓死している可能性が大いにある。 いや冗談抜きに。


「だから成瀬君はだらしないんですね」


「……自覚はあるけど真正面から言われると結構心に来るな」


 冬木に言われると尚更だ。 真面目という言葉を体現したかのような存在、冬木空。 未だに俺にも敬語だし、授業態度こそ微妙だがノートは何故かしっかり取ってるし、礼儀が正しいということで教師陣からも信頼されている。 逆に俺は寝ていると最近、冬木に消しゴムのカスをぶつけられるくらいである。 それがあるときとないときがあることから、多分寝ている際に思考が読み取られているんだろう。


「この辺でいいか」


 そして、そんな話をしながらいつの間にか丁度いい空き場所を見つけた。 俺が座った正面に冬木も座り、そのぶら下げていたポーチから弁当を取り出す。


「予め言っておきますが、もし文句を言ったら叩きます」


「なにその怖い宣言!? いや言わないってさすがに」


「成瀬君なら平気で「お前の弁当には愛情が足らないよな」とか言いそうだったので」


 ……なんか俺のモノマネ似てない? こいつ。 というかそんな発言をすると思われてるのか俺は。 言おうと思ってたんだけどね。


「はは」


「……では、適当に作ったので期待はしないでくださいね」


 冬木は言うと、弁当を開いた。 が、それと同時に黒い靄が冬木の周りには見えている。 適当に作ってはないということか、それとも期待して欲しいということか、いずれにせよ素直ではないな……。 しかし嬉しいことである。


「お、結構本格的じゃん」


 色とりどりで、美味しそうでもあるし可愛らしい弁当でもあった。 朱理の場合はこう、なんかお婆ちゃんが作りました的な弁当なんだけど……冬木の場合は見た目を考慮して作っているのだろう。 色が綺麗で、しっかりとタコさんウィンナーが入っている。 余談だけど、普通のウィンナーよりもタコさんウィンナーの方が美味しいと思うのは俺だけだろうか? 以前、朱理に作ってくれよと頼んだところ、お腹に入れば全部一緒とのありがたいお言葉を頂いたことがある。 そして次の日の弁当は最早残飯の詰め合わせのように全てが入り混じった弁当を作られたことがある。 あいつは案外根に持つタイプだからな……。


「サンドイッチ好きなんだよ」


「それは良かったです。 たまごは甘いのと普通の、好みはあるんですか?」


「ん、あー……どっちかと言えば普通のかな。 甘いのってなんかおやつ的な感じがするし」


「そこは一生分かり合えそうにありませんね」


 冷たく冬木は言い放つ。 甘いたまご派なのか、冬木は。 しかしそうは言いつつも、二つのサンドイッチが入った容器の内、片方を俺へと突き出した。


「こっちは砂糖入ってないってこと?」


「文句を言われるのは癪だったので、あらゆる可能性を考えて作ってきましたから」


 どこまで真面目なんだと問い質したい。 というか、俺がもしも甘いたまご派だったらどうしたんだろう……我慢して普通の方を食べていたのだろうか。 それが気になるものの、聞くほどのことでもない気がした。


「……朱里さんたちは、楽しんでいるでしょうか」


 サンドイッチを一口頬張り、冬木は少し遠くにある館内を見つめる。 なんでもない一言であったが、俺はそれを聞きながら同じくサンドイッチを頬張る。 マヨネーズが少しだけ入っており、丁度良い味付けで美味しいと素直に思った。


「正直、最初は不安でした。 果たして人と一緒に水族館へ行き、大丈夫なのかどうか」


「まぁそりゃな。 俺もそうだし、それは仕方ないんじゃないのか?」


「……成瀬君と友達になり、朱里さんとも友達になり、秋月さんともですし、今日は美羽さんとも友達になって。 とても楽しく、きっと私が夢に見ていた高校生というのは、こういうものなんだなと……なんとなく、そう思います」


「これからもっと楽しくなるだろ。 高校生始まったばっかだし、秋にはアレもあるし……ええと」


「紙送り、ですか?」


「そうそう、それ」


「相変わらず、人の話を聞いていませんね。 秋月さんに怒られますよ」


 ……それは想像したら少し恐ろしい。 秋月純連ほど恐ろしい奴を俺は知らないからな。 怒らせたら普通にまたぶっ叩かれる気しかしない。 あんな痛いのはもう御免である。


「少し怖がりすぎでは? 秋月さんは悪い人ではありませんよ」


「そりゃ分かるけど……やっぱ苦手だな、俺は」


 規律正しく、模範的。 冬木も冬木で真面目な奴だけど、それとはまた違った方向で真面目な奴だ。 少なくとも外見上はそうで、その中身は極度の面倒くさがりという変わった奴でもある。


「伝えておきますね」


「やめてね!?」


「ふふ、冗談ですよ」


 ……やはり、冬木の冗談は冗談に聞こえない。 そんなことを思う俺であった。

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