第九十四節 憎んでいる力
「その、力……」
ヤクは呆然としていた。
当然だろう。スグリは過去に一度も自分の目の前で、女神の
隣で憎んでいる力を使うことは、幼馴染である以前に誰であれ、気分のいいものではない。それを悟れないスグリではないとは、わかっていた。
しかし今、スグリはその力を隠すこともなく解放している。
「昔一度、お前に言ったことがあるだろう?まぁお前は記憶から消したかもしれないが。……俺は現在を司る女神の
淡々と事実を告げるスグリ。
その言葉に一度俯き、拳を強く握りしめる。あまりにも強く握っていたためか、爪が手の平に食い込んで血がぽたぽたと滴る。震える拳は憤怒からか憎悪からか、はたまた恐怖からか。
心の中では感情の嵐が吹き荒れていた。
今まで自分の前では隠していたのに、どうして今になってその力を使うのか。
自分が憎んでいる力と知っていながら、どうしてその力で煽るのか。
彼は自分を裏切らないはずなのに。
どうして自分を裏切るのか。
顔を上げる。
絶望で視界が真っ赤に染まる感覚だ。
スグリはそんなヤクはどこ吹く風なのか。感情の籠もっていない声でただ続ける。
「不公平だ、なんて思うなよ。お前だって女神の
「貴様……!!」
「俺はお前を裏切るはずがないのに何故ってか?冗談ぬかせ、言っておくが先に裏切ったのはお前の方だ。いつか言ったよな?あんまり一人で根詰めすぎるな、辛くなったら、すぐに俺に言えって」
「そんなこと今は関係ないだろう!」
「黙れ。俺たちに相談もせず挙句に一人で暴走して、この有様。そんな勝手をして、俺が怒らないとでも思ったのか?」
彼の痛烈な言葉に、感情が逆撫でされる。
心で渦巻いていた嵐の中で、頭を湧いて出てきた感情は、怒りだ。
許さない。自分がどんな思いでいたか、知りもしないで。
スグリは重心を低く構え、焼き切れんばかりの目つきでこちらを見据える。
「来いよ、ヤク。お前の術、全て斬り伏せてやる」
「……いいだろう……その挑発、乗ってやる……。貴様の剣、手折ってやるわ!!」
マナが集束する。
吹き荒ぶブリザードように、荒々しい氷のマナが生成されていく。
「
ガツン、と杖の先端を地面に叩きつける。直後に凍てついていた地表が波打って、氷の波が姿を現す。荒れた海の波のような荒々しさをそのままに、波がスグリを飲み込もうと口を開ける。
「"秘剣 疾風"!」
それに対してスグリは抜刀した剣を、左切り上げに剣を振るった。あの攻撃は確か斬撃の直後、風圧にマナを加え風の刃にする術だったはず。ただし女神の
恐らく氷の波は一閃されてしまうだろう。とはいえこちらの術もただでは転ばない。
この術の真骨頂は、分裂機能にある。斬られた側面から細かな氷の結晶が降り注ぎ、スグリに向かう。先程のように防がれないためにも、続けて術を放つ。
「
砕けていた氷の結晶に、急激な炎の魔術を放つ。直撃した氷の結晶たちは、一気に蒸発され水蒸気を放出した。辺り一面が白い靄に包まれる。
靄で視界が遮られる。それはスグリも、もちろんヤクもだが、こちらとしては関係がない。ただ術を発動すればいいのだから。
「
凍てついた空間の中で冷やされていく水蒸気に、得意とする凍結の魔術を放つ。
絶対零度にほぼ近い超低温のマナを対象の物質に纏わせ、その活動を停止させるこの術で、己の放った氷のマナを凍結させていく。
術の効果で、地面に滴り落ちて水滴となっていた彼の水のマナが、一瞬のうちに凍結されていく。その速さは異様に早い。簡単に背爪すると、過冷却現象に似た状態を作ったのだ。
地面に足が着いた状態ならば、この術からは逃げられない。水のマナが瞬時に凍らされ作られた氷のマナが、スグリを拘束するはず──。
「そん、な……!?」
自分の目を疑った。
目の前の彼は、何故無事でいる?どうして平然と立っている?
理解が出来ない。魔術の腕なら確かに自分の方が上だ。スグリが使える魔術はせいぜい身体強化や、簡単な治癒術に限られる。自分のように攻撃力のある術も、あの少年のように防御に秀でた術を使えるわけではないのに。
スグリはその場から動かず、ただ抜刀術で抜いた刃をそれはもう美しい弧を描きながら納刀した。
「どうした、随分と熱心に見てるな?そんなに不思議なことか?」
「っ……ありえない……!」
「分からないか?それとも、分かりたくないのか?今の俺は、女神の
「これから起こること……!?」
「言ってしまえば、限定的な未来予知能力ということだ。長い先の未来に起こることではなく、今現在という時間軸において起こることへの予知になる」
例えば今、相手がこの攻撃がこのタイミングで発動しようとした。それに伴う動きを、女神の
今現在流れている時間での行動を感知し、起こる事象へ即座に対応できる。それが、スグリの女神の
彼が言ったことが本当のことならば。自分が放った攻撃は、スグリに直撃するわけがないということだ。
「ありえん!そんな夢まぼろし、空想の出来事みたいな出鱈目な力なんて!!」
「否定するか。そりゃそうだよな、お前が最も憎み、忌み嫌っていた力だ。そう簡単に認められる訳がないな?」
この男は、どうして──!!
杖を振るう。空間上にいくつもの氷の牙を生成し、一度にそれを放つ。今度こそ避けられないように、ありったけのマナで生成した無数の牙だ。
しかし儚いかな。それらは一つも、掠ることすらなくスグリの前に切り落とされた。
「それと、もう一つ原因教えてやろうか?お前、大型の魔術を展開しすぎだ。それに碌に日数を置かないで村を襲撃していたな?
分かるように説明してやる、とスグリが得意げに説明してきた。
彼は襲撃を受けた村の報告を逐一受けていたらしい。そして統計して、ヤクが連日何処かしらの村を襲撃していたことに気付いたと。日を開けたとしても長くて二日だろう、と。
悔しいが彼の統計は正しい。確かに十分な休息を取らないまま、村を一つ一つ全壊するため、体内に貯蓄したマナの多くを消費した。加えてこの一帯はアウスガールズの中でも、極端にマナの量が少ない土地。術を発動させるたびに消費され、大気中のマナは枯渇状態となっていた。
ヤク自身とて、貯蓄できるマナの量には限界がある。回復しなければ、最大限の威力が発揮できない。それらの点を、スグリは的確に言い当ててきた。
「お前の術の威力は落ちている。そんな中途半端なマナしか集束してない攻撃、当たる訳がない」
スグリとヤクの戦力に、大きな差はない。それこそ、ミズガルーズ国家防衛軍の自慢のツートップだ。
そんな自分たちに差が生まれるとしたら。それは二人がそれぞれ受け継いだ女神の
スグリはそう、残酷な現実を突きつけてきた。
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