第八十八節 心の在り方

「師匠が……?」


 ヤナギから聞いたという話をエイリークから伝えられ、思わず聞き返す。

 村人の治療はほぼ終わり、あとはソワンが健康状態などを確認している。レイはソワンから少し休憩するように言われ、村から少し離れた土手で休息をとっていた。

 カーサの思惑について一人考えていたところにエイリークが来て、村で起きた事の顛末を聞いたのである。話を伝えてくれたエイリークも、少し混乱しているという。


「ハイマート村でヤクさんに会った時、キルシュを殺したのは自分だって言ってたよね……。でも俺は、ヤクさんがそんなことするなんて思えない。ヤナギさんから話を聞いたあと、ナカマドさんにも話を聞きに行ったんだ」


 ナカマドが言うには、同じような書置きが何日か届いていたそうだ。場所はそれぞれまちまちだったが、向かった先には必ず子供たちがいて。全員が、手術着のような物を身に纏っていた。それは世界保護施設に幽閉されている被験者の子供が着させられるもの。

 ナカマドはそれを知っていたらしい。だから一目でその子供たちが、実験施設から脱出できたのだと理解できたとのこと。お陰で屋敷はまるで、小さな学校のようなものになっていたと。


 その話を聞いて、安心感が沸き上がるのを感じた。自分たちに敵意を表していたがヤクは、根本的には自分の知っている優しい人物なんだと。何も変わってなんかいないと、再確認できた。でも何故、それなら──。


「子供たちを助けていた師匠が、それでもキルシュを殺した……?」

「考えてもその答えがわからなくて。直接訊ねたいけど、今度会ったら確実にヤクさんと戦うことになる」

「うん……きっと、今度は本気で向かってくる。だけど、そんな師匠と戦うつもりなんだ、スグリは。一人で」

「そう、なんだよね」

「だから俺たちは、そんな二人の間に邪魔が入らないように、目の前にある脅威をせき止めようぜ」


 そう言って立ち上がり、半壊状態になってしまったガッセ村を見渡す。のどかで平和な村だったのに、それを破壊したカーサに怒りを感じて。ぐ、とこぶしを握り締める。


「レイ、なんだか強くなったね」

「え?」


 エイリークは立ち上がると、優しい眼差しを自分に送る。


「なんていうか、逞しくなった。凄く頼りになるね」

「そうか?」

「自分がしたいことよりも、やらなきゃいけないことの方に目を向けてる。本当は自分もヤクさんを助けに行きたい、でしょ?」


 いたずらっぽくウインクして、本心で思っていたことをズバリと指摘される。

 そうだ、本当は自分も己の師匠を助けたい。今すぐにでも止めに行きたい。肩を竦めて笑って見せる。


「……バレてた?」

「レイと出会ってからしばらく経つからね、わかるよ」

「確かに、俺だって自分の力で師匠を救いたいけど……。それじゃあ、きっと本当の意味であの人を助けられない」

「そんなこと……」

「でも師匠に一番近いスグリなら、俺にできないことも出来る。俺は師匠もスグリも、二人とも助かってほしいって思ったらさ、こうストンと心に落ちたんだ」


 からりと笑う。優しい風が頬を撫でた。自分のそんな表情を見て、エイリークは心配は杞憂だったかな、と笑顔を返す。


「なら俺も、俺のできることを精一杯やるよ」

「エイリーク……」

「カーサは、狙った獲物は絶対に逃がさない。きっとまたこの村に、奇襲を仕掛けてくるかもしれない。それを全力で阻止しよう」

「ああ、そうだな」


 ふと視線を奥の方に向ける。誰かがこちらへ歩いてきていた。遠目には村人のうちの誰かかと思ったが、近付いてくるにつれその人物がはっきりする。いつかこの土手で出会った人物だ。

 相手もこちらに気付いたらしく、片手を挙げた。エイリークは首をかしげている。


「ラント!」

「レイじゃねぇか、久し振りだな」


 近付いてきた人物──ラントは屈託のない笑顔で返事を返す。目の前のエイリークにも、同じように笑顔で接した。


「おお、本物のバルドル族!初めて見たぜ」

「え?ああ、どうも」

「でもバルドル族っぽくないよな。なんていうか、変質?」


 うぐ、とショックを受けるエイリークである。そんな彼にラントを紹介して、彼にエイリークを紹介する。お互い何の蟠りもなく握手をし、軽い自己紹介をした。そんな中エイリークが村人の一人に頼まれ、力仕事の手伝いに向かう。


「そういえば、なんで戻ってきたんだ?」

「いやな、調査していた土地の村でガッセ村が襲撃に遭ったって聞いてさ。この村は良い村だったから気になってな」

「じゃあ、俺たちに協力してくれないか?この村は、近いうちにまた襲撃に遭うかもしれない。少しでも多くを守らなきゃならないんだ」


 決意を込めた瞳でラントを見上げる。虚を突かれたような表情だったが、満足そうに笑ってからラントは頷く。喜んで、と快く引き受けてくれた。


「友達の頼みなんだから、受けないわけないだろ」

「ありがとな」

「お前、なんか吹っ切れた?前会った時とちょっと違うっつーか」

「俺ってそんなにわかりやすいか?」


 デジャヴを感じた。そんなに自分は変わったように見えるのだろうか。


「吹っ切れたというよりは、まぁ失恋?してさ、新しく決意できたみたいな?」

「失恋って、お前……」

「俺、大切な人がいるんだけどさ。その人と、今離れ離れになってて。色々考えて改めて思ったんだ。その人には他に大事な人がいて、その人じゃなきゃ俺の大事な人は救えないって」

「っ……」

「それ思って、あー俺じゃあ誰も幸せにできないなって、なんとなく感じた。それでも俺は、大切な人もその人の大切な人もどっちも大事で大好きだからさ。その二人が幸せでいてくれたら、それでいいかなって」


 正直まだショックが残っている。それにしても、出会ってまだ二回目のラントにこんな本心が言えるなんて思っていなかった。エイリークにも言えなかったのに。自分自身意外に思っている。

 でも改めて言葉にしたら、思ったよりも心が軽くなったような気がした。自分の気持ちと決別が出来たみたいで、気分がいい。ラントは何とも言い難い表情をしていたが、ただ何も言わずにくしゃりと頭を撫でられた。


 その後は屋敷に戻って、スグリにラントを紹介する。協力者ということで、彼には軍から特別に報酬を渡すと約束していた。ラントもそれに対して、全力で協力すると告げてくれた。


 ******


 その日の夜のこと。


 また、夢を視た。見覚えのある景色は、フヴェルゲルミルの泉にある祠。多くの子供たちが埋葬された、氷の棺。その一つに、ジーヴルとなったヤクがいた。

 これは、夢渡りなのだろうか。夢渡りは他の女神の巫女ヴォルヴァの歩む結末を、夢で視ること。ただし目の前の光景は明らかに過去のものだ。言ってしまえばこれは、視れるはずのない夢。それを、どうして。不思議に思いながらも、眠っているヤクに近付く。


 そ、と氷に触れる。自らの意思でジーヴルの代わりに、人身御供になることを選んだヤク。健気だけど、あまりにも哀しい。


 "……そこに、だれかいるの?"


 脳内に声が響く。思わず顔を上げた。目の前のヤクは、相変わらず眠っているというのに。


 そんな、だってこれは夢だ。過去に起きたことの夢だ。自分は相手のことを知れるが、夢の中にいる住人が自分に干渉できるわけがない。でも、声が聞こえたことは本当のことで。試しに、その声に答えてみる。


「……ヤク、なのか?」

 "わあ……ぼくのこと知ってる人が、ここにいるなんて"


 ふふ、と声にならない笑い声が聞こえたような気がした。


「初めまして、ヤク。俺は……お前の大事な人の、弟子なんだ」

 "でし……?"

「簡単に言うなら、俺のお兄さんの代わりをしてくれてるんだ」


 この子は本当に何も知らないまま、ここに放置されたのだろう。自分があの時、祠を壊して埋葬するまでずっと。額を棺に付けて、目を閉じる。


 "じゃあ、ジーヴルは……元気なんだね"

「うん、元気だよ。でも……今ちょっと、離れ離れになってる、かな」

 "そっか……。でも、ぼくのせいかも"


 哀しげな声に、胸が締め付けられる。


「なんで?」

 "ジーヴルに生きててほしかったから、ぼくはジーヴルになって代わりになった。でもだから、ジーヴルのこと一人にしちゃった"

「それは、お前のせいじゃない。でもヤク、自分一人が代わりになればいいなんてそんなの、哀しすぎる」


 先日視てしまった夢が脳内に甦る。

 実験施設での数々の卑劣な行為。そのせいで壊れていく子供たち。唯一の家族を守ろうとして、自らの命を散らせることとなった目の前の小さな子供。

 何も出来ない歯がゆさに、悔しさがこみ上げる。どうにもできなかった、自分が助けられるわけでもなかった。この道以外に彼が助かる方法はなかった。

 わかっている、理解している。でも納得はできない。それではあまりにも、この子も彼も報われないではないか。


 "ねぇ……お兄ちゃんはジーヴルのこと、知ってるんだよね"

「うん……知っているよ」

 "ジーヴルに、言ってほしいことがあるの"

「言ってほしいこと……?」


 ヤクが伝える内容を、一言一句漏らさないように聞き届ける。

 その内容に、涙が一筋流れた。


「……わかった。必ず、伝えるよ」


 視界が白く消えていく。夢が醒めるのだろう。最後にヤクが、笑ったような気がした。


 "ありがとう、優しいお兄ちゃん"


 掻き消えそうな、淡雪のように儚く優しい声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る