第八十二節 愚かで愛しの

 その日、心を己の欲望へ墜とした。

 とある組織の制服ではないが、黒い服装と外套で身を包み、杖を片手にある村へ向かった。

 その村は自分にとって、全ての始まりの村。心に鬼を宿すきっかけを与えられた、災厄の村。名をブルメンガルテン。今や"死に村"と呼ばれる、全ての息吹が凍り付いた村。そこに最近、生命反応があったという。


 そんなこと、ありえるはずがない。

 あの村で生き残った人物などいない。最初こそ動揺していたが、悪い月が囁く。


「では、確かめに行ってはどうですか?」


 悪い月は、自分の背中を押した。不安があるなら、己の目で確かめればいいのだと。もし何かあれば、壊してしまえばいい。誰も貴方を責めることはできない。何故なら、貴方がこれから起こす全てはしっぺ返しなのだから。因果応報という言葉がお似合いなのだから、大丈夫。

 言葉巧みな悪い月に、初めて唆された。


 そうだ。これは全部、お前たちのせいではないか。自分に鬼を宿させたのは、元を返せば彼らなのだから。嗚呼、何を迷う必要があったのだろう。

 迷いなく進む足。途端に、世界が怖くなくなった気がした。

 今の自分には力がある。少なくとも、この国の中では誰よりも。


 それは何のために身につけた力?

 風が尋ねてくる。

 それは全てを壊すために身につけた力。

 簡単に答える。


 呟いた直後、風は止まった。

 足が進む。ブルメンガルテンへと。命がない村へ。もしかしたらその時は、気分は高揚していたのかもしれない。到着した自分を出迎えたのは、相も変わらずの冷たい温度。溶けることのない氷の門。辺りを埋め尽くす氷のマナが、ひどく懐かしい。見えない傷がじくじく痛んだ。

 周囲を見渡す。聞いてはいたが、確かに。自分以外の生命を感じる。これは異常なことだ。一体誰が。一つの村を満たすまでの超濃密なマナでは、魔力を持てない普通の人間ならマナ酔いするはず。


 そこにいるのは誰だ。この墓場は誰もが触っていいものじゃない。

 出て行け。


 一歩一歩踏みしめる。動揺を感じた。

 二歩三歩進んでいく。隠れても気配でわかる。

 四歩五歩止まらずに。さぁ、追い詰めたぞ。

 六歩七歩歩いていく。物陰がガサリと泣く。

 八歩九歩足を止める。見つけた。


 死ね。


 十歩で振り向いて。蜘蛛の子の真似をされる前に、駆除をした。


 何をしていたのかと泣いた茂みを覗く。見たことのない機械が壊れていた。それを一瞥してから、ブルメンガルテン近くにある崖まで蜘蛛たちを持っていく。

 ブルメンガルテンをこれ以上、部外者に穢されてなるものか。廃棄物を放るように蜘蛛たちを崖下まで捨てた。呆気ない最後だ。

 こんな弱い蜘蛛ヒトたちに、何十年と蹂躙されていたのかと。乾いた笑いが響く。それもほんの数秒のことで、心の奥底から何かが沸き上がってくる。


 ──まだ、足りない。満たされない。


 思考を巡らせた。蜘蛛たちを駆除したというのに、何故満たされない?思考の果てにふと、何かが頭をよぎった。そうか、そうだった。


 


 踵を返す。今から目的の場所に向かうとして、到着するのは深夜になる。それでも構わない。一度、胸ポケットから赤い鉱石を取り出す。それは自分が発つ前に、悪い月が渡してきたものだ。


「お近付きの印です。一回だけ、使いたい時に使ってもらって構いませんよ」


 悪い月は、にこりと笑っていた。確か簡易的な空間転移の陣を展開してくれるもの、だったか。今は使うべき時じゃない。胸ポケットに鉱石を戻し、歩き始める。


 足取りは特に早くもなく、かと言って遅くもなく。

 数日前、いや数週間前か。久し振りに顔を見た時、正直まだ恐怖の念があった。これから逢いに行こうとしている人から受けた数々のことを、払拭できないでいた。

 力ない子供の頃とは違い、立場は自分の方が圧倒的に上だというのに、恐ろしくてならなかった。数週間前までは。


 今は怖くない、恐ろしくない。大丈夫だ、震えもない。


 ******


 深夜。到着した村の名前は、アートリテット。

 最終的な目的はその最奥にある、やたらと敷地が広く、無駄に大きな屋敷だ。時間も時間で、住民は寝静まっている。聞こえるのは鼓動の音。とはいえこのまま向かおうとしても、門前払いを食らうのがオチかもしれない。何せ用心深い人だ。もしかしたら門番や、屋敷内を巡回している傭兵がいるかもしれない。


 それなら、暇を贈ってあげなければ。

 早速門番を見つけ、杖を振る。礼の言葉が聞こえないが、まぁいい。


 屋敷の最奥にある部屋に辿り着く。ここに来るまで、大勢の人間を休ませたころしてきたからか、思ったよりも時間がかかってしまった。


 さてサプライズといこうか。会いたかった人物は、すやすやと夢の中。


 起きてくださいと声をかける。

 ……起きない。

 もう一度、今度は少し大きな声で。

 ……それでも、やはり起きない。


 ならば仕方ない。この人には目向け覚ましをくれてやらねば。

 だが手が滑ってしまい、顔に作り出した氷を直撃させてしまった。

 そんなことをされたら、どんなヒトも起き上がってしまう。無論、このヒトも。


「な、何奴!?」


 がばりと起き上がる。真横に立っている自分を、とても訝しそうに見上げた。

 それに対しこちらは無言で見下ろす。飛び起きた人物は、纏うオーラから己が誰なのか理解したようだ。


 ……おかしい。この間顔を見たときは昔と変わらない、どこか威圧的な態度をしていたのに。どうして今この人は、怯えきった表情をしている?


「お、お前……なにを、しにきたのだ?」


 ああそうか、用事を伝えていなかった。

 怯えるそのヒトに、礼をしに来たと告げた。顔も見せた方がいいか。被っていたフードをおろす。部屋は暗いが、開けた襖の間から月明かりが入ってくる。十分明るいだろう。にっこり笑ったのに、どうして後ずさりをするのだろうか。


「礼、だと……!?」


 そう、礼を。

 自分が広い世界へ行けたきっかけをくれたのは、この人の言動がきっかけなのだから。狭い世界から、とてつもなく広く大きな世界に行くことができた。そこで成長することができた。力も身に付けることが出来た。

 そのことに満足している。それでも、許せないことがあるのだ。


 前触れもなく、持っていた杖を怯えていたこの人に突き刺した。蛙がひしゃげたような悲鳴が部屋に響く。聞かせたいことがあるから、杖は急所には刺していない。


 ぐりぐり、ぐりぐり。


 許せないことは、いくつかある。

 まずは、世界保護施設と裏で繋がっていたこと。この人は、自分が統治しているいくつかの村の敷地を、勝手に明け渡した。実験施設を作るための土地を提供したのだ。見返りは膨大な金額の金。

 その金をまずは、村の住民へ還元する。それでも残る分は、自分の懐へ入れた。それを昔から、何回も何回も繰り返した。自分が今この人にしているように、ぐるぐるぐるぐる。そうやって確実に私腹を肥やしていた。昔一度その行いが発覚して、ガッセ村から追放されたというのに。金目欲しさに、それを今でも繰り返して。


 次に、連れてきた子供だけでは飽き足らず、村の子供すら実験動物として世界保護施設に提供していること。村人たちを金の亡者とするために、世界保護施設と共同で洗脳を行って、言葉巧みに誘導して。

 すっかり従順になった村人たちは、喜んで自分たちが育てていたはずの子供を、世界保護施設に買い取らせていた。莫大な金を手にして目が眩んだ村人たちは、こぞって子作りに励んだ。そして産み落とした命を、自分たちに還元されるようにと売り飛ばした。意志が弱い村人たちを操り人形にするのは、楽しかったでしょうか。


 これらは全て、のちに調べて把握できたことだった。それを知った時は怒りで全身が震えた。ブルメンガルテンで事故に巻き込まれかけたにもかかわらず、この人はそれでも己の欲を優先させていたのだ。

 杖を一度引き抜き、今度はこの人の利き腕に突き刺す。布を引き裂くような悲鳴が、耳に心地良い。


 ざくざく、ざくざく。


 ついでに、被害に遭った子供たちについて語り始める。子供たちの心はボロボロになっていったのだと。こんな風に、ざくざく、ざくざくと。


「や、やめてくれ……あの頃のこと、は……詫びるから……!」


 最後に、何度もやめてと言っていたのに無視を決めていたこと。

 そう告げて、杖を引き抜く。この人がどう反応するか、見たかった。謝るか、泣いて許しを乞うか。


 ……しかし期待はずれなことにこの人は詫びるより、自分の命が惜しいそうだ。ずるずると、ゾンビのように床を這いつくばって逃げようとする。


「ぃやだ……死に、たくは……ない……おれ、ぇは……」


 やめて、そう何回も言ったのに。

 いやだ、そう何回も叫んだのに。

 でも自分がここまで強くなれたのは、この人の言葉のお陰だから。


「ありがとうございました、コウガネ・ベンダバルさん」


 深夜にお邪魔して申し訳ありませんでした。



 しん、と静まり返った村。ひんやりとした空気が漂う。


 彼がそこから立ち去る姿を、ただ一人。

 悪い月だけが、見守っていた。

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