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葛西 伸哉

800キロメートル

 窓の外は、この冬初めての本降り。

 だけど社会科準備室はスチーム暖房が効いていて、少し汗ばむくらいに暖かい。

 鉄管の中を蒸気が通る音が、ひとりぼっちの部屋の中でシュウシュウチンチンと不規則に響いている。

「……ん!」

 プチン。

 愛用のニッパーがプラスチックを挟み切る、聞こえるか聞こえないかの小さな音。

 パーツ側にちょっと残った、というか残したランナーをデザインナイフで削り落とし、目の粗さの異なる二種類のサンドペーパーで仕上げ。

 ここまでは手慣れたいつもの作業だけど、次は違う。

 このキットのキモとも言えるシールの貼り付けだ。多色成形でも対応できない細かなディテールへのこだわり。

 予備もあるとはいえ、失敗は避けたい。

 ピンセットでシールを摘まみ、息を止め、慎重に、しかし一気に貼り付ける。

「……ふぅーっ!」

 溜めていた息を吐き出す。

 満足できる、見本通りの位置合わせ。

 後は一直線だ。整えた部品と部品を、ハメ合わせる。

 接着剤不要、このシリーズならではのパチンとしたフィット感が指に伝わる。

「完成!」

 仕上がったプラモを前に、俺は額の汗を拭った。

 素組みでも、充分見栄えするさすがのクオリティ。塗料にまでは予算が回らない中学生としては、これが嬉しい。

 問題はスミ入れをするかどうかだ。いつもの奴ならともかく、このキットには似合うかどうか。普通より薄いグレーでちょっと差すくらいか?

 そんな事を考えてると--。

「おはよー。だいくん、おる?」

「わっ!」

 不意に扉が開いて、小枝さえが入ってきた。

 俺はとっさに立ち上がった。そのままプラモをしまって、箱にフタをする。

「な、何だよ? 日曜に来るなんて珍しいな」

 今は冬休み中。

 他の部活と違ってマンガ・アニメ研は冬休み中の活動は自由参加、というか何もない。

 元々部員も少なくて、今の三年が抜けた分を来年の新入生で補わなければ活動停止の危機だ。

 でも今のところはちゃんと手続きすれば部室になってるこの部屋の鍵は借りられるから、俺はほぼ毎日利用している。

 けれど、小枝が来るのは月火木というパターンだったはず。

「へへー。大くん、ひとりで寂しゅうしてると思て」

 笑顔を見上げる。

 ベリーショートの黒髪に縁取られた目鼻立ちはくっきりしてて大人っぽいのに、表情はしっかり中学生だ。

 小枝は一七〇センチオーバーで、身長順に並ぶとクラスの女子でいちばん後ろ。こっちは一五〇台で男子の前から二番め。

 ふたりきりで向かい合うと、一五センチの身長差が際立ってしまう。

「別に寂しくねえよ。ひとりで作業に集中できるからな。家だと、親が勉強しろってうるさいし」

 俺が元通り座ると小枝も雪の残るコートを脱いで椅子の背に掛け、机を挟んだ向かい側に腰を下ろす。

 座った方がまだ差は目立たないけど、それって小枝の方が脚が長くてスタイルいいって事なんだよなぁ……。

「しっかし、すごい雪やね。一五センチくらい? くるぶしまで埋まったわ」

 ベリーショートの髪に残った雪解けの滴を、ティッシュで拭う。

「転ばなかったか? 慣れてないと危ないだろ?」

「うん、大丈夫。一度コケかけたけど、電柱に捕まって。傘、持ってたら危ないトコやった」

 笑ってガッツポーズ。

「別に、それが理由で傘差さないんじゃないけどな」

「最初なんでこっちの人、雪でも傘差さんのか不思議やったけど、実際使ってみて効かんのわかったわ。湿って重くて傘にくっつくし、横殴りで吹雪くし。雪国って初めてだけど、恐ろしいなぁ」

「今日くらいの量、普通だから。去年はこれ以上だったし。来週はもっと降るって予報だぜ」

「うわぁ、勘弁」

 苦笑しながら、壁にかかった日本地図に目を向ける。

 親の仕事の都合で転校続きの小枝が、この中学に来たのは二学期の途中だ。

 子供の頃は関西のあちこちを周り、短い間だけど九州や四国に住んだ事もある。そのせいで本人曰く「あっちこっちのごちゃまぜ弁。大阪でも奈良でも、どこでもエセ関西弁って言われんねん」のだとか。

 そんな彼女と話す時は、俺も普段の方言を抑えた話し方になる。

 津軽弁全開だと、理解に困るらしい。

 本人にはいろいろ苦労もあるんだろうけど、ずっとこの街に住んでて、遠くに行く当てもない俺としては、ちょっと羨ましくも感じる。

「前住んでたのはこのあたりやけどな。雪、たまーに降ってもすぐ解けて全然積もったりせえへんかったし。遠くまで来たもんやなぁ」

 壁の地図の大阪のあたりを人差し指でぐりぐりいじってから、親指とのコンパスを思いっきり広げてひとまたぎ。

 実寸だったら八〇〇キロメートル。ちょうど一五センチくらいで、今俺たちが住んでいる津軽半島まで届く。

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