第44話 殺戮者
「む……」
「ミーミル?」
馬車のソファーに座ってぼんやりしていたミーミルが、猫耳を抑えた。
「何か耳鳴り? いや、違うか? なんだこれ」
ミーミルは耳を抑えたまま、首を傾げて、辺りをキョロキョロと見渡す。
「何かおかしい。何か鳴ってる」
アヤメには何も聞こえない。
「何か聞こえる?」
「何か鳴ってるんだよなぁ。何なんだ?」
それが何の音かは、人間の可聴域を超える聴覚を持つミーミルにも分からなかった。
ただ、その音がもたらす結果は、すぐに分かった。
地面が振動する。
「揺れ、てる?」
そう思った途端、馬のいななきと騎兵が騒ぐ声が聞こえた。
「何だ? 外が騒がしい――」
「剣皇様! 閃皇様! 緊急事態です! 揺れますのでお気をつけ下さい!」
外からオルデミアの声が聞こえてきた。
「何事!?」
アヤメは馬車のドアを開く。
そこには巨大な怪物がいた。
身長は五、六メートルくらいだろうか。
全身を覆う青い体毛に、赤く光る目。
一言で言うなら、巨大な熊だった。
ただし顔が二つあるのと、爪が異様に長いのが熊とは違う所だ。
『グオオオオオオオオオ!!』
咆哮し、森から木をなぎ倒しながら、まっすぐこちらへと向かって来ている。
「ジェノサイドです! 馬車に隠れて下さい! 退路は作ります!」
オルデミアの表情は今まで見た事のないくらい焦燥している。
相当にヤバい怪物だという事が分かった。
「普段は奥地にいるはずのジェノサイドが何故、こんな所に」
少し離れている場所にいたパークスが呟くように言う。
その顔からは血の気が引いている。
南部領に住む者だからこそ、あの魔物の危険さは骨身に染みていた。
あの魔物に襲われ、一人残らず全滅した村や商隊を幾つも知っている。
五感が鋭く隠れている者を探し出し、その俊敏さは人の足では逃げる事すらままならない。
爪で重装備を容易く斬り裂く、恐るべき魔物だ。
「パークス、アベル、馬車の前方を頼む! エーギル、後方を!」
「うちが
「――頼む!」
「了解。 クロ隊、聞いていたな。行くぞ! 閃皇様と剣皇様の馬車に指一本ふれさせんじゃねぇぞ!」
『はい!』
オルデミアの命令で、パークス隊とアベル率いるアカ隊が馬車の前方へ、エーギル率いるクロ隊が馬車の後方へついた。
「けん制しながら撤退する! クロ隊、絶対に無理するな!」
そう言いながらオルデミアは歯ぎしりする。
ジェノサイドは現神の森奥地に生息する魔物だ。
この辺りでの報告例はほぼ無い。
それがこのタイミングで現れるなど、余りに都合が良すぎる。
つまりこれは敵の仕込みだ。
警戒はしていたが、まさかこんなとんでもない怪物をけしかけてくるとは思ってもみなかった。
並みの兵士が何十人いても、傷ひとつ付けられない文字通り怪物である。
手練れのクロ隊でも、犠牲が出る事は確実だった。
「何なんだ、ありゃ」
「逃げるの?」
開いたドアから顔を出しているアヤメとミーミルがオルデミアに聞く。
「危険な魔物です」
「エーギル達は大丈夫なのか? もしヤバいなら」
「大丈夫です! それよりドアを閉めていて下さい!」
あの魔物で二人を殺す事が目的なのだ。
二人が出て行っては敵の思うツボである。
そうこうしている間にクロ隊がジェノサイドと接敵した。
「馬から降りるな! 逃げきれなくなるぞ! 防御するな! 回避重視!」
エーギルが部下達に檄を飛ばす。
『
部下達が得意な属性の速度増加魔法を発動させる。
しかし――。
肉薄したジェノサイドが一人の騎兵に向かって爪を振り下ろす。
その騎兵は、隊から僅かに遅れていた。
狙われた騎兵が手綱を繰り、馬を動かす。
爪は寸での所で馬に当たらず、地面に直撃する。
その余波だけで、馬は吹き飛ばされ、兵士が地面に投げ出された。
「ぐあっ……!」
ジェノサイドは落ちた兵士に向かって、爪を再度、振り下ろす。
『――
防御を強化しつつ、慌てて引き抜いた剣でジェノサイドの爪を受けようとする兵士。
「無理だ! 避けろ!」
エーギルの叫びは間に合わない。
魔法で防御を強化した兵士は爪に横薙ぎにされ、吹き飛んだ。
レフナイト製の剣が木の枝のようにへし折れ、鋼鉄の鎧がパーツをまき散らす。
地面に叩きつけられ、まるでボールのようにバウンドする兵士。
魔法で防御強化しつつ、上手く受け流していなければ、今の一撃で剣や鎧ごと真っ二つにされていただろう。
しかしそれは死期を僅かに伸ばしただけであった。
ジェノサイドはなおも執拗に兵士に追いすがる。
そして二つある頭のうちの一つは、すでに次の標的の方へ向いていた。
ジェノサイドの恐ろしい所は、これだった。
弱い獲物を執拗に死ぬまで追いかけ、殺せばすぐに次の獲物を追う。
普通ならば一匹捕獲すれば、その一匹を処理するまでその獲物から離れる事はない。
獲物から離れると、その隙に別の動物に自分の獲物を奪われるかもしれない。
だがジェノサイドは倒せるだけ倒そうとする。
動くものがいなくなってから、後で死体をまとめて集めるのだ。
どうして、そんな事が出来るか?
圧倒的な強者の獲物には、誰も手を出せないからである。
獲物第一号は、最初に狙われ落馬した哀れな兵士であった。
ジェノサイドは倒れて動けない兵士に、爪を振り下ろす。
ギィンッ!
と固いものがぶつかる音がした。
ジェノサイドの巨大な爪が、兵士のブレストプレートアーマーに刺さっている。
しかし貫通せず、止まっていた。
普通ならあの程度の厚みの金属の板など、ジェノサイドにとっては紙に等しい。
それなのにアーマーはしっかりとジェノサイドの爪を――兵士の命を護っていた。
「――!?」
エーギルはいきなり起きた謎の現象に、目を見開く。
そして見た。
兵士の身体が、薄くオレンジ色に光っているのを。
『tutae hatehe neio hibi negai yoooo』
歌声と共に。
その場にいた全兵士の身体がオレンジ色のフィールドに包まれる。
消費MP62。
射程1000。
範囲内の味方に防御フィールドを張り、防御力を大幅に引き上げる。
『コーネリアの砂塵』が、世界に響き渡った。
――――――――――――
『コーネリアの砂塵』
スキル分類 魔ノ歌
消費MP 62
効果範囲 1000
効果時間 120
クールタイム 0
効果 範囲内の味方に防御フィールドを張り、防御力を大幅に引き上げる。
備考 オレンジの膜が展開される。
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