第58話 神侵シ降臨唱

 現神の森は通常の森とは全く違う特性を持っていた。


 森を満たす非常に濃い魔力。

 木が切り倒されようとも、数日で生えてくる修復力。

 人が手を入れていないにも関わらず、整備された植生。


 まるで森自身が『こうありたい』という意思を持っているかのように、森は気の遠くなる昔から、変わらずその環境を保っていた。


 それもそのはず、現神の森は現神そのものだからである。

 


 その森に生えている苔が、自ら退いていく。

 

 

 炎で焼かれたり、衝撃で剥がれた訳ではない。

 勝手に地面を滑るように、アヤメから離れていく。

 

 正しくはアヤメからではない。

 崩壊した次元ゲートから出てくるモノからである。

 

 前にオルデミアに習った通りだった。

 現神は、何故か同じ場所に存在するのを嫌う。

 

 

 だから森が――現神が退いているのだ。

 

 

 ゲートが砕かれ、ひび割れた空間の亀裂から、トカゲのような首が覗く。


 黄金の鱗に、黄金の角。

 そして十二の黄金の瞳。


 馬を一飲みしそうなサイズの顔だった。

 そこからさらに何本もの首が窮屈そうに出て来る。


 爪が空間を裂く。


 硝子が砕けるかのように、世界がひび割れていく。

 世界を破壊しながら、それはついに現れる。


 

 竜。


 

 アヤメが知っている生物の中では、それが最も近い生物だった。


 だが首は八本もあり、全身を包む鱗は琥珀色の鉱物で構成されている。

 二枚の巨大な翼はあるが半分程は石化していた。


 とにかく巨大だった。

 こんな生物が陸上で生きられるのか、と思うくらいに巨大だった。

 四・五階建てのマンションくらいのサイズはあるかもしれない。


 そして八つの頭に備わる十二の瞳――九十六の瞳が、アヤメを見る。


 

(ひぃっ)



 大量の目に見据えられ、アヤメは身体を縮こませる。


 その目はどう見ても怒っていた。

 怨嗟の目でアヤメを睨んでいる。

 

 だが来てもらったからには唄ってもらわねば。

 アヤメは遥か高所から見下ろす竜を、気をしっかりと持ち、睨み返す。

 そして腰に手を当て、自分も怒っているという意思表示をしながら、こう言った。


「唄って」


 幼女の叱責で竜は不満げに鼻を鳴らすと、視線をアヤメから離す。


 そして、視線を神護者達に向けた。



 竜の八つのアギトが開き、同時に吠える。

 

 その叫びは、文字通り。

 地面を引き剥がし、木々を退かせた。

 



 

 アイリス帝国より北。

 

 アリスティン山脈を越え、さらに北へ向かうと年中を氷に閉ざされた地があるという。

 そこには雲よりも高く聳え立つ山脈が立ち並ぶ。

 その山脈の最高峰には、もはや空気すら届かない。


 あらゆる生物が立ち入れない、その頂上に、その生物はいた。

 

 この世界を光を司る、光だけを喰って生きる現神。

 


『現神 光神サンズ ラグナロック・オーヴァロード』


 

 それが今、遥か南の現神の森へと召喚されたのだ。

 




 

「そ――ソレを!! 今すぐ!! 引っ込めろ!!」


 ジーベが人質を盾にしながら絶叫する。

 とっさに出た言葉だった。


 神護者の全員が、この竜を見た事はない。

 初めて見る生物である。


 だが確実に自分達より遥かに上位の存在である事には気づけた。

 

 それは本能――というより知識であった。


 見た事がないはずなのに、識っていたのだ。

 目の前の存在が、自分たちの手に負えないものであると。

 だがその知識がどこから得たものなのか、分からない。

 

 現神の遥か遠い記憶。

 それが現神の加護を受けた現神触達の記憶を揺さぶっている。


 その事に気づけたのは、現神の研究をしていたロクスだけだった。


 実を食べた事により、現神に近い存在へと変化している事は分かっていた。

 同じ現神触ならば感覚が共有できるのも、根本の所で現神と繋がっているからだ。

 だから目の前の竜がどういった存在なのか理解できた。


 自分達より上位の存在など、そう多くはない。

 精霊王か、現神か。

 

 だが精霊王の姿は文献によって伝えられている。

 あの少女の近くにいる異形の三体が精霊王だろう。

 文献で見た姿にそっくりであった。


 しかしあの竜は、それ以上の存在だ。



 だとすると導き出される結論は一つ。



 あの少女は現神を呼び出したのだ。


 

 ロクスが長年研究してきた現神法術の実現。

 前人未踏の研究のはずだった。

 

 それを軽く凌駕する現象がロクスの前に起きている。


 それを……それを、あんな年端もいかない少女が――。

 

 

「オルタ! 人質を殺せ!!」



 その圧倒的な存在感に耐え切れずゼロが叫んだ。


 本来ならば人質を先に殺してしまうのは悪手である。

 人質を殺され、逆上した相手に反撃されるかもしれないからだ。


 だが今は、こちらが本気で殺すつもりだというのを強く知らしめねばならない。

 それだけの緊急事態だった。


 オルタはニニャの首筋に、爪を立てる。


「止め――!!」


 ミョルドが制止する暇なく、その爪はニニャの首を掻き切った。

 

「ん?」


 オルタの爪はニニャの首に届いていなかった。

 全くの無傷である。


 それに気づいたオルタは、なおも力を籠め、爪をニニャの首に差し込もうとする。


 だが爪から返ってくる感触に、オルタは困惑していた。

 硬いものに爪を立てようとしているとか、法術によって弾かれているとか、そういう事では無かった。

 

 ただ、届かない。

 近くに存在するはずのに、遥か遠くのものに攻撃しているような不思議な感覚だった。


 まるで力が全く別の場所に流されているような――。

 

 よく見ると人質に金色の膜のようなものが張られている。

 それは神護者やシルバーシド達以外を包み込んでいた。

 


 アヤメはずっとこの瞬間を待っていた。


 射程内に護るべきもの。

 倒すべきものが全員同時に存在する瞬間を。



 消費MP1580。

 射程1000。

 次元を捻じ曲げ、外部からの影響を他次元へと受け流すフィールドを張る。


 神侵シノ唄『フォーリナーの神域結界』だ。

 

 この効果範囲内に存在する味方は二十秒間、完全に無敵となる。

 あらゆる状態異常も全て無効化される。




 

 

 

 

 

『 s a a 』

 

 そしてアヤメが自身が歌を紡ぐ。

 

 降臨唱は多くの歌を同時に使用するスキルだ。

 要はバード時代に自分がやっていた事を、精霊達にやって貰うスキルである。


 では空いた自分は何をするのか。

 

『ima koso kie yuke subete sekai yo』



 答えは簡単。

 攻撃である。


 

 

神霊交響曲オリジン・シンフォニア 第二 転瞬楽土てんしゅんらくど




 神をも使役する、世界を変革せし者が歌う、唄と魔力を触媒に顕現させる奇跡。


 効果は自分を中心とした円範囲に、強力な神の裁きを下す。

『リ・バース』におけるPVP攻城戦コンテンツにおいて、猛威を誇った為、消費MP四倍増にディレイ三倍増と、二度の修正を受けた凶悪な唄。


 

 

 覚醒スキルと呼ばれる三次職上位範囲攻撃スキル。



 消費MP4800・ディレイ90。


 威力 14950。





『射程 1500』





 急に空が明るくなった。

 ロクスは天を見上げる。


 空が真っ白に光り輝いていた。

 その光り輝く範囲は、急激に大きくなっていく。


 いや、巨大化しているのではない。


 遥か遠くの上空から、光の柱が堕ちてきているのだ。



「ロクス……」


 それに気づいたゼロが呻くようにロクスに声をかける。


 だがロクスは無反応だった。


 自分の全てをかけて追い求めていた研究が無意味だったと知り、虚無感に打ちひしがれていたからだ。


「ロクス!!」


 ゼロはもう一度ロクスに声をかける。

 神護者の中で最も強力な法術を使えるのはロクスだった。


 ゼロの言葉にロクスは我を取り戻す。


 そうだ。

 まだ終わりではない。

 あの少女の技術を手に入れれば、さらなる力を得られるはずだ。

 

木王絶対障壁レスタ・アブソリュートシールド!!』


 ロクスは持て得る全ての魔力を消費し、自身が開発した最強の防御法術を発動させる。

 ロクスの周囲を分厚い緑のバリアが半球状に展開される。


 ゼロ達は人質を捨て置くと、ロクスのバリア内に入った。

 

 このバリアはゼロの本気の法術攻撃すら無効化するバリアである。

 恐らく現状、生物が作れる最強の防――。



 大気を揺るがす轟音で思考が中断された。



 光の柱はすでに空を覆い尽くす程の大きさになっている。

 まだ着弾していないにも関わらず、現神の森の巨木が蒸発を始めた。

 大地が融解し、赤熱化する。


 耳障りな音を立てて、バリアの輪郭がブレ始めた。

 ただの余波でバリアが悲鳴を上げている。


 つまり当たると効力が発動する木霊導槍のような対象指定型の法術ではない。


 これは無差別の範囲攻撃だ。

 人質ごと、全てを巻き込んで滅ぼすつもりなのだ。



 それに気づいてゼロはアヤメを見誤ったと感じ取った。

 ただの幼女と思ったがとんでもない勘違いだ。

 

 アベルから、あの二人は帝国の最終兵器だと聞いていた。

 単なる比喩表現だと思っていたら、まさにソレそのものなのだ。


 人の形をしているだけの、凶悪な兵器だった。


  

 手足のように精霊王を使役し。

 現神を現神の領域に放り込み。

 そして味方ごと、敵を皆殺しにする。


 

 仮に兵器でない人間だとしても。


 

 

「頭がおかしい」

 

 

 

 転瞬楽土が着弾する。





―――――――


 

 

 

 その光は遥か遠くのジェイドタウンからもハッキリ見えた。

 

 光の柱が遥か遠くの空から現神の森へ伸びて来たかと思うと、目が眩むほどの光に襲われたという。

 眩んだ目がようやく元に戻り、森の方角へ目を向けると、そこには巨大なキノコ状の雲が生まれていた。


 その雲はまるで入道雲のように高く、高く。

 天を貫くかのように、伸びあがっていたという。

 

「今まで見た事が無い自然現象だから、誰かが何かをやったんだろう」

「まあ誰が何をやったにしても、近づきたくはないよ」

「何が起きたか確認するつもりもないね。だって――」

 

「あんな事が出来るのは、神か死神かのどちらかだろうから」

 

 目撃者は後に、そう語ったという。

 

 

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