11:契約ともふもふ堪能タイム
強くなろうと決めたものの、手っ取り早く劇的に強くなる都合の良い方法などあるわけもない。
そんなわけで新菜は筋トレをすることにした。
正式にこの家のメイドとして認められた昨日から、腹筋と背筋と腕立て伏せを朝晩二十回ずつ、加えて丘を五周走ることを日課にしている。
「じゅーはち、じゅーきゅう、……二十!」
運動しやすいような服に着替え、居間で腕立て伏せのノルマをこなした新菜はべちゃりと敷布の上に突っ伏した。
私室ではなく居間で筋トレを行う理由は、さぼらないように見張ってもらうためだ。何事も継続が大事なのである。
「お疲れ様……というか、よくやるな。そんなことしなくていいのに」
筋トレの様子を見ていたハクアが言った。
ハクアとトウカが座るテーブルには小皿があり、新菜が剥いた果物が乗っている。ミストベリーという果物で、赤い果肉と甘酸っぱい味が特徴。
「しなくちゃいけないんですよ。ハクア様は魔法が使えないし、竜のお約束ともいえる炎も吐けない。竜の形態になれば爪と牙はあるでしょうが、遠距離から魔法を放たれたら終わりじゃないですか。性格的にも優しすぎるし、失礼ですが対人間戦での戦闘能力はほとんどゼロだとみなしてます。トウカの魔法は本当に凄いけど、制御がからっきしですし」
昨日、森でトウカに魔法を使ってみてもらったのだが、正面の岩に向けて放たれたはずの水塊は何故か後ろで見ていたハクアと新菜に直撃し、二人ともずぶ濡れになって危うく風邪を引くところだった。
「だからわたしは強くならなきゃいけないんです。家を守るのがメイドの務め!」
新菜は敷布を畳んで居間の棚に収納し、ハクアの向かいに座った。
水分補給の代わりに、ミストベリーを摘んで口の中に放り込む。
夕方にハクアが摘んできてくれた果実は、瑞々しくて美味しい。
「……メイドというのは家庭内労働を行う女性の使用人のことであって、戦闘能力を要求されるものではないと思うが。万が一冒険者や国軍がこの家を包囲することがあっても、おれはニナに戦ってほしいとは思わない。戦うより身の安全を確保し、逃げることを第一に――」
「それじゃダメですよ!」
テーブルを両手で叩いて身を乗り出す。
「どーせハクア様は自分が犠牲になるからその間にトウカと逃げろとか言うんでしょう! わたしはそんなの絶対に嫌ですからね! メイドと主は一蓮托生なんですっ!!」
「そんな話聞いたことないが……」
睨みつけると、ハクアは眼光に飲まれたらしく、口を閉ざした。
おとなしくミストベリーを摘む姿を見て、新菜は鼻から息を吐いた。
どうもこの竜は自己犠牲の精神が強い。メイドとして、そんなことは絶対に許すわけにはいかない。
「ねえ、ニナはどうしてぼくと契約してくれって言わないの? 強くなりたいんでしょう?」
トウカが尋ねた。
手っ取り早く劇的に強くなる都合の良い方法は、実はある。
トウカとの契約だ。
でもこれまで新菜はトウカに一度たりともその話を振ったりしなかった。昨日から筋トレやランニングをする新菜を見守っていたトウカはそれが不思議でしょうがなかったようだ。
「そりゃあもちろん、トウカの魔力は魅力的だよ。契約してくれたら嬉しいけれど、それはわたしが無理強いするものじゃないわ。それじゃトウカに酷いことをした人間と一緒じゃない。わたしはトウカには幸せでいてほしいんだよ」
腰を浮かせて手を伸ばし、トウカの頭を撫でる。
狐の耳の感触がたまらなく気持ち良い。
くすぐったそうに首を縮めるトウカの反応が愛おしく、新菜は目を細めた。
「トウカに頼らなくたって、わたしはわたしの力で未来を切り拓いてみせる。頑張ってお金を稼いで魔導具を買うから大丈夫だよ。そして絶対にトウカもハクア様も守ってみせるんだから」
「バトルメイドとして?」
ハクアから聞いたらしい。新菜は笑って肯定した。
「そうよ。バトルメイドとして」
照れるでもなく堂々と胸を張ると、トウカはくすくす笑った。
「うん。決めた。ぼく、ニナと契約する!」
「へ」
「だってニナはぼくたちを守ってくれるんでしょう? だったらぼくもニナを守りたい。ぼくの魔力を全部ニナにあげる」
「え、いや、でも――」
急展開に戸惑う新菜の前に、トウカがやって来た。
トウカは両手を伸ばして新菜の頬を掴み、引き寄せ、前かがみになった。
額がぶつかり、トウカの角が刺さって、軽い痛みを覚える。
「神獣トウカの名の下、祝福を与えます。私はこれより貴女の剣となり、貴女を護る盾となる」
額に触れていたはずのトウカの角の感触が消失した。
額と額が直接触れ合い、温かいものが額を介して流れ込んでくる――
(え? なんで? トウカの角はどこいっちゃったの? いまどういう状況なの?)
新菜本人は知りようもないが、トウカの額に生えていた角は強い虹色の光を放ち、光そのものとなって新菜の額から体内へと侵入していた。
「巡り廻れ命のパルス。響け、応えよ。我が命運は貴女と共に。――奇跡よ此処に在れ」
刹那、トウカと合わせた額が燃えるように熱くなり、なんとも形容しがたい衝撃が熱を伴って脳天から手足の末端へと突き抜けていった。
眠っていた全身の細胞が一気に覚醒し、目覚めたかのよう。
「はい、おしまい」
厳格な空気から一転、明るい口調でそう言い、トウカは額を離した。
トウカの額の角が消えている。
「……え?」
うろたえながら、両手を見下ろす。
見た目に変わりはないが、力が漲っている。
視覚も強化されたのか、爪の先、床の絨毯の細部の模様までも見て取れた。
顔を上げれば、視界がクリアだ。
1.2だったはずの視力が急激に良くなっている。
測れば2.0をとうに越しているのではなかろうか。
耳が遥か遠く、夜に鳴く鳥の鳴き声を捉えた。
テーブルの上のミストベリーの香り、窓から入り込んでくる馥郁たる花の匂い、草の匂い、ありとあらゆる匂いが鼻孔をくすぐる。
強化されたのは視覚だけではない。五感の全てだ。
新菜はテーブルから離れ、軽く飛んでみた。
ほんのちょっと飛んだつもりが、天井に頭をぶつけた。
恐ろしいほどの跳躍力。身体能力が格段に上がっている。
(……いまなら格闘系の必殺技なら出せそうじゃない? イメージに身体がちゃんとついてきそう……)
現実逃避のように考えながら、天井にぶつけた頭を押さえる。
トウカが「大丈夫?」と聞いているが、耳には入って来ても脳まで届かなかった。
烈火となって身体を駆け巡った未知の力は、水のように静かに身体を満たしている。きっと新菜が望むときは再び荒れ狂い、大きな力となるのだろう。実感としてそれがわかる。
生まれ変わった気分。まさに奇跡だ。
「契約成立おめでとう」
ハクアに言われて、新菜はそちらに顔を向けた。
「これでトウカの魔力は全てお前に移った。トウカは今後一切魔法を使えないから死ぬ気で守ってやれ。あと、神獣と契約した利点として、お前はこの世界の魔法の法則を無視することができる。適当な呪文では魔法は使えないと言ったが、神獣はその不可能を可能にする」
まだ頭が半分真っ白なまま言われたことを反芻し、右の手のひらを天井に向け、唱えてみた。イメージしたのは丸い光の球。
「ライトニング」
たちまち右手の上に三センチほどの丸い光の球が浮かび上がった。
金色に光る、蛍の光を大きくしたような球だ。
イメージを消すと光の球は消失した。
(……魔法……わたし、魔法が使えるようになったんだ……)
呆然と認め――そして唐突に、新菜の止まった時間は動き出した。
「……って、トウカ!?」
悲鳴じみた声をあげ、床に跪いてがっしとトウカの両肩を掴む。
「額の三本の角は!? どこに行ったの!?」
「ニナの身体の中でパルスとして巡ってる。契約を破棄したら戻るよ」
「どんな仕組みっ!? ほんとにわたしと契約しちゃって良かったの!? 魔法が使えなくなっちゃったんでしょ!? 後悔しない!?」
「うん。しない」
「……どうしてそう言い切れるの?」
迷いなく顎を引いたトウカを見て、新菜は困惑した。
全幅の信頼を寄せてくれるのは嬉しいが、自分にその資格と、それを受け止める覚悟はあるのだろうか。
「だって、ニナはぼくのことを大事に想ってくれてる。これまでぼくを追いかけて来た人間は、みんな契約しろ、魔力を寄越せって、自分勝手な人ばっかりだった。でも、ニナは自分のことよりも、ぼくの気持ちを考えてくれた。ぼくはニナのことが好きだよ」
「…………」
「ぼくはこれからもずっと、ハクアとニナと一緒にいたいの。後悔なんて、するわけないよ」
トウカは笑った。
曇りのない笑顔に、胸が引き絞られるように痛む。
(わたしは一体何を弱気になってるのよ。トウカは文字通り全てを託してくれたのに。なら、わたしがすべきことなんて、決まってるじゃない)
思い出せ。自分は何のために強くなろうと思ったのか。
新菜はぱんっと自分の頬を叩いて気合を入れた。
びっくりしているトウカの小さな両手を握り締め、言う。
「わたしはこの身にかけてトウカを守ると誓うわ。トウカがくれた力で、トウカもハクア様も必ず幸せにしてみせる! 約束する!!」
「……何故そこにおれを含める?」
ハクアが冷静に突っ込んだが、新菜は華麗にスルーした。
「ありがとう。よろしくね」
トウカは新菜の手を握り返し、無垢な天使のような笑顔を浮かべた。
(はああああ可愛い……なんだこの可愛い生き物は……!! この笑顔は反則でしょう……!!)
「うんっ!!」
感極まって、体当たりするようにトウカを抱きしめる。
トウカの尻尾がぱたぱた揺れた。もふもふの尻尾だ。辛抱たまらん。
いまなら言える。新菜はそう判断し、抱擁を解いて訊いた。
「ねえ、ねえ、もふもふしていい?」
「もふもふ?」
トウカがきょとんと首を傾げた。
「耳とか尻尾とか触っていい? 遠慮なく。容赦なく。もーそれは思いっきり気の済むまで」
わきわきと両手を身体の脇で蠢かせる。蜘蛛のように。
「一回だけ。一回だけでいいからもふらせて」
「……えー……う、うん、いいよ?」
鼻息を荒くし、目を血走らせた新菜の形相が怖いらしく、ためらいながらもトウカは許可してくれた。
夢にまで見たもふもふチャンス到来に、新菜の理性は粉砕された。
「まああああああなんて素晴らしい毛並み! 肌ざわり! なんてうらやまけしからん! けしからんぞこの耳! 尻尾! もふもふ! もふもふ最高ぉぉーー!!」
新菜はハクアが「そろそろ止めてやれ」と制止をかけてくるまで、思う存分もふもふを堪能したのだった。
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