第三話
第五十一節 渦巻く陰謀
アウスガールズ国某所。
コツコツと靴音が響き渡る。廊下を歩く一人の人物。その人物はフードを被り、身の丈ほどある黒いコートを羽織っていた。しばらく進み、ある一室の前で止まる。なんの躊躇いもなく中に入ると、そこには先客がいた。
「遅かったなシャサール」
真ん中が開いている、特徴的な円卓を囲うように座っていた二人の人物。そのうちの一人が、今しがた部屋の中に入ってきた人物に声をかけた。シャサールと呼ばれた黒い人物は、フードを下ろして笑う。
「あらごめんなさい。アタシ、そんなに遅刻したかしら?」
コートを脱ぎながら、シャサールは自分の席に向かう。コートを背もたれにかけて着席すると、懐から葉巻を取り出し吸い始めた。彼女の質問に答えたのは、円卓の上座に座している人物だった。
「いえ、ちょうどこれから始めようと思っていたので大丈夫ですよ」
「そう?なら良かったわ、ヴァダース」
上座に座していたのは、カーサの最高幹部の一人であるヴァダース。最初に彼女に声をかけた人物は、カサドルだ。そう、この部屋に集まっているのは、カーサの一員である。
シャサールもまた、カサドルと同じくカーサ四天王の一人。紅一点の彼女は実力も申し分なく、何より鋭い判断力を持つ。冷静に広い視点を見渡すこともできる。四天王の中でも重要な人物であることは、間違いない。
シャサールは部屋の中を一瞥して、ヴァダースに尋ねた。
「リエレンは?」
「彼なら今、別任務でヘルヘームの方へ向かわせています。まぁ彼のことです、すぐ帰ってくることでしょう」
その説明で彼がいないことに、合点がいった。納得して二本目の葉巻を取り出す。煙が部屋に舞う。
彼女が葉巻を吸っていることに、ヴァダースとカサドルは別に構う様子は見受けられない。ヴァダースがさて、と話を切り出した。不定期に行われるこの会議は、カーサにとって重要な情報を掴んだ時に開かれる。今回も例に漏れず、その手の話題だ。
「今年の世界巡礼の指揮官、中々のやり手です。先日のマシーネの古城でもアジトは壊滅。その後、付近一帯の小アジトも全滅させられました」
「全滅って、ここ最近そればかりじゃない。カサドル、アンタ一度戦ったんでしょ?奴ら、そんなに強いの?」
疑惑の目をカサドルに向ける。その疑惑に、カサドルはただ淡々と答えた。
「あの二人を甘く見ない方がいい。さすが世界一の大国ミズガルーズ国家防衛軍、と言ったところだ。あの魔術師と剣士は、出会い方が違っていればこちらに引き入れても申し分ないと言える」
「私のエッジも、本気ではなかったとはいえ正確に弾かれましたからね。見誤ってはいけません」
「ふぅん……。そんなに強いのなら、一度
シガーカッターで、葉巻の先端を切り落とす。なんとも楽しめそうな話題だ。そこに、ヴァダースがさらに燃料を投下した。
「そのミズガルーズ国家防衛軍が二人の子供を保護したことは、以前伝えていましたね?」
「ええ。あのバルドルの坊やと、半人前の魔術師の坊やのことね」
「その半人前の魔術師が、女神の
そう言いながら、ヴァダースが円卓のスイッチを操作する。やがて部屋の奥にあるモニターに映し出された映像。それはマシーネの古城で、四天王の一人のキゴニスが出した情報だ。被検体の血液中の「血中マナ含有量」「血中マナ伝達量」のデータ。映し出された情報を見て、ヴァダースの言葉の意味が理解できた。
「あくまで可能性の域は出ません。しかしそれを見極めるためにも、どこよりも早く、彼を手に入れることが重要になります」
カーサには敵対する組織が大きく三つ存在する。一つは言わずもがな、ミズガルーズ国家防衛軍。二つ目が、ユグドラシル教団の教団騎士。そして最後の一つは、世界保護施設。特にカーサが注視しているのが、世界保護施設だ。
カーサは魔物を狩り、従えることで村や街を支配している。自分たちの支配下に置くように調教はしているが、実験台にすることは基本的にない。
しかし世界保護移設はそうではない。彼らは自分たちの欲望のままに、種族の実験や研究、殺処分を行っている。実験台へ洗脳を施し、それを繰り返すこともあるそうだ。自分たちの知的好奇心を満たすためだけに、魔物ですら生贄にする。
その影響で自分たちに従えさせるための、狩る魔物の数が減少する。それは引いてはカーサの弱体化にも繋がりかねない。ヴァダースが懸念していることはこれだ。
万が一、世界保護施設がレイという存在に気付いたのならば。確実に彼を実験しようと、彼を手中に収めるために行動を起こすだろう。レイが世界保護施設に捕らえられる前に、ミズガルーズ国家防衛軍から彼を奪わなければならない。
「一刻の猶予もない、ということですか」
「そうです。さらに彼が本当に女神の
「厄介ねぇ……最悪の場合、四つ巴も考えられるのね」
「ですが、吉報が一つ」
にこりと笑い、ヴァダースから新しく情報が伝えられる。
「ミズガルーズ国家防衛軍の世界巡礼、彼らは次の目的地をどうやらここアウスガールズに決めたそうですよ。そうでしょう、キゴニス?」
彼の視線の先。そこにあるのは白い浮遊する物体。ヴァダースは確かにそれを、キゴニスと呼んだ。
キゴニスが四天王である理由が、まさにこれにある。魂を別のものに移し替えることのできる技術。一度自分の魂を何分割かに分け、転移したい先に付与させる。常人では、まず数式すら組むことすら不可能である技術だ。
今の白い浮遊する物体は言うなれば、器のない剥き出しの魂。そんな状態での帰還とはつまり、あるべき身体はとうに消失してしまったということだろう。
「その姿になってからここに来るまでの貴方の視覚情報は、全て送られてきています。海上を移動するミズガルーズの軍艦を、見ましたね?」
『ああそうだよ、クソッ!あの野郎、僕の古城を爆破しやがって……!!』
「撃退も強奪もできずに、おめおめと帰還してきたわけか」
「ツメが甘いのよ。それに自分の力に陶酔して、過信しすぎた。当然の結果ね」
冷たくあしらうカサドルとシャサール。四天王の中でも、その陰湿さからキゴニスは煙たがられている存在でもあった。当の本体は表情は見えないが、まだ感情が残っている。言い返したいがどれも事実な為、言葉に詰まったようだ。
『アイツ等、ケルス・クォーツをダシにしたらすぐに釣れたんだ!!そのために人体実験までして、奴の悲鳴を録音したっていうのに……』
そこまで言ったものの、キゴニスは言葉を止めた。何故ならば──。
「……キゴニス。どういうことです?」
ヴァダースの纏う雰囲気が、一気に殺し屋のそれに変わったからだ。冷たく睨む金の瞳には、毒を孕んだ殺気が渦巻いている。その雰囲気に思わず背筋が凍る。一瞬にして理解した。キゴニスが、ヴァダースの地雷を踏んだと。
「ケルス・クォーツは古城で捕虜にしたのち、すぐさま本部に輸送する手筈でしたね。何故、人体実験なんて余計なことをしているんです?」
『い、ぃ、今はもういない!奴らが来る前にすぐに渡した!』
「……キゴニス」
ヴァダースが、自身の右目の眼帯に手をかける。彼の、滅多に使われない右目。普段は眼帯で隠し、力を抑えているらしい。それを使うということは、対象の死を意味する。
もっともそれが、普通の死であるならば多少の救いはあったのだろう。しかしヴァダースの右目が与える死とは、普通のそれとは全く違うものだ。生きながら死を身に刻む死の呪い。彼が使う右目の力の、その一部。
キゴニスは震え上がり、必死に許しを乞うた。
『わ、悪かった!僕が間違っていました、許してくれ!!』
「今更遅いですね、反省が」
最後ににこりと笑い、死刑宣告を下す。
「精々悶え苦しみなさい、裏切り者」
その言葉とともに、右眼がキゴニスを捉えたようだ。途端に、部屋の中に絶叫が木霊する。白い浮遊する物体が、どろどろと溶ける。果たして本当に溶けている感覚であるかは、当のキゴニスにしかわからない。
とはいえ布を引き裂くような悲痛な叫びが、それがどのような悍ましい感覚なのかを物語る。溶けた物体は、床に落ちると蒸発して消えていく。高温の鉄板の上に垂らした水のように、一瞬で呆気なく。やがて全てが消滅すると、ヴァダースが眼帯を右目に付け直す。
「やれやれ、無駄な力は使いたくなかったのですがね」
「……アンタ、さっきカマかけたでしょ?」
シャサールがヴァダースに指摘する。
そもそも今しがた映し出された、キゴニスが出したという情報。それは果たして本当に、彼が提示したものなのか。キゴニスは確かに自己顕示欲が強い人物だった。ただし同時に、独占欲の強い人間でもあった。自分の得た情報を、そう容易く他者に開示するとは、とても思えない。
ならば何故、ヴァダースはその情報を持っていたのか。圧力と言ってしまえばそれまでだ。しかし少なくともヴァダースは、大っぴらに自分の地位を利用する人物ではない。考えられる答えは一つ。元々キゴニスは危険人物として、常日頃から監視されていたのだ。
その監視の目を、彼がアジトにしていた古城にも取り付けていたのではないだろうか。聞けば古城内部はモニターなどの、機械類が多かったらしい。監視の目が一つ増えたところで、気付くはずもないだろう。その監視の中で、レイについての情報が出たとき、それを引き抜いた。
加えて先程のヴァダースの発言。魂の状態になる前の行動は見ていないと告げられたキゴニスは、自分がしていたことは監視されていないと勘違いして、油断するだろう。油断すればスキが生まれるのは道理。その結果口を滑らせ、あのような結末に至った。そう述べれば、ヴァダースがわざとらしく肩をすくめる。
「さて、なんのことでしょう?」
「本当に食えない人間ねぇ……」
「まぁ彼は元々世界保護施設の人間。いつかは処分しなければならないとは思っていましたよ。あの姿での帰還が幸いでした。生身のままだったら、分割したという魂を取り逃がすところでしたからね」
ヴァダースという人間の恐ろしさを、改めて痛感した。
そんなことはいざ知らずといった様子で、ヴァダースが話題を切り替えた。
「シャサール、先程言っていましたね。彼らと一度
「え?ええ、言ったけど」
何をするつもりかと尋ねる。悪戯を思いついた子供のように、酷く純粋な笑顔を浮かべたヴァダース。今しがた人一人を殺したとは思えないほど、素直な笑みだ。
「彼らを招待しましょう?私たちがいる、このアウスガールズのアジトに、ね」
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