第65話 アズライト・オブ・イモータリティ

「思っていたより、ずっとちっこいのう。こんなちっこいのがあの糞龍を山から引きずり降ろしたのか。それはそれで痛快ではあるの」



 木神はそう言って楽し気に笑った。


 会話はとても流暢だった。

 とても狐が喋っているとは思えないくらいだ。


 しかも話しやすそうである。

 さっきの光神とはかなり雰囲気が違っていた。



「あなたが現神ですか?」

「そうじゃよ。儂がこの森を統べる者――と言ったら大仰すぎるの。放っておいたら勝手に伸びただけじゃし」

「そうですか」


 確認が取れたので、アヤメは深く頭を下げる。


 

「ごめんなさい」



 そしてアヤメは謝った。


 理を無視して神のテリトリーに神を召喚したのは確かだし、神の背に『転瞬楽土』をぶっ放したのも事実である。

 切羽詰まっていたとはいえ、さすがにやり過ぎだったかもしれない。


「ほーう。こうも簡単に詫びるとは。儂に根性焼きを入れたとはとても思えんな」

「みんなを守る為だったんです。ごめんなさい」

 

 話が通じるなら、最初に謝ろうとは思っていた。

 もし通じないならば、もう一度神降ろしでもするしかないと思っていたのだが、それはしなくても大丈夫そうだ。

 

 

 ――というか根性焼きが通じるのが驚きだった。



 この世界にも似たような度胸試しがあるのかもしれない。

 よく考えれば、別に文化交流した訳でもないのに、身体に焼きを入れる事で度胸試しとする文化は世界中に点在する。

 ならばこの世界でも同じ事なのだろう。

 


 

「――うむ、許す!」




 そして意外とあっさり許しが出た。

 

「そんなあっさり」


 実はアヤメ的には現神と刺し違えるくらいの覚悟をしていた。

 オルデミアに現神は恐るべき存在であると聞かされていたからだ。


「実は余り怒ってはおらん。あの糞龍は性格は最悪だが、属性の相性は良いでな。木に光は必要なものじゃ」

「そうなんですか」


「ただ炭屑を呼び出しておったら、さすがの儂も怒っておったじゃろうがな。今頃お主は地面の中に埋まったまま、千年は出られなくなっておるよ」

「それは……良かったです」


 アヤメは顔を引きつらせて苦笑いを浮かべる。


 炭屑――という事は恐らく火の属性をもつ現神だろう。

 今後もし現神のテリトリーで神侵シ降臨唱を使う機会があるならば、属性もちゃんと考えて使用しなければ……。

 

「しかし面白いのう。ほれ、もうちっとちこう寄れ」


 そう言って木神は手招きをする。


 アヤメは少し躊躇ってから、花畑の方へと歩き始めた。

 いきなり取って食われたりはしないだろうが、気まぐれで国を滅ぼすような手合いである。

 どんな事が起きても不思議ではない。


「花畑……入っても大丈夫です?」

「大丈夫じゃ。ほれ早く」


 アヤメはびくびくしながら、花畑へと足を踏み入れる。



「わん!!」

「ひぃー」



 いきなり木神が犬の如く吠えた。

 アヤメは縦に一メートルくらい跳ねる。


「わはは。驚き方もオーバーじゃのう。びっくりさせただけじゃ。花は気にせずとも良い。仮に枯れたとしてもこの程度の花ならば一秒もあれば元に戻せるわい」

「……」


 アヤメは少し恨めしそうにしながら、もう一度、花畑の中を一歩進む。



「こーん!!!!」

「ヒィー」



 いきなり木神が鳴く。

 アヤメが跳ねた。


「わはは。何か驚かせたくなるわ。可愛い奴じゃのう」

「……」


 アヤメは木神を睨みつけながら、一歩また進もうとする。


「こー」


 しかし吠えようとした瞬間に足を止めた。


「……」

「……」


 一瞬の睨み合い。

 そしてアヤメは足を踏み出そうとしたり、引っ込めたりを繰り返す。


「こっ……こっ……こっ」


 アヤメは一歩踏み出す。


「コンッ!!」

「おどろきません」


「くぅーん……」

 

 木神は残念そうな表情をする。

 アヤメはそのまま木神のすぐそばまで歩み寄った。



「ほー。ほー。なるほど。なるほど」


 木神は、その藍色の目でアヤメを興味深そうに眺める。

 まるで吸い込まれそうなくらいに美しい目であった。


「きれいな目」

「おお? まさかお主、儂を口説いておるのか?」

「ち、違います! た、ただの感想です!」


 アヤメは頬を赤く染めながら否定する。

 

「くくく。これくらいの冗談で赤くなりおって。愛い奴じゃの」


 木神はそう言って笑いながらアヤメの目を、じっと見つめる。


 しかし、急に笑うの止めると真剣な表情でアヤメの目を覗き込む。

 そしてアヤメの目を見据えたまま、ぽつりと零した。



「お主、男じゃな……?」

「!?」


 

 この世界の人間が誰一人として見破れなかった事実を、一目見ただけで看破された。

 やはり現神は尋常な生物では無い。

 

「身体的には完全に女じゃが、魂が男じゃ。しかし身体の影響か、身体に入っていた魂の影響か――お主混ざってきておるぞ」

「混ざる?」


「魂の色が混ざっておる。男としての自分を忘れかけた事は無いか? 身体に引っ張られて、男なのに女のような振る舞いをしてしまうのじゃ」

「……」


 アヤメは硬直する。

 心当たりしかなかった。


「その様子では、やはり混ざってきておるようじゃのう。お主そのまま、その身体に入っておると、男では無くなるぞ」

「……マジですか」


「おお、マジじゃ、マジじゃな」

「どうやったら戻れます?」


「まあ、今は無理じゃよ」

「ええ!?」


「また面白い事にの。お主の魂を、膨大な魔力――ではないのぅ。うーむ、何というか」

「?」


「何か膨大な情報のようなものが術式で織り込まれ、膜のように魂を包み込んでおる。そいつのせいでお主の魂は簡単には身体から出る事ができんのじゃ」

「……ええっと」


 木神の言わんとする事が分からず、首を傾げるアヤメ。


「例えば、お主を鳥の卵としよう」

 

 

 木神は卵を例にして、分かりやすく説明してくれた。


 人を卵とするなら、殻は身体で、黄身や白身が魂であるという。


 その卵の殻に穴を開け、中身を取り出す。

 その後、別の中身を注入し、卵の穴を閉じる。

 そうすると殻は同じなのに中身が違う卵が出来上がる。


 それがアヤメであった。


 

 しかしそこにもう一つ、手が加えられていた。



 卵に魔力のようなもので出来た膜を張りつけてある。

 この膜のせいで、普通の卵が割れるような高さから落としても割れないのだ。

 

「その膜が何で出来ておるのか――儂にも分からんが、それを破って卵を普通の状態に戻し、中身を抽出できるようにしてから、元の身体に戻せば、理論上は戻ってこれるはずじゃ」

「何だかとても難しそうです」


「お主を殺せば、まあ膜ごと殻も破壊できるじゃろう」

「うっ……それ大丈夫なんですか?」


「破壊されると同時に中身も飛び散るからのう。それを別の殻に注入したとしても、中身が足りん。立派なアンデッドの出来上がりじゃよ」

「なるほどー。ゾンビやスケルトンってそうやってできるんですね」


 アヤメはますます顔を引きつらせる。

 

 どうやら現状、この体から抜けだす事は不可能らしい。

 恐らく膨大な情報というのはリ・バースのゲームデータだろう。

 ゲームデータを魂に織り込むというのは、どういう技術なのか。


 やはりこれをやった人間を見つけるのが先決のようだ。

 

「そういえば、お主、名前は何と言う」

「アヤメです」

「うむ」


 そう言って木神は深く頷く。


「やはり魂がかなり混ざっておるの。もう取返しがつかんかもしれんぞ」

「え?」



「何故、この状況、この場で、本名を言わぬ」



 そう言って木神に、にぃっと笑う。


「――」


 アヤメの顔が真っ青になる。

 完全に自分はアヤメに成っていた。

 

 急に自分が分からなくなる。

 

「気にする事はない。魂というものは、実に曖昧なものじゃ。お主のように外見に引っ張られて変質する事もあるし、性別が違えばもちろん、ただ年を経るだけでも変質していく。常に変わり続けるものじゃ。今の自分をただ、受け入れていけばよい」

「ええ……」


 今の自分をただ受け入れる、というのは幼女化しろという事なのだが。

 それでいいのだろうか。


「では、その上で頼みたい事があるのじゃが」

「な、何ですか?」


「儂は人と話すのはとても久しぶりでな。しかもこんな可愛らしい幼女――む? 男か? ややこしいのぅ」

「ややこしいのは分かります」

「まあ、良い。それで、可愛らしいアヤメに頼みたい事はじゃな」




 何となく嫌な予感がした。


 現神の頼みというのは、スケールが大きいのではないか?

 世界の果てに行ってくれ、とか数百年後に会おう、とか。


 何せ現神の森を『放って置いたら勝手に伸びた』というような存在である。

 それくらいで済めば安いものかもしれないレベルだ。

 

 しかしやらかしている以上、頼みを断る訳にもいかないだろう。

 ある程度は聞かねばならない。




「……何でしょうか」

 

 アヤメは固い表情をしたまま答える。

 

 木神はアヤメの同じ目線の高さになるように、しゃがみこむ。


 そしてこう言った。







 


「儂の子を孕んでくれぬか」

「だれかたすけてぇ!」

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