第30話 逃げられない猫
思いもよらない言葉にミーミルは頷いたのに驚くという、意味不明なリアクションを取ってしまう。
「頭に大きな衝撃を受けると、稀に記憶を失う兵がいるのです。特に生死の淵をさまよった兵がなりやすく、もしやと思ったのですが」
「う……うむ。所々記憶が抜けてるんだ。混乱を招かないように極秘にしていたのだが」
「確かに剣皇様は死の淵から蘇ったどころか、死んでいる状態から蘇ったのです。記憶に障害があってもおかしくはありませんね……」
そう言ってアベルは顎に手をやり、考え込む。
そのアベルの様子を見ながらミーミルは心の中でガッツポーズを取った。
完璧な嘘だが、これは実はいい一手なのではないだろうか。
別に自分が一手を打った訳でもないのだが、それはこの際おいておく。
記憶喪失ならば危ない時は『記憶にございません』で全て何とかなるのでは……。
オルデミアには何の相談もしていないが、これ以外に現状を打開する方法が思いつかない。
「自分の名前は憶えてるんだけどね。細かい所がちらほらと抜けてるかな」
「そうだったのですか……。そうとは知らず今まで色々と失礼を致しました。大変、申し訳ありません」
「いやいや、こちらこそ秘密にして済まなかった。ただしこの件は極秘ね。皆に心配をかけたくないので」
「分かりました。この件についてオルデミア団長は――?」
「もちろん知っている。ただ知っているのは団長だけなので本当に内密に」
「あの、団長だけ……と申しますと、さしでがましいようですがミゥン皇帝は知らないという事なのですか?」
「……」
「剣皇様?」
「知ってる」
「そうですか。分かりました。絶対に他の者には話さないようにします」
嘘ばっかりだが、もうどうにでもなーれだった。
といっても少しは考えて嘘をついている。
国の一大プロジェクトの結果を騎士団長は知っていて、皇帝は知らないというのはさすがにおかしいだろう。
ミーミルがもしそんな話を聞けば、何かしらの『闇』を感じてしまう所である。
オルデミアに対する兵士の印象がどんなものかまでは分からないが、騎士団長に不信を抱かせるような事は良くない。
これは多分、ついていい嘘だ。
多分。
「こまったものだ。せっかく現世によみがえったというのにこれじゃあね」
そう言ってミーミルは物憂げな表情で練習所を眺める。
やや棒読みのような気がするが、そこまでは面倒を見切れない。
そんなミーミルの様子を見ていたアベルは、顎から手を離し、手を打った。
「そう言えば記憶喪失は自分に関わりの深い事をすれば治ると聞きます。ここは剣の練習でも一つやってみてはいかがでしょうか?」
「ぬおー、そう来たかー。そうなるよねー!」
「え?」
「何でもない……」
「記憶喪失に気づかれる事は無いと思いますが、予定を変更します。先ほどの練習場では人目が多すぎるので、奥の個人練習場が丁度よろしいかと」
「うむ……」
ミーミルは渋々頷く。
首を振れば記憶を取り戻したくないのかと思われてしまうかもしれない。
「その服では剣術は難しいでしょう。こちらの女性用更衣室をお使い下さい」
「男女別なのに女性用更衣室はあるんだ」
「怪我をしないように普段の練習が別なだけで、試合では殆どが男女混合です。戦場で敵は男女差など考えてくれませんからね。より実戦に近い試合を行っています」
「なるほど……」
シビアな世界だなぁ、と思いながらもアベルの案内してくれた更衣室へと向かう。
更衣室は外から練習所へ向かう途中の通路にあった。
「こちらです。奥に練習用のアンダーウェアと軽鎧がありますので、着替えたら外へ。剣は練習用の木刀が置いてありますので、お好きな長さを選んで下さい」
「分かった。ちょっと着替えて来る」
「それでは私は外でお待ちします」
「了解!」
ミーミルはそう言って女子更衣室の中に入った。
中に入ると着替えを置く棚とシャワールームっぽい場所があり、大きな鏡の横に木刀がサイズ別で箱に立てられていた。
中はかなり無骨で女性らしさは全く感じられない。
「シャワールームついてるのはなかなかいい感じではある」
個室ではなく板で仕切られているだけであるが、恐らくシャワールームだ。
シャワーがあるとは、意外とこの世界の文明は発達しているのかもしれない。
ミーミルはシャワールームをちらっと覗きこむ。
「おおー」
足元には排水溝、ホースとそして小さく穴の空いた金属のノズル。
そして壁に埋め込まれた青く透明な石。
「……おお?」
ミーミルはシャワールームに踏み込み、石を押す。
何も起こらない。
手をかざしてみるが、ノズルから水は出て来ない。
自動センサーがついている訳でもないようだ。
結線石みたいにグニグニすれば何か反応が起きるのかと思い、石をこねくり回すがピクリとも動かないし柔らかくもない。
「やばい、使い方が分からん」
外ではアベルが待っている。
道草を食っている場合ではないと、ミーミルは服を着替え始める。
部屋着を脱ぐと、棚に置いてある練習用アンダーウェアを手に取る。
装飾は一切なく、色は黒。
薄いタイツのような、そんな感じの生地だ。
スポーツブラとスパッツを一体化したようなアンダーウェアである。
他にも白い布が置いてあるが、何に使うか分からない。
「うっ、この布何だろう」
しかも二枚ある。
タオルか何かだと思い、とりあえずミーミルはアンダーウェアを着る。
尻尾が邪魔だった。
「ぐぬぬ!」
スカートの時は裾からブラブラさせておけば良かったが、ぴっちりとしたアンダーウェアではそうはいかない。
スパッツの太もも部分から尻尾をはみ出させるのは、とても気持ちが悪かった。
尻尾の付け根も圧迫されて、嫌な不快感がある。
「駄目だ。穴をあけるしか」
ミーミルは尻尾の付け根あたりに穴を空ける。
筋力が強化されているおかげで、簡単に布も指で割く事が出来た。
穴から尻尾を通し、アンダーウェアを着る。
尻尾に力を入れて、ぐるーんぐるーんと振り回してみた。
圧迫感や不快感はなく、動きに問題はない。
猫人間の体になってから一日も経っていないが、体の動かし方は本能的に理解できた。
耳だってある程度ならば自由に動かせる。
ミーミルは大きな鏡の前に向かうと、耳と尻尾をぴくぴくと動かす。
「にゃーん」
それから両手を曲げて猫の手で、鏡に向かって笑いかけてみた。
「――――うむ。かわいい」
「剣皇様、何か問題でも?」
着替えるだけにしては遅い、と思ったアベルが更衣室の外からミーミルに声をかける。
「大丈夫ですー!!」
ミーミルは慌てて返事した。
遊んでいる間に時間が経っていたようだ。
ミーミルは棚の中にあった革の軽鎧を引っ張り出す。
「くっさ!」
革の軽鎧は臭かった。
「なにこれ、こんなの着ないといけないのか!?」
ミーミルは軽鎧をひっくり返したり、さかさまにしたりしながら愚痴る。
「ていうか、これどうやって装着すれば……」
あちこちに金属の留め金がついているが、外していいものだろうか。
下手に外すと分解してしまいそうだ。
「あー、もうアンダーウェアだけでいいか。武器だけ持って出よう」
ミーミルは木刀入れの前に立つ。
長さは五種類くらいあった。
短剣ほどの長さから、自分の身長ほどの巨大な物もある。
「剣皇ってどんな剣が得意か聞くの忘れ……」
「剣皇様、大丈夫ですか?」
「今でるので!」
ミーミルは適当に中くらいの木刀を掴むと、更衣室から出る。
そして焦っていたせいか、外が少し騒がしくなっている事に気付かなかった。
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