第26話 ミョルドの受難

 宴から数時間が経過した。

 すでに日は完全に沈み、現神の森は闇に包まれている。


「副長、今日帰るの無理」

『冗談ではありません。冗談ではありません』


「泊る……ヒック」

『パークス様、飲んでいるのですか!? 現神の森の中で!?』


「後はよろしく」

『本気ですか。急な予定変更は怪しまれる元凶』

「皇帝がそう言ってるので仕方ない。おやすみ」


 パークスは結線石の接続を解除した。


「これで大丈夫ですミーミル様」

「よくやった褒美をつかわす」


 ミーミルはパークスの器に酒を注ぐ。


「これは大変ありがとうございました」


 パークスは器を掲げると酒を飲み干す。


「御馳走様です地面が揺れてる」


 そう言ったパークスは左右に揺れている。




 パークスとミーミルは、もはや歩くのもままならない程に酔っていた。


 部下の殆どは酔いつぶれて寝ている。

 一人だけいない気がするが、どこに行ったかも分からない。


 アヤメもトイレから帰って来ていない筈だ。


 アベルはイカルガとの勝負で敗北し、家で寝ている。

 後ろに倒れたと思ったら寝てしまったので、急性アルコール中毒だったかもしれない。


 だがミーミルが適当に最高級ポーションをぶっかけたので恐らく大丈夫だろう。

 安物ではなく、ミーミルやアヤメレベルのプレイヤーが、リ・バースで常用していたポーションである。

 この世界においては死人も生き返るレベルだ。


 何にせよ、もはや誰一人として、ここから帰れないのは自明の理であった。



 

「パークス様、そろそろお休みになりませんか?」


 ミョルドがパークスにしな垂れかかる。

 腕に胸をぎゅっと押し付ける。


「えー? パークスはまだ飲むだろ? まだいけるって」


 ミーミルもパークスにしな垂れかかる。

 腕に胸が当たっているとも気づかずに。


「んんー、寝ます」


 パークスはふわふわとした意識の中で、眠気の方が強いと感じ取った。


「えー」

「では私の家に」

「何だよ……じゃあ俺も寝る」


 ミーミルはあくびをしながらパークスに思い切りもたれかかる。


「重いです」

「誰がデブやねん」


 ミーミルはパークスの肩をバシバシと叩いた。


「やねん、って何です」

「方言……まあ関東人だけど」


「カントー?」

「そういう場所があるのだ……」


 パークスと会話しながらも、ミーミルは舟をこぎ始めていた。


「さ、お二人とも私の家に来てください。まずはミーミル様から」


 ミョルドはとりあえずミーミルを抱き起す。


 ミョルドも相当に酒を飲んでいたはずだが、足元はしっかりしたものだった。

 亜人種は酒に強いのかもしれない。


「すまぬミョルド……ふぁー」

「行きますよ」


 ミョルドはミーミルを抱えると木霊触で家へと上がる。


「う……Gがやばい……」


 ミョルドは、よく分からない単語を呟くミーミルに首を傾げながら家に入る。

 家の中にはククリアがいた。


「お婆ちゃん、ミーミル様をお願いします」

「おや、かなり酔ってしまったようだね。大丈夫ですかの、ミーミル様」

「ねむい」


 ミーミルはそう答えるので精一杯だ。


「ではお休みになって下さい。布団は用意してありますので」


 床に布団が二つ敷いてある。

 植物で編まれた簡素な布団だったが、今のミーミルには何でも良かった。


 だが布団に飛び込もうとした所でミーミルはククリアに止められる。


「片方はもうお休みになられているので、こちらでお休みになって下さい」

「……お?」


 よく見ると先客がいた。

 小さいので見落としていたのだ。

 セツカとリッカが安らかな寝息を立てている。


 ――その二人に囲まれるように、アヤメが真ん中で寝ていた。


 

「? ……!?」


 いつの間にこうなったのか。

 同じように安らかに眠るアヤメを見て、ミーミルは声も出せない程に驚いていた。


「二人が外の人に懐くなんて」


 ミョルドも今、知ったらしく驚きの表情を浮かべていた。


 セツカもリッカも非常に内向的で、一族の者が相手でも隠れてしまう程である。

 そんな二人であるから、外の人間には全く懐かなかった。

 かなりの回数、顔を合わせているパークスですら、まともに話をした事もない。


 それがこんな無防備に、外界から来た知らない人間と寝るなど信じられなかった。


「三人で家で遊んでいたが、疲れて寝てしまったんじゃよ。同じ年代の子が他にいないし、きっと通じるものがあったのじゃろう」


 ククリアは眠るセツカの黒髪を優しく撫でる。


 セツカはくすぐったいのか、もぞもぞと動くと布団の中にもぐりこんだ。

 リッカは人形を抱きしめつつ、アヤメの腕にくっついている。


「同じ年代……?」


 ミーミルは首を傾げながら呟く。


 外身はそうでも、中身は同じ年代ではないのだが。

 まあその辺りは説明しても仕方ないし、しても信じられないだろう。


 何より説明が面倒くさい。

 今はただただ、ねむい。


「じゃあ、ねる……」


 ミーミルは布団の中に、のろのろと潜り込んだ。


「では私はパークス様を寝かせてきますね」

「うむ……」


 そう言い残すと、ミーミルは目を閉じ、深い眠りへと落ちて行った。

 何かを忘れているような気がしながら。





「パークス様、大丈夫ですか?」

「申し訳ない……」


 話しかけたパークスはいきなり謝る。

 パークスは深酔いすると謝るモードに入る人間であった。


「さあ、肩に掴まって」

「迷惑をかける……すまない」


 パークスはミョルドの肩に何とか掴まる。

 ミョルドは木霊触を発動させ、家へと上がった。


 だが、そこは長老の家ではない。



 長老の家の隣――ミョルドの家だ。



「中へ入って下さいな」

「ああ……」


 パークスはふらつきながらミョルドの家へと入る。

 そこには布団が一つだけ敷いてあった。

 もちろん一つだけ敷いたのはミョルドである。


 パークスとは宴ではなく、食事は何度もした事がある。

 その時も現神の森から帰れなくなるという理由で、パークスが酒を飲んだ事は無かった。

 飲んだとしてもほんの僅かで、ここまで深酒したのは二人が出会ってから初めてだ。


 つまり今回は、初めてパークスが前後不覚になっているという、既成事実を作る絶好のチャンスであった。


「ん……ミーミル様は?」

「ミーミル様はお隣の家でゆっくり休んでいますよ」


 もう邪魔をする者はいない。

 ミーミルが眠ったのを確認してから、ミョルドはパークスを迎えに来ている。


「それなら……良かった……わざわざ済まない」

「いいのです」


 ミョルドはパークスを布団に寝かせた。


「では――服を脱がせますね。寝るのには窮屈でしょう」

「……ん?」


 パークスの返事を聞かず、ミョルドは服を脱がせ始めた。

 上着だけを脱がせるミョルド。

 いきなり下まで脱がせると、抵抗されるからだ。


「私も眠たくなってしまいました」


 ミョルドはパークスに背を向けて、服を脱いでいく。


「待て……何を?」

「寝る時、私はいつも裸なので。パークス様、見ないで下さいね」

「ッ……! す、すまない」


 パークスは慌てて目を逸らす。


 ミョルドは寝ると言っていたが、どこで寝るのだろうか。

 ここには布団が一つしかないのに。


 パークスが思考している間に、ミョルドは上着を脱ぎ、下着も脱ぐ。



 そしてパークスの布団の中へと潜り込んだ。



「――!?」


 目を背けていた上に、いきなりの事で反応する暇も無かった。


 気がつけば目の前にミョルドの顔があった。

 改めて見ると、やはり美しい。


「パークス様」

「な、何を」


「お慕い申しております」

「……お、おしたい」


「女に恥をかかせないで下さいませ」

「わ、私は――」


 布団に隠れて見えないが、ミョルドは全裸である。

 外気に晒されて見えるのは、肩と胸の谷間だけだ。


 だが、それはとても扇情的に見えた。


「っ……」

「触ってもいいのですよ。それとも触られる方がお好みですか?」


 ミョルドは妖艶な笑みを浮かべながら、僅かに体を起こす。

 布団に隙間が開き、ミョルドの白い裸が闇の中に微かに浮かび上がる。

 ミョルドの熱い吐息が、パークスの胸を撫でる。


 言葉も視覚も動きも感覚も、雄を誘う為に全て計算され尽くしていた。


 それに抗える程、パークスは女性慣れしていない。

 女性慣れしている所か、女性経験は皆無であった。


 ごくり、とパークスは唾を飲み込む。


 据え膳食わぬは――何だったか。

 ここで本当に手を出していいのだろうか?

 良くない気もするが、酒で上手く頭が回らない。


 蜜に引き寄せられる蜂のように、思考を引き寄せられ、パークスはミョルドの胸へと手を伸ばして行く。

 




「お邪魔します……」





 ミーミルがいきなり家に入って来た。


「!?」「!?」


 二人は布団で身体を隠しながら、同時に跳ね起きる。

 ここでミーミルが登場するなど、ミョルドには全くの計算外であった。


 確かにぐっすり眠っていたはずなのに、どうしてこんな事に。


 とにかく状況がまずい。

 婚約者の前で別の女が婚約者を寝取ろうとしている。


 修羅場待ったなしであった。


「……」


 ミーミルはぼんやりしながら二人を見る。


「……どうも」


 そして二人に会釈をすると、ミーミルは壁に向かって歩き始めた。


 ゴンッ。


 鈍い音がして、壁に頭をぶつけるミーミル。



「……あいたー」


 そう呟いたかと思うと、いきなりミーミルはパンツを降ろす。



 そしてゆっくりと床にしゃがみ込んだ。



「ちょ、ちょっと待ってくださいミーミル様!?」


 ミョルドは布団から飛び出すとミーミルを引き起こす。


「へ?」

「ここはトイレではありませんよ!!」


「えー? 家から出て右ってククリアさんが」

「家から降りて、右です! そこに小屋がありますので!」


 いきなり人の家で用を足そうとするとは思ってもみなかった。

 こんな酒癖の悪い女性は初めてだ。


「ていうか、何で裸? 目のやり場に困る……」


 ミーミルはそう言うと、恥ずかしそうに顔を隠す。


 同じ女性なのに何を言っているのか。

 そもそもこの状況を理解しているのだろうか?


 ミョルドは意味の分からなさに顔を引きつらせる。


 しかも、せっかくの雰囲気が台無しだ。

 またとない千載一遇のチャンスだったというのに。


「聞いて。とりあえずもれそう」

「早く行きましょう」


 服を着ている暇は無さそうだった。

 ミョルドは入り口に掛けてあった皮のマントを手早く羽織る。

 唖然としたままのパークスを残し、ミョルドはミーミルを家の外に出した。


「あそこにある小屋に行けば」

「飛び降りた着地の衝撃で多分でる」

「ああ、もう!」


 ミョルドは木霊触を発動させると、ミーミルを抱え、木の上から飛び降りた。

 木に粘着させると、弾性を利用して落下の勢いを殺し、ゆっくりと着地する。


「あー、Gがやばい」

「さっきも言ってましたけど、何ですか。そのGって」


「何だろう……G……GYURYOKU?」

「ジュウリョク?」


「おしっこでる」

「早く小屋に入って下さい!」


 ミョルドはミーミルを厠に押し込んだ。


「パンツ……あれ、降ろしてた。いつの間に?」


 中から聞こえる呟きにミョルドは深い深いため息をつく。



 こんな人がパークスの婚約者だなんて。

 確かにとても強い力を持っているようだったが、それだけのように見える。


 宴の時も無茶苦茶だった。

 パークスを相手に、まるで男友達のように付き合っている。

 何の遠慮も無かった。


 

「……いえ、だからこそ、なのかも」



 パークスはミョルドに心を開いてくれていると思う。

 だが、あんな風に何の遠慮も無く話をした事などない。

 どこかで――きっと心の奥底で、パークスは人であり、自分は亜人種である、という事を前提に考えていた。

 それはお互いの立場の上、取り払うべきではない領域だ。


 だが、そこを取り払ってしまえる女性だからこそ、パークスの婚約者に成り得たのでは?


「パークス、いる?」


 中からミーミルの声が聞こえてきた。


「パークス様は上の家にいます」

「んだよぉ。外で待っててって言ったじゃん」


「言ってませんよ」

「そうだっけ? それより紙がないんだけど……」


「壁に掛けてある葉を使って下さい。使い捨てです」

「これかぁ……何で束で壁に葉っぱがあるのかと……」


 中でごそごそと物音がする。


「うーん、これは帝国全土で採用したい」

「新鮮な葉でないと拭き心地は良くありませんよ」

「じゃあ駄目かぁ……ていうか今、外にいるの誰?」


 ミョルドはため息をついてから答える。


「ミョルドです」

「あ、ミョルドさん。ミョルドさんね……」


 扉が開いて中からミーミルが出て来た。


「ちょっとすっきりした。酔いも醒めたかも」

「それは良かったですね」

「よーし、じゃあ戻って寝ますよー」


 そういうとミーミルは木の方へ歩いていく。

 そして幹をぺたぺたと触りながら、こう呟いた。


「あれ、これどうやって登る?」



 全然酔い醒めてないじゃないですか!



 と思わず大声で言ってしまいそうになったが、何とか声を飲み込んだ。


「分かりました。掴まって下さい」

「はい」


 ミーミルは素直にミョルドに掴まる。


「ありがとうね、ミョルドさん」

「……」


「んー、ミョルドさんの毛ふわふわで気持ちいいわ」

「褒めて頂いてありがとうございます」


「一緒に寝る?」


 その言葉に、ミョルドは自分が張り合っているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。


 いくら酔っていたとしても、パークスと布団に入っていたのを目撃しているはずだというのに、その事について何の質問もない。

 普通なら修羅場になっていたはずだ。



 なのに『一緒に寝る?』である。



 ただ酔っているだけなのか。

 パークスに何の愛もないのか。


 それとも器が、常人と比較にならない程に大きいのか。


「それでも――譲るつもりはありませんからね」


 ミョルドは強い意志を籠め、ミーミルに宣言する。


「え、なにがぁ?」


 ミーミルの答えを聞く前にミョルドは木霊触を発動させると、勢いよく木の上へ飛ぶ。


「あっ、Gがヤバい。駄目だ」

「またG? だからそのGって――」

「う――おろろろろえええええええ!!」


「あああああああああああ最ッ 悪ッ!!!!」




 

 現神の森に汚い虹がかかった。

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