第九十一節 崩れた一縷の希望

 いくつもの村を破壊した。何人もの人間を殺した。

 それでも胸に宿った慟哭は消えず、いつも燻っていた。


 ヴァダースに提案を持ち掛けられたときは、正直恐怖も感じていた。どうして隠してきた過去まで知っているのかと。どうして自分が、女神の巫女ヴォルヴァであることがわかったのかと。

 ブラフを仕掛けていたのかもしれないが、それに引っかかり、知られたことは事実だ。認めるほかない。そのうえ提示された条件が、手放すには惜しい事柄だった。


 ──被験者の子供たちへの処遇は、己に任せる。


 それはつまり、生かすも殺すも自由だということ。その条件を聞かされた時、脳裏によみがえったのは過去の記憶だった。

 何十時間も実験動物として体内を弄られ、暴力を振るわれ、果てには体を無理矢理開かされる。自分だけではない、他の被験者たちも程度はそれぞれ違うが、同じく悲惨な目に遭わされてきた。

 己の自己満足のために他者を平気でいたぶる。自らより弱い者を思うように捻じ伏せ、心を壊す。そのくせ第三者からの目が気になるというだけで、平気で人を利用する。人間ほど傲慢な存在はいない。人間ほど狡猾な種族は、他に見ない。


 そんな人間たちが、憎くてたまらない。彼らの犠牲者となるのは、いつも決まって弱い立場の者だ。力のない種族や、子供などがその部類に入る。そんな愚かしく倫理を忘れた人間たちの総本山が、世界保護施設。彼らは自らの知的好奇心や欲求のためなら、口には表せないような手段まで使う。


 彼らの被害者である被験者の子供たちを助けられるならばと。ヤクはヴァダースの手を取った。


 ミズガルーズ国家防衛軍の部隊長のままでは、彼らを助けるに至るまでどれほどの時間と子供を犠牲にしなければならないか。その間にも被害者が増えていく一方で、何もできない自分が歯がゆくてならなかった。だからこれは、願ってもない好機とも言えた。


 それに、自分の復讐心が戻ってくる感覚もあった。愚かしい人間たちと、こんな人生を送らせるよう仕向けた、運命の女神たちに。

 自分たちのため、世界のためならと、人ひとりの人生を犠牲にしてもいいというのか。そんな身勝手を許せるものか。こんな生き方を望んでいなかったのに。こんな環境を望んでいなかったのに。


 だから、復讐をする。自分をここまでに至らしめたのは、お前たちなのだから。


 ******


 初めて村を襲撃したときは、なんとも簡単に村は壊せるのだなと思った。

 まずは世界保護施設のおこぼれで、図に乗っていた村人の男を殺した。次に貰った大金で私腹を肥やし、横暴になっていた村人の女を殺した。身籠った子供を産んだら世界保護施設に売って、大金を手に入れると自慢した村人の夫婦も殺した。そういう人間も、自分の復讐する対象だった。

 次に実験施設を強襲した。皮肉にも施設の内装は、記憶のものとほぼ変わっていなかった。容易に攻撃を仕掛けられたし、囚われていた子供たちを救うのも造作もなかった。子供たちの保護は、ヤナギたちにしてもらおうと考えた。あの方たちならば、安心できると知っている。きっと真摯に子供たちのケアをしてくれるだろう。そう思い、匿名の置手紙を屋敷に置いた。


 あっという間に、村一つを壊滅することができた。ああ、こんなもんかと思う程度にしかならなかった。


 ブルメンガルテンを調査していた世界保護施設の人間を殺した。

 アートリテットで、過去に自分を追い込んだコウガネを惨殺した。

 それでも、慟哭は色濃くなるだけだった。


 そして辿り着いた、ハイマート村。

 ヴァダースに攫われる前、助けたキルシュがいた村。そういえば彼は、セルブルという友人のことを探してたと思い出す。一緒に逃げたが、はぐれてしまったと言っていた。この村にある実験施設に連れ戻されてないといいのだが。そう思いつつも、同じように村人を殺し実験施設を襲撃していた。


 そこで、望んでいなかったキルシュとの再会を果たしてしまった。


 彼を実験施設で見たときは自分の目を疑った。何かの間違いであってほしかった。それでも自分を見上げる表情は、間違いなくキルシュだった。出会ったときよりも、瞳に宿る光がさらに弱く消えかかっていた。

 いったい彼に何があったのか。そもそもどうして、ハイマート村に戻ってきているのか。襲撃した直後、村の入り口で佇んでいたキルシュに問いただしてみた。


「あのね、ガッセ村にいたんだけどね……怖いおじさんが来て、言ったの」


 彼の言う怖いおじさんというのは、コウガネのことだろう。


「セルブルが、ね……捕まって、戻されて、ひどくいじめられてるって……。それでね、ぼくに、逢いたいって言ってたぞって……」

「っ……」

「ぼく、セルブル痛いのやだから……もどった、の。そしたらセルブルと、また会えるからって……でも……」


 彼の声色は絶望に染まっていた。


「セルブル、変な体にさせられてた……。ぎょろぎょろした目と、からだの中?だけを混ぜた生き物に、なってた……!」

「キルシュ……」

「声もね、聞こえなくて……ぼくが、あの時セルブルのこと、おいてったから。だから、あんなことになっちゃってたんだ……!」

「お前のせいではない!キルシュ、お前は何も、悪くなどない……!」


 キルシュの悲痛な叫びが痛々しく、彼に声をかける。

 そう、彼は被害者だ。彼をここまで追い詰めたそもそもの原因は、世界保護施設とコウガネの姑息で悪質なやり口のせいなのだから。そう告げるもキルシュは何処か、達観したような表情でこちらを見上げた。


「お兄ちゃん、お願いがあるの」


 力なく微笑む彼が、絶望の言葉を吐く。


「ぼくを、殺して……?」


 全身の血が引くような感覚だった。いまだに村に放った炎は燃え盛り、辺りは比較的温度があるはずなのに。身震いするような寒さすら感じてしまう。


「ぼく、セルブルのいない世界、やだよ……一緒に、いたいよ……」


 絶望しきったキルシュの希望。その痛みを、十分に理解できるからこそ。彼の望みを叶えてあげるほかに、自分ができることはないと、わかってしまった。


「お願い、殺して……?」


 そんなこと言うな、生きろ、だなんて。そんな無責任な言葉でいたずらに彼を傷付けることは、ヤクにはできなかった。杖を掲げ、詠唱を唱える。


「……すまない、キルシュ」


 でも、本音を言うのならば。

 できることなら、助けてあげたかった。


 光が炸裂する。氷の刃が一つ、キルシュを襲った。

 容赦なくそれは、彼の体を貫いた。

 倒れる最後に、キルシュは再び微笑んだ。


「ありがとう」


 そうして、一人の子供の命を奪った。

 その日の夜は、己の無力さに自分自身絶望した。たった一人の子供でも、それでも被験者の子供たちは一人も欠けることなく救うと、決めていたはずなのに。

 救出した子供たちを寝かしつけ、そこから離れた洞窟の岩肌に拳をぶつける。素手で岩が割れようもないのに、何度も打ち付けた。肌が切れても、手が血に塗れても構わずに。一段と力強く打ち付けようとして、その手はヴァダースに止められた。


「やめなさい。その手、使い物にならなくなりますよ」

「っ、放せ!貴様に何がわかる!!」

「放しませんよ。貴方にはまだ働いてもらわなければ、私とて困りますから」

「この……!」

「そのように怒りを自分にぶつける時間があるのなら、次の村でも破壊しなさい。それが彼の死に報いると考えたらどうです」


 ヴァダースの言葉に間違いはなかった。彼の手を振り払い、一つ息を吐く。

 冷徹になれと言い聞かせて、次の村の情報を聞いた。


 そうだ。これ以上、被験者の子供たちから犠牲者を出さないためにも。

 世界保護施設の人間も、彼らが拠点としている村の村人も、全員を惨殺する。


 そう、思っていたのに。


 ******


 眼前に広がる炎の海。そこは最後の襲撃の村、森の村フォルスト。

 何故、と愕然する。この村は今から自分が破壊するはずだったのに。

 我に返り実験施設へと向かう。被験者の子供たちが生きていることを願って。


 走って走って辿り着いた施設の前には、見覚えのある憎い背中。その片手に、ボールサイズの、何かを掴んで。その人物が自分たちに気付いたのか、振り返る。

 相変わらず卑しい笑顔を張り付けたその人物。自分がミズガルーズ国家防衛軍の研修兵として軍に配属していた時も、カーサに捕らわれた先のアジトでも自分を凌辱した、憎悪を向ける相手──ハイト。


「何故貴方がここにいるのです、ハイト?」


 ヴァダースの鋭い声がハイトに向けられる。ハイトは一度頭を垂れ、告げてきた。


「ヴァダース様、これはフットの提案です」

「フットの……?」

「ハッ。ここ最近、世界保護施設のある村ばかりが襲われている。誰の仕業かは知らないがここはそれに便乗をして、その村を破壊すれば奴らの戦力はダウンして、ヴァダース様もお喜びになるだろうと」


 見てください、とハイトが掲げたボールサイズのそれが、炎に照らされて正体が露になる。それは首から上の、子供の頭部。絶望の表情が張り付いたまま、息絶えた子供のなれの果て。


 足元の薄氷が、ひび割れる音がした。


 ハイトはどこ吹く風と、続けた。


「世界保護施設の奴ら、子供を実験動物にして兵器を作り出そうとしていたのです。なのでご覧ください!子供も一人残らず、自分が処分しました!」

「黙りなさい。私がそんなことをして、本当に喜ぶとでも?」


 彼らの会話が耳に入ってこない。


「え……し、しかし!このように村は破壊できて──」

「私が好むのは、私自身が指示した内容を完璧にこなした事柄です。貴方方のような能のない人間が勝手に行動したところで、邪魔にしかなりません」


 自分の中の慟哭が膨らむ。


「……返せ……」

「あ……?」


 怒りが全身を駆け巡る。

 なぜ、どうして、こんなこと。


「返せぇえええ!!」


 絶望の霰が、降り注いだ。

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