エンドロール

ハル

3月22日(日)

早足でマンションの階段を降りる。コンクリートの壁に囲まれたその空間には、まだひんやりとした空気が満ちていた。タタタとリズムよく降りた勢いそのまま、軽い足取りで外に出ると、春の日差しが僕に降り注いだ。まるで赤ん坊の肌のように繊細で柔らかな光だった。三月の終わりという季節のおかげか、午前十時という時刻のおかげか。どちらにせよ、僕はその優しい温もりに笑みがこぼれた。そしてその笑みは柔らかな光によるものだけではなかった。

 僕がこれから始めようとしていることは、決して喜びに溢れたものじゃない。しかし、ただ始めるという事実が僕の心に新鮮な風を吹き込んでいた。特別日常を大きく変えるものではない。むしろ些細なことだ。けれどこれがこれからの毎日に彩りを添えるはず。そんな期待に心躍らせてしまう。

 履き慣れたジーンズに濃紺のシャツ、その上にダウンのベストジャケットを羽織った僕は、ポケットに入れた財布を軽く叩いてリズムを取りながら歩いた。鞄も持たず、心身共に軽やかに、空を見上げながら歩いた。建物の隙間から見える青い空の中で、白い雲がゆっくりと動いていく様もどこか優しく、空全体が僕の門出を祝福しているかのように思える。

 ふと横を見ると、司法書士事務所のドアのガラスににやけ面の自分が映った。それに気がついて改めて笑った。どうしてここまで気分が高揚しているのだろう。これまでの平凡で鬱々とした日々がどこに行ってしまったのか。こんな気分は久しく味わっていなかった。ふと、僕は初めて恋人が出来た次の日のことを思い出した。歩いているだけで頬が緩んで何を見ても誰と話しても幸せな気分になれた日のことを。当時まだ高校生だった僕は、恋人が出来たという事実だけで幸せで、彼女の顔を思い浮かべては照れていた。純粋無垢な恋か、それともただ恋愛に憧れていただけの幼い恋か。案の定その恋は儚いものだったけれど。

 今があの時と同じくらい幸せというわけじゃない。むしろ幸福感とは懸け離れたものだ。一つ間違えると自暴自棄と言ってもいいかもしれない。もうどうにでもなれと開き直ったことによる開放感といった方がしっくりくる。ともかく昨日までの曇り空はもうそこになく、突き抜けるような青空があるのだ。ただそれにしても、ここまで楽しい気分になるものだろうか。ポジティブな感情が溢れて止まらない。心のネジが一つか二つ外れておかしくなってしまったんじゃないか。そんな気持ちになる。感情が自分の『もの』じゃない感覚がした。けれど僕にそれをどうこうする手段は無い。自分の感情をコントロール出来るほど器用な人間じゃなかったから。しかし実際に気分が良いのだ。別に問題はない。無理にネガティブな感情を引っ張り出す必要もないだろう。そう納得しておこう。

 路地を抜けて大通りに出ると、思っていたより多くの人が行き交っていた。考えてみれば、日曜日の朝から外を歩くなんてことはほとんど無かった。いつもはまだ家のベッドの上で寝ぼけている時間だ。そう考えると周囲を行き交う人々に尊敬の念を抱く。休日の朝から出歩こうなんて健康で幸せな生活じゃないときっと思わない。幸せじゃない人間に、日曜の朝から出かける元気なんてない。そう思うと案外世の中は幸せな人間で溢れているみたいだ。日本は幸福度が低いだとか言うけれど、実際はそれなりに幸せなんだろう。もしかしたら本当に不幸な人間に対して、不幸なのは君だけじゃないと国家ぐるみで励ましてくれていたのかもしれない。

 それにしてもマスクをしている人が多い。今もまたマスクをした親子連れとすれ違った。母親と男の子の目元がそっくりで微笑ましい気分になる。目元だけじゃなく花粉症も遺伝したのだろうか。そういえば、今年は例年の五倍以上の花粉が飛んでいると気象予報士が言っていたのを思い出した。喜ばしいことに僕は花粉症じゃない。鼻水が出るのは風邪の時くらいで、花粉の存在を実感したことはないし、飛んでいる花粉の量に関心もない。だからかもしれないが、毎年春になると、今年は例年の何倍以上の花粉が飛ぶ、なんて騒がれているような気がする。いったい例年並みの春はいつやってくるんだろうか、とその度に思う。花粉だ花粉だと騒いで、関連商品を買わそうとする陰謀が裏で渦巻いているんじゃないか。この考えを花粉症の友人に話したことがあったけれど、その友人も薄々そう思うと同意してくれた。ただその後に静かにこう言われた。お前は花粉症じゃないからそんなことが言えるのだ、花粉症の辛さを一度味わってこいと。

 マスクの群れを抜けて、僕はコンビニに入った。小さなメモ帳とボールペンを買うためだ。店内に入ってまず目に入ったのは花粉対策コーナーだ。けれどコンビニにとっては残念なことに僕は花粉症じゃない。様々なマスクなどが置いてある棚を横目に文具コーナーへ向かった。メモ帳とボールペンを買うにあたってこだわりはない。とりあえずポケットに入る大きさであればいい。僕は手のひらサイズのメモ帳の中で出来るだけ丈夫そうなものを一つ手に取った。表紙が茶色のボール紙で、何も書かれていないシンプルなものだった。僕はそのシンプルさに満足した。これからこのメモ帳は『エンドロール』になる。そこに余分な要素はいらない。そしてこれもまたシンプルな黒のボールペンを一つ取ってレジに向かった。

 レジにいた店員もマスクをしていた。茶色というより金髪に近い髪色で、耳に小さなピアスをしている青年だ。このコンビニでよく見かける店員で、僕からの一方的な顔見知りだ。彼が僕のことをよく来る客だと認識しているかはわからない。元々コンビニの店員なんて職業だと毎日大量の客の顔をみるわけで、その中の一人を覚えることなんて滅多にないのかもしれない。僕にとっては三人の店員の中の一人だけれど、彼にとってはごまんといる客の中の一人なのだ。

 そんな彼も花粉症なのかと思うと勝手に面白くなった。前の客が精算をしている間に店内を見回してみると、自分以外全員マスクをしている。電車の向かいに座った知らない人が、その隣の人と同じ鞄を抱えていた時と同じ面白さだ。そして横に座っている人も同じ鞄だったりしたら面白いから嬉しいに変わるような。僕の後ろにもう一人客が並び、すると奥から店員が出てきた。残念ながらその店員はマスクをしていなかった。あーあ、と心の中で呟いた。

 同時に前の客の精算が終わり、僕はそのまま前に一歩進んだ。お金を払い、金髪の彼がボールペンとメモ帳をビニール袋に入れようとしたので、僕は慌ててそれを断った。

「ありがとうございます。それではこちらが商品になります」

彼は見た目に似合わない優しい声でそう言い、僕は商品を受け取った。

「ありがとうございました」

彼は丁寧に頭を下げた。その丁寧さと見た目とのギャップで僕は彼を覚えていた。

 外に出ると春の太陽の日差しは、赤ん坊の肌から小学生低学年の肌に変わっていた。


 マンションの自室に戻ると、僕は机に向かい、手に入れたばかりのメモ帳の表紙に、手に入れたばかりのボールペンで『エンドロール』と書いた。一体どんなエンドロールが出来上がるのだろうか。そんな想像をしながら表紙を開く。もちろんまっさらな一ページ目が姿を表す。まず何を書こうか、少しばかり思案する。いつでも思い出せるような人や場所は後回しにしよう。その時出会った人、その時思い出した場所を一つずつ書いていこう。そう考えた僕はペンを握り直した。

「最寄りのコンビニの金髪の店員」

名前も知らない、まともに会話もしたことがない赤の他人だったけれど、彼もエンドロールに書くべきだろう。どんな些細な関わりでもいい。たとえエンドロールがどんなに長くなっても構やしないのだから。

 エンドロールを閉じて、洗濯でもしようかと立ち上がろうとした時、なんの拍子か昔住んでた家の近くのコンビニにスキンヘッドの店員がいたことを思い出した。彼もさっきの店員と同じく、見た目の割に物腰が柔らかだった。もう一度エンドロールを開いて、一行あけて書き込む。

「大学時代の家の近くのコンビニのスキンヘッドの店員」

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