15センチのぬくもり

青木田浩

第1話 不思議な縁の始まり

 2000年1月15日、北海道札幌市にある五十嵐いがらし総合病院で2人の赤子は誕生の時を迎えていた。これからこの2人は奇妙な縁で末永く一緒にいることになるのだが、それはまだ先の話だ。

 病院の分娩室前の待合所に、不安げな表情をした2人の男性がうろうろとしていた。扉の前を行ったり来たり、そわそわした様子が収まる気配はまったくない。

2人の男性はお互いにできることがなく、ただ祈るだけそんな様子でもあった。

 動作こそ慌ただしい2人だが言葉はなく、とても静かで沈黙の続く廊下となっていたが、それを切り裂いたのは2つの声だった――


「「おぎゃー! おぎゃー!」」


 2人の赤ん坊の産声が同時に院内に響き渡った。それと同時に2人の男性は、ハッとした表情をしたが、間もなく希望に満ちた笑みへと表情を変えていった。

 すると右の分娩室から、助産師が「高橋たかはしさん!」と大きな声を張り上げながら出てきた。それを聞いた中道と呼ばれた男性は助産師に続いて分娩室へと入っていった。

 時を同じくして、左の分娩室からも同じように助産師が「松中まつなかさん! 産まれましたよ!」と、松中と呼ばれた男性も助産師に促され分娩室へと入った。


「母子ともに健康です、おめでとうございます」

 入ってすぐに、医師が声をかけたが高橋には聞こえてなどいなかったのか、分娩室に入るやいなや、すぐに母子ははこの元へと駆け寄り――

「頑張ったな! ありがとう……」

 妻の優美ゆみねぎらいの言葉をかけた。

「見て、あなた……男の子よ。すごく、すごく可愛いでしょう?」

「ああ、そんなの当たり前だ。お前の子なんだから……」

 そんなありきたりな夫婦のやり取りを確認すると、医師や助産師たちはそれぞれ必要な処置をして、新生児室へと赤子を運んだ。


 松中も高橋と同様に分娩室に入ると、すぐに母子に近寄り――

「ありがとう、本当にありがとう……」

 と、松中は瞳を潤ませ、泣くのこらえて妻である麗華れいかの手を握りしめながら声をかけた。

「私だけが頑張ったわけじゃないでしょ。あなたの協力もあったから、頑張れたのよ」

「そんな……。どちらにしても、元気な女の子を産んでくれたことに変わりはないよ、本当に本当にありがとう」

 こちらも同様に無事に出産を終えることができた喜びに夫婦で浸っていた。

 それから、松中の赤子も新生児室へと運ばれていった。


 翌日、新生児室。隣同士で並んで2人の赤子は眠っていた。

 男の子は『睦月むつき』、女の子は『むつき』とそれぞれ名付けられ、新生児用の小さなベッドの枕元にあるプレートに名前が表示されていた。

 そこへ、松中が麗華を車椅子に乗せ、むつきを迎えに来ていた。ベッドの真横まで来ると、麗華がプレートの名前に気付き――

「むつき……良い名前だろ。名付けた理由は単純かもしれないけど」

 先に口を開いたのは松中だった。安易な発想で名付けたことを、少しばかり後悔しているからなのか、言われる前に言ってしまえそんな様子だった。

「そんなことないわよ。良い名前よ。ね、むつき」

 そんな夫の気持ちを汲んでくれたのか、そう言いながら優しくむつきの頬を麗華はなでた。

 その所作から麗華の溢れ出る母性を感じた松中は、すごく幸せな気持ちを噛みしめた。


 15分くらい経っただろうか、松中夫妻と同じように高橋夫妻も睦月を迎えに新生児室へと入ってきた。

 優美は麗華と違い、すごく元気そうで自分で歩き新生児室までやってきていたようだった。

「ほら、あそこにいるぞ! 可愛いだろう」

 高橋は睦月のベッドを指差しながら言った。

「あなた、声が大きいわよ。それにこんな入口近くからじゃあ、そんなにわからないわよ」

 現実的な性格の優美にたしなめられた高橋だが、我が子の可愛さの方が上回ったのか、さほど気にすることもなく、サッと睦月のベッドへ向かった。

「男の子なのにこの可愛さはやっぱり、すごいぞ」

 睦月のベッドに近寄り顔を覗き込みながら、高橋はしみじみ言った。

「まさか、あなたがこんな親バカになるとは思ってなかったわ」

 流石の優美もそんな高橋に呆れた様子だった。

 

 すぐ隣で高橋夫妻のそんなやり取りを見て、奥さんの方が尻に敷いてるのかな、そう麗華は思った。

 すると、麗華が突然――

「あのーお名前、赤ちゃんの名前、すごく似てますよね?」

「そういえば、そうだな」

 と、松中も麗華に続いて言った。

 突然、隣の夫婦に声をかけられた高橋夫妻は少しびっくりした様子だったが、2人とも睦月のプレートと隣のむつきのプレートを交互に見ると――

「あ! たしかに、平仮名と漢字の違いだけで同じですもんね」

 と、優美は気付いて返した。

「ちょっと、あなた」

 そう優美に言われるまで高橋は気付いていなかった。

「あ、本当だ。奇遇ですねー」

 と、慌てて取り繕った感じで松中夫妻に返事をした。

「ねぇ、奇遇ですよね。そうだわ、同じ名前で幼馴染み……なんて面白いと思いません?」

 隣の夫婦に声をかけただけでもびっくりしていたのに、それ以上に突飛なことを言い出した麗華に松中は心底、驚いた。

 その問いかけにすぐに反応したのは優美だった、やはり女性同士通じ合うものがあるのだろう。

「いいですね! 楽しそう! 私、家族ぐるみの付き合いに憧れてたんです」

 乗り気の優美に対し、高橋は――

「いや、まぁ楽しそうだけど……」

 相手に迷惑だと思ったのか、自分が嫌なのか、もしくは両方かもしれないが煮え切らないその物言いに優美は――

「あなたって、いつも反対するわね」

 そんな夫婦喧嘩にもならないような争いを始めた。

 ただ、楽し気なことが起こりそうだから、と思って発言したつもりだった麗華はどうしたものか、と思っていると、松中が――

「お互いに新米のパパママとして、情報交換もできますし。えっと、高……高橋さんでよかったですか?」

 と、睦月のネームプレートに書かれた名前を見ながら言った。

 誰もが予想していない人物の発言に他の3人は驚いた様子だったが、それが逆に高橋夫妻を冷静にさせた。

「あ、そうです、高橋です。たしかにそうですね、そう言われると良さそうな気がしてきました。っと、松中さんですよね」

 高橋も松中の名前を確認しながら言った。

「旦那さん同士がそう言ってくれるなら、話は解決ですよね? じゃあ、連絡先交換しましょうよ」

 みんながその気になった内に話をまとめてしまおうと、テキパキと物事を進める麗華だった。

 その勢いに気圧けおされたのか3人は麗華に言われるがままに、連絡先を各々おのおの、交換した。


 

「それじゃあ、落ち着いたら連絡しますね。楽しみにしてます」

 ひとしきりの会話を終えると、麗華は満面の笑顔で高橋夫妻にそう挨拶をした。それから、むつきを大事そうに抱えて松中と共に新生児室を後にし、駐車場へと向かった。

 駐車場に着くと、自家用車の白いセダンに家族3人で乗り込み、自宅マンションへの帰途についた。


 松中夫妻を見送る形になった高橋夫妻だったが、こっちもそろそろ帰ろうか、と優美は睦月を胸に抱き抱えると――

「なんだか、疲れちゃったな」

 つい口にしてしまった松中は、失敗した、と思ったが遅かった。

「それを今、言うのは流石にどうかと思うよ」

 さっきの喧嘩は収まりきってはいないようで、やはりそう言われてしまった。

「まぁ、いいや。先に出てタクシー停めておいて」

「あ、うん。わかった」

 高橋は言われるがままに病院を出て、タクシー乗り場に一台だけ停まっていたタクシーに向けて手を挙げた。

 そうしていると、睦月を抱き抱えた優美がちょうどやってきた。

「優美、こっちこっち」

「見ればわかる」

 とだけ言って、睦月を抱えた優美は窮屈そうに、タクシーの後部座席に乗り込んだ。

 その様子を見た高橋は、まだイラついているな、そう思い少しげんなりしたが、睦月を産んだばかりだししょうがないと思い、優美に続いてタクシーに乗り込み自宅マンションの住所を運転手に言った。


 松中夫妻のマンションは17階建てで、15階に住んでいた。

 自宅マンションの地下駐車場に着いた松中夫妻はマンションへと入り、エレベーターを待っていた。

そこへ――

「え! 松中さんじゃないですか!?」

 その声に驚いた松中夫妻が後ろを振り返ると、オートロックを開けてマンションに入ってくる高橋が見えた。それに続いて、後ろから睦月を抱えている優美も、こちらに歩いてくるのが見えた。

「優美さん!」

 たまらず麗華も驚きの声を上げると、他の3人も驚きの声を上げあった。


「それにしても、偶然って続くんですね。どうして、今まで同じマンションだって気付かなかったんだろ」

 誰もが思っていることを、純粋な疑問として改めて声に出す高橋。

 間もなく、エレベーターが1階へと降りてきた。

 全員乗り込むと、松中が一番に『15』と書かれたボタンを押した。それから松中は高橋夫妻に階数を尋ねると――

「15階です」

 優美が答えた。

「「えっ!?」」

 思わず、松中と麗華は同時に驚きの声を上げてしまった。その様子を見た高橋は――

「その驚き方を見ると、まさか……松中さんも15階……?」

 恐る恐る聞いてみる。

「は、はい……」びっくりしすぎて、松中はそれしか言えなかった。

「偶然が重なり過ぎて、もう運命みたいですね」

 高橋はバカみたいなことを言ったと思ったが、他の3人も同様に思ったようだった。

「本当にびっくりですね」

 麗華がそう言うと優美は――

「もしかしたら、部屋まで隣とかだったら運命どころじゃないですよね」

 そんなことはあり得ないだろ、とみんながみんな口々にそう言っていた。やがて、エレベーターが15階に到着した。


 エレベーターを降りると、左右に伸びる廊下を全員右の方に歩き出した。誰も何も言わなかったが、もしかしたらもしかする、と思っていたのかもしれない。

 少し歩き、3つほど玄関のドアを過ぎた頃――

「あ、うちはここなんです」

 麗華が言った。直後、高橋夫妻が息を飲む音が聞こえた。

「うちは……そこなんです……」

 優美が松中の家の右隣のドアを指差しながらゆっくりと言うと――

「マンションって、隣でも意外と会わないもんですね!」

 努めて明るく、普段出さないような大きな声で松中がかぶせ気味に言った。


 初めはちょっと不思議なことがあるな、その程度に考えていた。しかし、ここまでくると本当に運命とか奇跡はある、そう確信してもおかしくない出来事に遭遇した4人。家族ぐるみの付き合いを末永く続けていきたい、その理由になるのには十分だった。


 それから、1年くらいで喋れるようになってきた睦月とむつきは、幼馴染みとしてごく普通に、ごく当たり前のように育っていった。

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