第四章 第一節「飯塚和也の計画」
2037年12月10日(木)
星野新は飯塚と共に彼の家のキッチンにいた。リビングにはいつものメンバーである瑞菜、チエ、ツキがソファーでくつろいでいた。女の子が三人集まるととてもにぎやかだ。星野は、瑞菜がみんなの中にうちとけて楽しそうにしているのを横目で見てうれしく思った。今日の料理当番は男性チームだ。
飯塚はなんでもこなす天才肌だったので、魚を三枚におろすなんてお手のもので、アッと言う間に鯛のカルパッチョを仕上げていた。今はどこで訓練したのか、曲芸師さながらに器用にピザ生地を人指し指のうえでくるくると回しながら伸ばしていた。星野は「こう言うマメな男が女の子にモテルんだよな」と感心した。
星野はこちらに移住するまで何十年も料理なんてしたことなかったし、移住してからは食べ歩くのが専門で、自分の家のキッチンにはフライパン一つそろっていなかった。気の利いた料理なんて知らないので、彼が学生時代に唯一つくったことのあるチャーハンをつくっていた。卵を割ればきみにからが混じるし、ネギを刻めば目がしみて、指を切った。フライパンを振れば材料が飛び散る始末だった。星野が「あっ」、「うっ」、「イタ」、「ウォ」と声を上げる度にリビングに笑いが起こった。さながら星野と飯塚の料理対決の様相を呈していたが、勝敗は食べる前に決していた。
チエが目ざとく瑞菜の薬指の指輪を見つけてはやしたてた。
「ねえねえ、瑞菜ちゃん薬指に指輪をしているよ。誰からもらったのかなー。あやしいなー。シンは気のきかないヤツだから、そんなしゃれたもの贈らないし。さては彼氏でもできたのかなー」
瑞菜は頬を赤らめて恥ずかしそうにしていたが、星野が事前に飯塚とツキに話していたのでまわりの反応が思いのほか鈍い。チエは自分だけ知らないのに気付いて飯塚に向かって怒りだした。
「そういうこと。そうなんだ。瑞菜はシンに大切にしてもらっているのに。私なんかカズになにをもらったと思う。猫型掃除機だよ。猫型。しかもそいつ「掃除の邪魔になるから私に部屋を片づけろ」って顔して、上目づかいに私のことにらむんだよ。どっちが主人なんだかあったものじゃないわ。スケボーで遊びたいだけのくせして」
星野は飯塚に「あれ、失敗だったみたいだね」と耳打ちした。ツキがおやおやという顔で言った。
「チエちゃんの家に遊びにいった時、大切そうに両手で抱えて、なでていたあれのこと」
チエは慌ててツキの口をふさぎ、顔を真っ赤にして「この裏切り者」と言った。どっと笑いが起きる。
星野が飯塚に「なんだ。おのろけか」と言うと、飯塚はウィンクして返した。
飯塚のプロ顔負けの色とりどりのイタリア料理と、星野のインスタントスープがそえられたペットのえさにしか見えないチャーハンの二つしかない中華料理が、ダイニングテーブルの上にならんだ。五人はそれぞれが持参したワインやお酒で喉をうるおしながら料理を楽しんだ。飯塚の家のダイニングテーブルは巨大なテレビモニターになっていて、料理のテーマに合わせてさまざまな模様や映像が浮かびあがっては消えた。飯塚はこれも自分かつくったと自慢した。
デザートを食べ終えて食器を全自動食器洗い機に投げ込んでから、飯塚が急に真面目な顔で語り始めた。
「さてと。そろそろ本題にはいるとするかな」
ダイニングテーブルの映像が消え、漆黒の宇宙空間に浮かぶ青い地球が浮かびあがった。
「僕はある冒険をおこなうために、こちらの世界に移住してきたんだ。ここに映っているのはみんなの知っている「地球」じない」
星野の頭には、サテライトゲート東京に向かう途中、渋谷の鰻屋で初めて出会った時の年老いた飯塚が語った「冒険です。文字通り危険を冒すと言う意味です」と言うフレーズを思い出した。
彼は、映像を指でつまんで拡大して見せた。
「ほら。良く見ると大陸の形もまるで違うし、この星には月が二つある。太陽の色も青白い」
瑞菜が「フォーチュンですね」と答えた。
「そう。その通り。地球から2.7光年先にある人類の移住が可能な惑星。フォーチュン。僕はそこにいく」
星野もみんなも飯塚の突拍子もない宣言にあぜんとした。飯塚の話は続いた。
「チエちゃん。今まで黙っていたけど、僕は地球ではそれなりに名の知れた企業の経営者だった。『iネットホールディングス』って名前の会社くらいは聞いたことあるよね」
チエは驚きのあまり、言葉が出ず口をパクパクさせていた。
「僕がその会社の会長だった時、月面基地から探査船を送る計画が社内に持ち上がった。みんなでムーンランドにいった時に見た建造中の探査船、アルカディア号。それがもうすぐ完成するんだ。打ち上げは2037年12月25日。クリスマスの金曜日。午前零時、ジャスト。僕はそれにのる」
飯塚は一息ついてから、星野の顔を見据えて「約束は果たしましたよ」という顔をした。
「それがあの時に語れなかった私の冒険です。星野新さん」
星野には、地球で見た飯塚の年老いた姿が重なって見えた。星野はゆっくりとうなずいた。星野は彼らと出会えて本当に幸せだと思っていた。このささやかな生活がいつまでも続くものだと当たり前のように思っていた。しかし、星野は飯塚の意志が固いことを知り、飯塚という友達を失うことが残念だと考えた、ちっぽけな自分の身勝手さを恥じた。それと同時に自分もいってみたいという欲望が沸きあがってきた。彼は後先を考えるのをやめて、気持ちのおもむくままに言葉を発した。
「カズ、僕も連れていってくれないか」
星野の若返った体がそう言わせたのか、今はわからないが彼は心の底からフォーチュンにいくことを夢見た。飯塚は急に笑顔になって言った。
「シン。ありがとう。そうくると思ったよ。人生、一度きりだから男はやっばり冒険だよね」
二人の間に割って入ってチエが言った。
「男、男ってズルくない。カズがいくなら私もいく」
瑞菜も割って入った。
「私も星野さんと一緒にいきたい」
ツキは自分だけ置いてきぼりになるのは嫌だったが、せっかくピアノの世界で成功を収めつつある自分の未来を捨てたくはなかった。それに2037年12月25日は、彼女のクリスマスコンサートが既に決まっていて、彼女はそれを楽しみにしている観客を裏切りたくはなかった。
「私はいけない。でも、みんなの手助けをするから、なんでも言って」
飯塚はうれしそうだった。
「ありがとう。みんな。ここだけの話、本当は一人で旅したら仲間が恋しくて気でもおかしくならないかと、とても不安だった」
チエは飯塚のことだからすべて万端準備が整っていると思って気楽に言った。
「ところであのアルカディア号って無人って言ってなかったっけ。脳を収めたスカルだけなら、小っちゃいから乗せてくれるのかしら」
飯塚が困り顔で告げた。
「まず無理だね。脳だけといっても僕たちは世間的には生きていることになっているし、冷凍睡眠を使っても300年もかかる船旅に四人ものクルーの命をかけることを倫理的に許す企業はどこにもない。探査船はジャックする。勝手に乗り込んだのなら企業の責任は問われないし、出発してしまったらもう止めることはできない。それがサテライトシティの住人なら止める意味もない」
「ジャックってつまり盗むってことね。私たち大犯罪者になるんだ。映画みたいにワクワクするね」
どこまでも気楽なチエは楽しそうだ。飯塚はチエの楽天的な性格は評価するものの、無計画さをたしなめた。
「あの探査船アルカディア号には何兆円もの経費が使われているし、なにより人類の夢が詰まっていから、それなりに警備はされている。それより一番の課題は、もともと無人船としてつくられているのでスカルを積み込めるようにはなっていない」
飯塚は自分の考えた計画を語り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます