第45話 忘れていた感情

「生きてたのか! そうこなくちゃな!」


 ミーミルを見て、ニアは嬉しそうにする。

 ニアにとっては、壊れた玩具が、また動き出したようなものだった。


「待ってろ……今、ぶん殴ってやる……」


 ミーミルは、ニアに近づいていく。


 だが、その足元はおぼつかない。

 まっすぐ歩く事すらできない程に、弱弱しい歩きだった。


「おいおい、今にも死にそうじゃねぇか。大丈夫か? 誰にやられたんだ?」


 ニアは笑いながらミーミルを茶化す。


「く……くそが……」


 ミーミルは地面に膝をつく。

 歩く事すら厳しい。


 その様子はマキシウスの目にも見るに堪えないものだった。


「ほら、お姉ちゃんが凄い頑張ってくれてるぞ。何か言う事ないのか?」


 ニアはセツカとリッカに向かって話しかける。

 二人は黙ったまま、静かに泣き続けている。

 さっきから顔を上げようともしない。


 木を操作し、二人を締め上げても反応が薄くなってしまった。


「ちっ……詰まらん」


 ニアは双子から興味を無くすと、まだ弄びがいのありそうなミーミルに向き直る。


「ほら、憎い相手はこっちだぞ。頑張れ頑張れ」

「ぬ……うおおお……!!」


 ミーミルは気合いを入れ、立ち上がる。

 だが、やはりフラついていた。


「絶対ぶっとばす……」


 ミーミルは力なく拳を振り上げると、ニアに向かって近づいていく。

 その様子を見て、ニアは思わず失笑してしまった。


 神護者の身体は、元の形は保っているものの、実際は大きく変質していた。


 その最も大きな違いは、異常なまでの防御力である。


 身体は非常に硬質化しており、鋼鉄の刃すら傷一つつかない。

 事実、法術付与されたレフナイト製の短剣を薄皮一枚で止めたのだ。

 刃先に塗られた毒が浸透するだけの傷もつけられなかった。


 その神護者に素手で向かってくるミーミルに、ニアは哀れみすら覚えていた。



「頑張れ、もうすぐ当たるぞー」


 ミーミルはゆっくりと、拳を繰り出す。

 その速度は、文字通り蠅が止まりそうなスピードだった。


 ニアは笑みを浮かべながら、その軌道上に手を広げる。

 

 このまま手を掴んで、握り潰してやろう。

 そうすればどんな声で鳴くだろうか。


 ニアはミーミルの拳に、手を伸ばす。









 射程に入った。



『魔人絶掌』



 メッギャ


 

 聞き慣れない音がした。

 それが自分の身体からしたと、気づくのに時間がかかった。

 

 腕が粉々に砕け散っていた。

 

「は?」


 ニアは何が起きたのか理解できず、間の抜けた声を漏らす。


 目の前の女は、深く、深く。


 亀裂のような笑みを浮かべていた。


 

 その笑みでニアは気づく。

 

 

 演技だった。

 何もかも。



 だが気づいた時には、終わっていた。


 

 魔人絶掌はスキルコンボの始点である。


 歌が響く。


 マキシウスの影にいた幼女の歌。

 その幼女を見て、ニアは気づいてしまった。


 その両手で抑えていた足。



 その足には、何の怪我も無かった。



 当たらなかった訳ではない。

 あの槍は、当たらないと爆発しない。


 そして直撃を受ければ、神護者でもダメージを負う程の威力を持っている。

 法術を使えば無効化する事も可能だろうが、使っている気配は一切なかった。


 間違いなく生身で、あの槍を受けたはずなのだ。



 だが無傷だ。

 そんな生物が、この世界に存在するのか?



 ――俺は一体、何を、相手にしていたんだ?



 ニアは全身の血が、氷水に入れ替えらえたような感覚を覚えていた。


 嫌だ。


 この感覚をもう二度と感じたくないから、あの実を食べたのに。

 ずっと忘れていたのにどうして。


 この僅かな瞬間、ニアの全身を支配していた感情。



 それは紛れもなく『恐怖』であった。



 ミーミルの身体が赤く光る。

 

『魔人連脚』

 

ジグラートの烈火ブースト』がかかった魔人の蹴りで、ニアは上下に割れた。



 

 

「うええええん」「アヤメちゃん! アヤメちゃん!」

「もう大丈夫」


 アヤメはセツカとリッカを抱きかかえながら、二人の髪を撫でた。

 二人を縛っていた木の根はミーミルの剣スキル『クロスブレード』で、すでにバラバラにされていた。


 二人は怪我も無く、無事に解放されたのだ。


「怖かった……」「こわかった」


 セツカとリッカはアヤメにしっかりと、しがみ付く。

 本当に無事で良かった。

 アヤメは二人の背中を優しく撫でながら、深く息を吐いた。


「俺も手伝ったのだが」


 ミーミルはそう言ってセツカとリッカに目配せする。


「……ありがとうございます」「……ありがとうございます」


 そう言って二人は頭を下げるだけだった。

 他人行儀だ。

 やっぱりミーミルには懐いていないようだった。


 ミーミルは何故かアヤメを睨む。

 その視線を無視したまま、アヤメは立ち上がった。


 さっきから動かない男性に声をかける為だ。


「マキシウスさん」

「どんな処罰も受けるつもりです」


 マキシウスは地面に正座したまま、アヤメに言う。

 まるで借りてきた猫のように大人しくなっていた。

 大きく見えていた体も、今はとても小さく見える。


 その様子を見ていると殺されかけていたのに、可哀想に思えてしまう。


「えっと、処罰はとりあえず後回しで」

「後回し……」


「神護者が後何人いるのか聞きたいんですけど、分かります?」

「後、五人いると聞いています。人数に間違いはないと思いますな」

「そっか……」


 ミーミルのコンボを最後まで撃つことなく、ニアは倒せた。

 同じ現神触である『骸』は、降臨唱入りのコンボに耐えていた。


 やはり実を食べた量が少ない分、『神護者』の個体能力は『骸』より劣るようだ。

 それならば十分に倒せる相手のはずである。


「それより早く村に戻ろう。何だか嫌な予感がする」


 ミーミルは周囲を見渡しながら腕を組み、二の腕をさすっていた。


「嫌な予感?」

「なんかぞくぞくする。森に敵意が満ちてる……みたいな。上手く言い表せないけど」


 アヤメには何も感じられない

 だが、確かにミーミルは森の異変を感じ取っているようだ。

 今の所、ミーミルの勘が外れた事がない。


「そうだね。まず戻ろうか」

 


 

「そうは させるか」




「!?」


 背からかかった声に、アヤメとミーミルは慌てて振り向く。


 そこには下半身を失ったニアが転がっていた。

 その全身には、まるでガラスのように罅が走っている。


 死んだように見えていたが、ただ気絶していたのか。

 だが人質がいない以上、もはや恐れる相手ではない。


 ミーミルは落ち着いて、剣を抜く。


 だが、声を発したもののニアは一向に動こうとはしなかった。

 僅かに身じろぎしただけで、ひび割れた体は砂のように崩れ去っていく。

 下半身はすでに粉々になり、砂の山と化している。


 誰の目にも、ニアが死の淵に立っているのは明らかであった。


「……まだやるつもりか」

「クク……フフ……」


 ミーミルの言葉にニアは短く笑う。


 それだけで、辛うじて繋がっていた左手が根元から折れた。

 折れた左手は地面に落ちただけで脆くも粉々になる。


「もう やってやった」


 そう言ってニアは、また笑う。


「何を――」


 ミーミルが問いただす前に、答えが分かった。

 ミーミルは耳をぴくぴくと動かす。

 この世界ではまだ聞いた事のない音だが、日本では何度でも聞いた事がある。

 

 その耳には、砂浜に押し寄せる波のような音が届いていた。


「波……か? 何でこんな場所で」

「ミーミル?」


 ミーミルに近寄ろうとしたアヤメに、セツカとリッカがしがみつく。


「ちょ、ちょっと二人とも」

「……何か、来てる」


 二人は震えながら森の奥を凝視していた。


「俺の兵を全部呼んでやった。クク……ハハハ……」


 ニアは笑いながら崩れていく。

 だが、崩れる原因は笑いのせいではない。

 

 地面が振動している。

 だが地震ではない。


 地震ならば、揺れ方に差はあっても来る時は一瞬だ。

 こんな風に少しずつ振動が大きくなっていく地震など考えられない。

 岩盤破壊による震動波にしては、余りにゆったりしすぎている。

 

「足音だ」


 ミーミルが、そう呟いた時だった。

 音がぴたり、と止まる。

 

 そしてゆっくりと、木陰から小さな人間が現れた。

 

 だが姿は歪で両手両足が体と同じくらいの大きさがある。

 ディフォルメをかけた人間のような姿だった。

 だが姿は歪で両手両足が体と同じくらいの大きさがある。


 そして頭には大きな単目。



 見た事のある魔物――パロックだ。

 だがパロックと違うのは、体が銀色に染まっている事だった。


 

 シルバーパロックの後ろから、またシルバーパロックが現れる。

 その後ろからも、後ろからも。

 続々とシルバーパロックが現れた。


「おいおい……」


 ミーミルもその数には冷や汗を浮かべる。

 ざっと見ただけで二・三百はいるのではないか。



 アヤメ達は完全に包囲されていた。

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