第31話 見られる猫
「ふぅ……」
アベルは聞こえないように小さなため息をつきながら、剣皇が更衣室から出てくるのを待っていた。
こちらの質問に対しての返答や、言動にどうも違和感を覚えていたのだが、まさか記憶喪失になっていたとは思ってもみなかった。
しかも極秘にしなければならない程なのだ。
それは記憶喪失が僅かな記憶障害のレベルではない事を、明確に意味していた。
頼るべき存在が、恐らく多くの記憶を失っている事に、不安を掻き立てられる。
さらに先ほどの反応――記憶喪失の件は、下手をすれば皇帝にすら伝えていない可能性があった。
オルデミア団長以外知らないとなると、そこにはどうにも秘密が……何らかの『深い闇』が潜んでいる気がしてならない。
昨日の城壁破壊や、今日の剣で鮮やかに巨石を寸断する等、英雄に相当する実力がある事はもはや疑うべくもない。
それは現実であり、確かな事実だ。
だが、オルデミア団長は本当にかつての英雄を呼び出せたのだろうか?
もしかしたら――。
アベルは女子更衣室の扉を見る。
――もしかしたらこの中にいるのは、我々の識らない、全く違う英雄なのでは?
「アベル?」
「っ!? な、何だ。エーギルか……」
「顔色が悪いぞ。夜遊びし過ぎたか?」
「お前と一緒にしないでくれ」
いつの間にか同僚のエーギルが近くに立っていた。
オルデミア団長率いる第一騎士団は多くの分隊に分かれている。
アベルはその分隊の一つを任されているが、エーギルもその分隊長の一人である。
「練習は見ていなくていいのか?」
「大丈夫だよ。あいつ等は優秀だから俺が見なくても勝手にやってる」
「反面教師というやつだな」
アベルの皮肉を無視して、エーギルは女子更衣室の扉を見た。
「剣皇様が着替え中なのか?」
「そうだ。……随分と遅いな。大丈夫だろうか」
「確認した方がいいんじゃねぇの」
「そうだな……剣皇様、何か問題でも?」
アベルは中に向けて声をかけてみる。
「大丈夫ですー!!」
中から剣皇の声が聞こえてきた。
どうやら大丈夫のようだ。
「よし……」
エーギルは女子更衣室の扉に手をかける。
「待て待て! 何をするつもりだ!」
「さっきの焦った声、大丈夫じゃなさそうだったろ。確認する」
「覗きたいだけだろう!」
「だって噂によると偉い美人らしいじゃないか。プロポーションも抜群で」
「否定しないのか……そもそも皇帝だぞ。覗きで一族郎党皆殺しになどなりたくないだろう」
「伝承では剣皇様は、素晴らしい人格者であったと聞く。ならば覗いたくらいで処刑されたりはすまい。よって問題は無い」
「お前という奴は――!」
「隊長! 困ります! ちゃんといて下さらないと!」
突然、横からかかった声に振り向くと、エーギルの部下達が四人立っていた。
「エーギル隊長、サボるのは止めて下さい」
「サボってない。アベル隊長と今後の予定を考えていたのだ」
「本当ですか、アベル隊長?」
「いや、全くそんな事は無いな」
「ちょおおおお部下の前なんだからフォローくらいしてくれてもいいじゃねぇか!」
「さあエーギル隊長、戻りますよ」
「お前らは優秀だから俺がいなくても何とかなるだろ!」
「私たちは確かにエーギル隊長より優秀です。しかし私たちが頑張っている横で怠けられると、やはり苛立ちを覚えますので」
「ええい! もはやサボりなど関係ないのだ! 実は女子更衣室の中に剣帝様がいらっしゃるのだ! あの! あの伝説の剣皇様が無防備に着替え中なのだぞ! それを――それを一目みるまでは!」
「みんな、力尽くで連れて行くぞ」
「ああ」
目を血走らせながら力説するエーギルを無視して、腕を引っ張る部下達。
その様子を見ながら、アベルは呆れ顔だった。
そう言えば、まだ着替え中なのだろうか。
女性の着替えには時間がかかる、とはいえ相当に時間がかかっている気がする。
「剣皇様、大丈夫ですか?」
アベルはもう一度、更衣室の中に呼びかけてみる。
「今でるので!」
中から焦った声が聞こえると、ドアノブが回転した。
ちょうど出る所だったようだ。
少し声掛けのタイミングが悪かったかもしれない、と思いながらもアベルはミーミルが出て来るのを待つ。
「お待たせ!」
そう言ってミーミルは更衣室から出てきた。
「くっそ! お前らのせいでチャンスが――」
引き摺られていたエーギルは首だけをミーミルの方へ向ける。
そして固まった。
部下たちも同時に気づいて、動きを止める。
エーギルの前には木刀を持ったミーミルが立っていた。
だがその服は――一体どうした事か。
皮の軽鎧をつけておらず、黒のアンダーウェアだけ。
アンダーウェアは体にぴったりとフィットする、通気性の良い薄い生地である。
そのせいでミーミルの体のラインが、完璧にまでに浮かび上がり、晒されていた。
なにより危険なのは、何故かは分からないが、アンダーウェアの下に着る上下サポーターをつけていない事だ。
体のラインが浮かびあがるどころか、見えてはいけないものが浮かび上がっていた。
「っ!? 剣皇様!?」
アベルの顔が一瞬にして赤く茹で上がる。
「あっ、えっ? なんかおかしい? やっぱ鎧つけてないと駄目かな」
ミーミルはぽりぽりと耳の付け根を掻く。
「いや……それどころの問題では……」
アベルは顔をミーミルから背けながら、口ごもった。
こんなもの殆ど裸のようなものだ。
真面目なアベルには刺激が強すぎた。
「あれ、この人たちは?」
「け、剣皇様。お初にお目にかかります。第一騎士団クロ隊隊長エーギルと申します」
エーギルはそう言ってミーミルに敬礼した。
「あ、はい。初めまして。えーっと……マグヌス・アルトナです」
自分の仮名を何とか思い出しながら、ミーミルは頭を下げる。
ミーミルの頭が下がった時にたゆんっ、と豊満な胸が揺れる。
エーギルの目は胸の動きに釘付けであった。
「おい、お前らもどんどん挨拶しろ」
エーギルの言葉で硬直していた部下達がミーミルの前に立つ。
「クロ分隊のトトラクです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ミーミルは頭を下げる。
同時に胸が揺れる。
エーギルは誰にも聞こえないくらいの小声で、こりゃ凄いと呟いた。
「同じくクロ分隊のっ……チューノラ……」
「よろしくお願いします?」
チューノラは頭を下げたまま、動かない。
「すいません、こいつ引っ込み思案で。おい、他の奴らもどんどん挨拶しとけ」
エーギルは頭を下げたまま、動かないチューノラを引っ張り起こす。
そして後ろに下がらせてから、肩を抱くと耳打ちした。
「お前……いくらなんでも股間を凝視したまま固まるのはやばいだろうが。気づかれたら下手すりゃ打ち首だぞ」
「そんな事言われたって隊長」
チューノラは鼻から血を流していた。
「生まれて初めて目の前に女の子の」
「喋るな。いいか? 何がどうなってこうなったか分からん。分からんが、絶対におかしいと気づかれるな。アレが今の時代の普通だと思い込ませろ。そうすればあのままになる。邪魔しようとする奴は一人残らず排除しろ」
そう言ってエーギルはミーミルに、何でもなかったかのような笑顔を返す。
ミーミルは不思議そうに首を傾げるのみだった。
「クロ分隊のカナビスです。お会いできて光栄です……ゴクリ」
「いえ、そんな。こちらこそよろしくお願いします」
生唾を飲み込むカナビスにミーミルは頭を下げる。
巨乳がたゆんっ、と揺れた。
「な? 少しでもこの至福の時間を伸ばそう。その為に人生の全てを賭けよう」
「はい」
――――――――――――
第一騎士団アカ隊(アベル隊長)=真面目な人が多い
第一騎士団クロ隊(エーギル隊長)=良くない人が多い
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