第三十八節 神のいない礼拝堂

 レイがキゴニスの魔の手に落ちている頃、エイリークとヤクの戦いは佳境を迎えていた。

 礼拝堂だった場所の床は所々が砕け、支柱も見る影もない。ここまで壊れていてもエイリークを操っているルビィの姿は、まだ捕らえることが出来ずにいた。

 ヤクはエイリークの攻撃を躱しながら、注意深く辺りを見回す。ルビィの魔力を探しているのだ。彼自身はまだ一度も、ヤクの前では大きな術を展開はしていない。そんな中での唯一の手掛かりは、エイリークから繰り出される技。今の彼は、ルヴィの手の中。敵の術によって強制的に技を放っている状態だ。


 他人のマナを勝手に弄るということは、少なからず己のマナで対象の人物に干渉しなければならない。干渉するということは、痕跡が残るということ。つまりエイリークが技を放てば、多かれ少なかれルビィのマナも感知できる。

 ヤクはそれを辿り、ルビィの居場所を突き止めようとしていた。四方に避けていることで、エイリークもヤクを追うように技を放っている。お陰でマナの散布は十分だ。ルビィがどの場所からエイリークを操っているのか、ようやく把握できるところであった。

 エイリークからの攻撃をまた躱す。体勢を立て直すため、空中で宙返りをする。すると、コツン、と何か固い物体を靴裏に感じた。一瞬の違和感の後、牽制のための一撃をエイリークに向かって放つ。背後を一瞥しても、そこにあるのは何もない空間だけ。何か、ある。そう直感した。

 ふと目の前で、何かが動いたような気がした。動く、というよりは揺らめく、と表現した方が正確かもしれない。例えるなら、糸くずが宙で舞っているさま。一瞬だが感じたその揺らめきは、再びエイリークからの攻撃を躱したことで、より確実なものに変化する。それがヤクの中で、ある仮説の決定打となった。


(魔力散布は十分……。ようやく見つけたぞ、三下が)


 マナを集束させる。圧縮したそれを拡散させるように、己の杖の先で床を叩く。


"永久凍土の抱擁"コキュートス!!」


 氷のマナを杖を通じて、四方に拡散させる。この術は氷や氷のマナを触媒として、その体積を膨張させる技。マナの散布具合にもよるが、広範囲であればあるほど、術の効果は強まる。さらに膨らんだそれらは、足場や棺になり、あらゆる壁を突き崩す巨大な槍にも変化する。

 背後でが割れる音が聞こえた。その瞬間を逃すことなく、ヤクは続けて術を放つ。


"抱擁せよ氷の華"ライフウムアルムング!」


 ピキピキと、あるものが瞬時に凍結されていく。次に目の前で宙に漂っていた、凍らされたを掴む。そして思いきり、自分の方へ引き寄せるように引っ張った。まるで魚の一本釣りのようだが、引き寄せられたものは魚ではなく、今まで姿を見せなかったルビィであった。

 彼は無理矢理に引っ張られ、片手を突き出しているような状態だ。加えて彼の手は凍結されている。氷の糸が彼の手に絡まっているらしい。ルビィの表情には、初めて焦りが見えていた。


「てめぇ……!?」

「絶対零度。あらゆる原子が活動を停止する状態……それはマナとて同じこと。痕跡さえ辿れるなら、凍結させられんものはない」


 そう、己が放った"抱擁せよ氷の華"ライフウムアルムングとは凍結させる術の一つ。絶対零度にほぼ近い超低温のマナを対象の物質に纏わせることで、その活動を停止させる術だ。広範囲で発動することは出来ないが、対象が確定している場合に対しては最も有効的な手段である。

 先程見えた糸くずのような物体。それから感知できたのは、エイリークを通じて感じていたルビィのマナだった。一般常識として空気を切れないことと同じように、マナの流れを断ち切る事は、基本的には出来ない。マナとは、魔力の源であると同時に、空間と空間を結びつけるようなもの。いくら物理的な壁で己と敵を遮断してもバリアが張られていようとも、それを完全に分断するという事は難しいのだ。


「けど、俺の糸を凍らせたらアンタのお仲間も……」


 此の期に及んでまだエイリークを操ろうとするルビィだが、それは無駄なことだ。氷の糸を掴んでいる己の手を見せる。掴まれた糸の先は、完全に切断されていた。

 確かにマナを切ることは極めて難しい。しかしそれが固体として空間に存在している場合は、話は別だ。気体の状態のマナではなく、物質を持ったマナであるのならば、切断は可能である。


 今度こそルビィの顔色が蒼白に変化する。自分が不利な状況だと、彼はようやく悟ったのだろう。だが悟ったところで、全て遅い。

 "抱擁せよ氷の華"ライフウムアルムングを発動させた時、まだ"永久凍土の抱擁"コキュートスは発動状態を維持したままだった。だからこそ、現状の崩壊に乗じてエイリークを捕らえている術を解除させられると、確信していたのだ。凍らせたマナの糸は、膨張していた氷の槍によっていとも簡単に崩壊していた。

 相手の混乱を誘い、勝利へ次の手を用意する。事は全て順調に進んでいる。目の前のルビィが他の術を発動させないところを見ると、どうやら相手を操る術には相当量のマナがいるらしい。大部分をそこに割いたために、もうマナが枯渇しているようだと踏む。


「慢心は己への油断を生み、そして敵に隙を与えることになる。最後に学んでおくことだな」


 氷の足場を利用してルビィの死角に入り込むエイリーク。今までの雪辱を晴らすと言わんばかりに、解放された獅子の牙がルビィに対して襲いかかった。


"其は風神の逆鱗"テルビューランス!!」


 風のマナを纏った大剣を、ルビィ目掛けて勢い良く振り下ろす。凪いだ風はマナの変化で刃の如く、荒れ狂う渦となって彼を襲った。そこに自身の術で生み出されていた氷塊も加わる。さながらブリザードのようだ。ルビィの周りを巻き込んで、今までの恨みを晴らさんと吹き荒れる。それが収まった時に目の前にいたルビィは、無残な姿と成り果てていた。

 先程ヤクの背後で壊れたものとは、巨大な鏡だ。まるでルビィを守る壁のように覆っていたそれが、音を立てて壊れていく。ガラスの破片が時々、ルビィに突き刺さった。この程度で、彼がマシーネの住民たちにしたことが許されるわけがない。しかし今のヤクたちには、時間が惜しかった。一刻も早くマシーネを救うための時間が。


「あの、ヤクさん……」

「なんだ?」


 ルビィの敗北を確認できたエイリークから、声をかけられる。その表情にはまだ、幾ばくかの悔恨が見えた。


「俺……すみませんでした。分かっているんです、俺の心が弱いから簡単に敵につけ込まれて、利用されて……」

「それ以上は言うな。過ぎたことをいつまでも悔やんでいても、何も変わらん。それに、ヒトはそう簡単に変われるものではない。……誰でもな」


 簡単に変われたら、どれだけ楽なことか。それが難しいからこそ、ヒトはゆっくりと成長するしかない。そう伝えれば、エイリークは最後にもう一度だけ非礼を詫びる。次に顔を上げた時の彼の表情には、もう苦悶の色はなかった。

 最後にとどめをエイリークに任せたことも、狙いのうちだった。今までやられ放題だったルビィに、己の手で一矢報いさせる。それでようやく、彼は自信を取り戻せるはずだと。仲間が連れ去られ、いたぶられていた事に歯噛みしているだけの自分と、決別できると。

 思惑通り、強烈な一撃を放った彼にはもう、迷いはなくなっていた。そのことに一安心して、壊れた鏡の奥の景色を見やる。


 ******


「"抜刀 鎌鼬"!」


 そこでは丁度、スグリが自身の愛刀で何かを切り伏せていた。ガシャン、とそれが音を立てて崩れる。壊れた鏡で、この空間は仕切られていたらしい。どうであれ、合流できたことは僥倖だ。

 スグリは納刀すると、自分達に気付いたようだ。他に敵がいないことを確認すると、声をかけてきた。


「そっちも終わったのか」

「お前たちもそうなのだな?」


 目の前にいた彼らが本物であることを確信し、エイリークと共に近付く。スグリたちが戦っていたであろう空間には、倒された魔物や破壊された機械人形オートマチックが転がっている。そして今しがた目の前の彼が切り伏せたそれは、自分たちが倒したルビィの皮を被せたような機械人形オートマチックだった。


「こいつは本物じゃない、機械人形オートマチックで作られたダミーだ。本物が何処に潜んでいるかわからんが……」

「それは安心していい。今しがた、こちらで倒したことを確認済みだ」


 スグリにそう伝えたところで、ふと違和感を覚える。何か、静かだ。違和感の正体を代弁するように、エイリークが呟くように尋ねる。


「あの、レイは何処に……?」


 そうだ。ここにいるはずのレイの姿が見当たらない。少なくともエイリークの姿を確認したら、一言声をかけながら駆け寄って来そうな気がするが。

 エイリークの問いに答えたのは、屈辱の表情を浮かべていたソワンだ。


「ごめん……。レイは、ボクのこと庇って何処かに連れ去られて……!」


 苦し気に告げた彼の握りこぶしは、震えている。レイとソワンのことをよく知る立場の人間としては、彼の感じる悔しさを理解できないわけでもない。ただし今の時間のない中で、彼のために使える時間はなかった。気持ちを切り替えろと声をかけようとしたが、その前にエイリークがソワンに向く。


「ソワンさん、じゃあこの戦いでレイを取り戻したあとで、俺と一緒に反省会開きませんか?」

「反省会……?」

「俺も、さっきの戦いでちょっとあったから。でも今はまだ、戦いは終わってない。とりあえずこの古城でやること全部やったら、お茶でも飲みながらお互い反省しましょう」


 それが成長にも繋がると思う。

 エイリークの提案に、最初は面食らっていた様子のソワンだったが、ややあってから満面の笑みを浮かべた。


「デートのお誘いなんて、エイリークったら意外とダイタンなんだねぇ?」

「へぁ!?ち、違いますよ!レイも誘って3人でって意味でその!!」

「わかってるって!冗談通じないんだから全くもう。でも……ありがと」


 笑うソワンは、いつもの調子を取り戻したようだ。そのことに密かに安堵する。

 大きな鏡に隠されていたのは、ルビィやこの空間だけじゃなかったようだ。風が横から吹いてくる。目を向ければそこには、上へ続く階段が見えた。


「行こう」


 スグリの言葉に全員が頷き、階段を駆け上がっていく。走りながら、レイが連れ去られたであろう場所と、連れ去ったと思われる人物を推測する。

 ルビィを倒した今、この古城内で自らの意志で動ける人物は一人しかいない。彼が自分たちに初めて対峙した時に口にしていた、キゴニスという名前。ルビィの様子からして、彼の上司に当たる人物だということは予測できる。ルビィの上司ということを考えると、その人物は恐らく彼以上に厄介だろう。そしてそんな人物だからこそ、レイを手に入れたらすぐには手放さないだろう、とも思う。彼らにとっても未知であるレイを攫ってすぐに何処かに送ることは、きっとしない。事実上アウスガールズ国現国王の、ケルスに人体実験をするくらいの人物だ。この先に必ずいる。

 急がなければならない。そもレイに機械人形オートマチックは刺激が強すぎる。なるべくなら、早々にここから脱出させなければならない。そんなことを考えながら、階段の先にあった扉を開く。そこで目にしたものは。


 ───椅子に固定され、胸を貫かれ項垂れているレイの姿だった。

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