第六十一節 冷える奥底
目を覚ます。日は顔を出しているようだ。
……ここは、何処だ。
起き上がってみるも、身体全体が倦怠感に襲われる。くわえてどうやら、自分の中のマナも完全に回復したわけではない。まだ、いつもの力を出すことは不可能だ。
ふと自分が着ている服を見て、血の気が引いた。それなのに、頭が覚醒してくる。自分が寝ていたのは、アウスガールズの僻地ではよく使われている"布団"だ。それに今着ている服。これも同じように、この地では馴染みのある"着物"というもの。
普段着ている戦闘着よりも、胸元の辺りが大きくはだける衣服だ。しかし誰かの指示なのだろうか、着物の下に黒いタートルネックのスウェットを着させられてる。自分が肌を見せたくないということを、わかっている人物のせいか。
一人心当たりがあるので、周辺を見渡す。その人物が隣で眠っている。規則正しい呼吸をしている彼を起こすのは、忍びなかった。
ゆっくりと立ち上がる。まだ足元は覚束無いが、歩けるには歩けるようだ。ゆっくりと部屋から出て、目の前の縁側に腰を下ろす。
……見覚えのある景色だ。随分遠い昔のこと。確かに自分は、ここに来たことがある。アウスガールズの僻地にある田舎の村、ガッセ村だ。
片膝を立てぼんやりと景色を眺める。しかしその目に映るのは、のどかな庭とはかけ離れた映像。
暗い部屋。閉じ込められている空間。
子供の泣き声呻き声叫び声。
笑う人型。
曝け出す欲望、吐き出される絶望。
「っ……!」
立てた膝に顔をうずめ、うずくまる。
痛い痛い痛いやめて許して。
苦しい怖い寂しい悲しい。
出して放して助けて。
誰か助けて、誰か……。
……だれか……?
頭を振る。落ち着け、今はあの時とは違う。呑まれるな。
息を一つ吐いて、視線に気付いて下を見る。
そこには、何人かの見知らぬ子供がいた。興味深そうに自分を見るその目に、悪意の類は感じない。純粋に、自分に対して興味があるのだろうか。
「……え?」
状況が呑み込めず、面食らう。そんなことはいざ知らず、子供たちはそれぞれ声をかけてきた。
「空色の髪?」
「だぁれ?」
「どこから来たの?おねえ、ちゃん?」
「違うよお兄ちゃんだよ!」
「えー?そうかなぁ?」
「こんな髪の長いお兄ちゃんなんて見たことないよ?」
矢継ぎ早に投げかけられる質問に、どう返したらいいかわからない。圧倒されていると、子供たちは靴を脱いで庭から縁側に上がる。勢いそのまま自分にまとわりついてきた。予想外の出来事に、成す術もない。
「ちょ……!?」
「髪の色、お空みたいー!」
「おめめもキレー!」
「ねぇねぇ、どこから来たの?」
「おねえちゃん?おにいちゃん?」
どう対応すればよいのだろうか。混乱している中に、一人の男の声が響く。
「こーらお前たち!何をやっているんだ?」
「ナカマドー!」
「ナカマド……?」
聞き覚えのある名前に、顔を上げる。そこには自分の記憶の中よりも、幾分か年老いた顔見知りが立っている。黒い髪に、しっかりとした体つきの男。
男性──ナカマドも自分に気付いたようで、カラッとした笑顔で近付いてくる。
「おお、ヤク!よかった、ようやく目が覚めたんだな」
「ナカマド、さん……?」
「おうそうさね、あのナカマドさんだぞ。うん、お前さん一端のイイ男に成長したじゃねぇの。いいことだ」
大きな手で豪快に頭を撫でられる。昔と変わらない手つきに、起きかけの体がついていかない。左右に揺られ、体勢を整えることができない。この歳になって頭を撫でられるのは、存外恥ずかしいものである。
満足そうに笑う彼だが、自分の周りにいた子供たちに話しかけた。
「お前たち?今日はタケノコ狩りに行くんじゃなかったのかー?」
「そうだったー!」
「タケノコとるー!!」
「なら、準備して行くぞ?タケノコは朝早いときに採るのが、美味しさの秘密だ」
彼の言葉で子供たちが、まるで蜘蛛の子を散らすように自分から離れていく。
放り投げていた靴を履いて、元気が有り余っているのか庭から玄関へと駆け出す。
「ねぇねぇー!あとでお話ししようねー!」
「約束だよ、おねえ……じゃなかった。おにいちゃーん!」
「あとでねー!」
「約束だからねー!」
「絶対だよー!」
まるで台風が通り過ぎたようだった。はははと笑うナカマドから、子供たちの行動についての謝罪を受ける。
「すまなかったな。あの子らも、悪気はないんだ。許してやってくれ」
「は、はい……」
「では俺もこれで。あの子らの引率をせねばならんからな」
そう告げて子供たちの後を追うナカマド。本当に突風が吹いたようで、圧倒されるだけだった。ようやく落ち着けて息を吐く。廊下の奥側から、楽しそうに笑う人物が近付いてきた。やはり記憶で覚えているより年老いた、顔見知りの人物。
「お前があんなに子供に懐かれるとは。いやはや、良いものが見れた」
「ヤナギさん……」
「久しいな、ヤクよ。無事に目が覚めて、なにより」
記憶と変わらず、聡明さを孕んだ双眸で、穏やかな視線を投げかけてくれるヤナギ。まだ存命していたことに、安心感を感じた。
自分の隣に腰を掛け、空を見上げる。
「昔から何かあると、お前はここでそうやって片膝を立てて、よく物思いに耽っていたものよな」
「……その、あの子供たちは……?」
問いかけに、ヤナギはしばらく逡巡する。やや間を置いてから、静かに諭すように答えを告げられる。
「……お前と、同じ運命を歩みそうになった子供たちよ」
その答えに全身の血が引く。胸が締め付けられた。その答えがどういう意味か、理解した。理解、してしまった。
俯いて唇を噛み締める。苦い記憶が蘇る。
「そんな……」
「あのように笑うようになったのも、ここ最近のことよ……」
「何故、ですか……。何故……!」
「……未だに、彼奴等による支配が続いているのだ」
「奴らの施設は、あれだけではなかったのですか……!」
「ヤク」
震える肩に優しく手を置かれ、縋るようにヤナギを見る。混乱する気持ちが、彼の低い静かな声で収まっていく。子供をあやすような慈愛に溢れる目が、落ち着かせてくれる。
「病は気からと言う。そう一人で思い詰めてはならん。それに……お前を責められる人間など、誰もおらん。安心されよ」
「……っ……はい……」
「目が覚めたのなら、お前の朝食も用意させよう。薬膳で良いか?」
「ありがとう、ございます……」
俯く自分に、ヤナギはもう一度肩を優しく叩く。そのまま立ち上がり、廊下の奥へと消える。
静寂が戻る空間。透明な空気が包むが、心の中では膿がじくじくと広がる。
先程の子供たちが、自分と同じ運命を辿ろうとしていた。その事実が、過去の痛みを思い出させる。ヤナギはああ言ってくれたが、やはり自分のしたことは──。
「師匠?」
聞き覚えのある声。いつの間に、そばにいたのだろうか。
「レイ……」
「よかった……ようやく目が覚めたんだね」
甚平に身を包んだレイが、ヤナギと入れ替わるように隣に座る。いつもの服は所々がほつれていたから、直してもらっているとのこと。
「師匠、ずっと目を覚まさないから……。心配したんだからな」
「そうか……心配をかけてすまなかった」
そう言って頭を撫でれば、こくりと頷かれる。
尋ねれば、自分はここに運ばれて今日まで、ずっと眠っていたのだという。実に五日間も眠っていたらしく、言葉以上に心配をかけてしまっていたようだ。
あの戦闘のことを思い返す。あれは、敗北に他ならなかった。焦りもあったのかもしれない。それが戦場では大きな命取りになると、わかっていたにもかかわらず。さらにこの、自分よりも若い弟子に心配をかけてしまう始末。これでは師匠失格だ。
「そういえば師匠、なんでその着物?の下にスウェットなんて着てるんだ?スグリは何にも着てなかったけど……」
「ああ、これか……」
その理由を、お前は知らなくてもいい。どうか知らないままでいてほしい。戦闘で受けた傷跡ならばまだいい。そうでないものの傷痕ばかりある身体は、見られたくない。
「……ヤナギさんは、知っているな?」
「うん、お世話になってる」
「私も以前、あの方に世話になってな。その時に私が冷え性だということを、覚えていてくださったのだろう」
「ふぅん……そっか」
どこか腑に落ちない様子だったが、それでも納得はしてくれたのだろう。納得してくれたのならば、これ以上言うことは何もない。
できることならば、もう何も、訊かないでほしい。
そう心の中で呟いた。
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