第三十七節 悪意は光に手を伸ばす

「テメェは……ぶっ飛ばす!!」


 恐怖を振り切るようにマナを展開させる。杖の核に集中させて、感情のままにそれを振るった。


"荒れ狂う大気"トゥルブレンツ!!」


 フリスビーを投げるように、杖を持っていた腕を左から右へと振るう。そこから放射状に放たれた、乱気流のような風のマナ。標的であるキゴニスを四方から狙ったが、それらは彼に届く前に跳ね返った。軌道をずらされて標的を見失った攻撃は、本来の狙いから随分離れた場所に当たる。

 しかしキゴニスが何か動作をしたようには見えなかった。詠唱も聞こえていない。よく目を凝らすと、キゴニスと彼の近くにある機械類が壁一枚奥にあるように見えた。光の壁なのだろうが、その光は自然的ではない。人工的に作られた、光線のように感じられた。


「防御壁!?」

「ただの防御壁ではない。これは僕が開発した機体の一つ。テクノロジーの防御壁だ!」


 声高らかにキゴニスは言うが、今とんでもないことを言わなかっただろうか。間違っても彼は人間の脳の構造を利用した、とは言わなかった。聞き間違えたと考えたかった。それを認めたらいけないような気がしたから。


「お前は"タキサイキア現象"という言葉を知っているかい?」


 聞きたくもない説明が、キゴニスの口から発せられる。


 タキサイキア現象とはつまり、危機に陥った時、まるで時間がゆっくりと動いているように感じる現象のことだという。俗に言う「スローモーション体験」だ。何千枚も描かれた似たような絵画が、瞬間的にめくれて映像のように見える光景を想像するといいと告げられる。捲られた絵画が、捲られる度に一瞬停止する状態を脳が記憶する。タキサイキア現象を言い表すと、このような状態のことらしい。

 例えとして、馬車に轢かれそうになる時を挙げてみよう。轢かれる、と脳が危機を感じてから衝突の瞬間までがスローモーションになる。実はこの時脳が危険を感じ取り、恐怖を覚え、そのシグナルが脳に伝わる。そこから体を守るように様々な指令を送る。しかしそれ以外の機能は著しく低下するらしい。勿論、視覚から脳へ送られる景色などの信号も遅れる。そのため、目に見える景色が遅く見えるらしいのだ。簡単にまとめると、脳が誤作動しているらしい。


 キゴニスは、そこに目をつけたと言う。常にこのタキサイキア現象を起こすように人間の脳と目に細工を施し、死にながら生き長らえている素体を作り出したと。そしてその素体に、キゴニスや彼の周りへの攻撃を、まるで自分が殺されると錯覚させる。視覚から脳へ送られる攻撃の映像によって、脳は誤作動を起こし、連鎖的にタキサイキア現象を引き起こす。そして体を守るための信号で、バリアを張るように回路を繋げた。

 人間の脳と目の周りの神経だけを取り出し半永久的に生かすことで、いくら攻撃しようとしても、脳の誤作動によって張られるバリアで防いでしまうとだと。


 非人道的な行いだが、彼に倫理は通じなかった。それを語っているキゴニスは悦に入っていて、まるで自分の行いは誰かを救っている、人類の進歩だとでも言わんばかりだ。悍ましい、なんてレベルではない。自分の頭が理解することを放棄した程だ。


「ふ、ふざけんな!その人たちを解放しろよ!!」


 あまりの気持ち悪さに、叫ぶ以外の選択肢が思い浮かばなかった。とはいえ、当のキゴニスはどこ吹く風。


「理解が得られないのは分かっていることさ。だが僕は僕の考えを曲げることは出来ない。それに……」


 彼の言葉に答えるように、機械人形オートマチックに取り囲まれる。

 生気のない目。身体の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、機械を入れられてもなお生きている生命体。そこに意思はなく、感情もなければ言葉もない。冷たい水晶玉に、自分が映っている。純粋な恐怖をまだ払拭できずにいたレイの足が、竦んだ。


「言っただろう?僕が興味があるのはお前だって」


 背後に回り込んでいた機械人形オートマチックに羽交い締めにされる。不意を突かれたせいで反応が遅れてしまった。離れようとマナを集束する。しかし元々機械人形オートマチックは、罪のない人間だ。その認識が、反撃するという意思を弱めてしまう。


「お優しいねぇ。こんな醜い姿になって、自分を襲っていた機械人形オートマチックを、それでも攻撃したくないだなんて」

「うるせぇ!この、離せ!」

「その優しさが、甘さが、そのままお前の弱さに繋がるというのになぁ!」


 どうにか逃げようともがくが、思いのほか機械人形オートマチックの拘束力は強い。されるがままの状態で、実験用の大きな椅子に座らされた。杖は羽交い絞めされている時に、別の機械人形オートマチックに取り上げられてしまっていた。

 椅子の後ろには、様々な太さのパイプが繋がっている。最後の抵抗だと、逃げ出すために立ち上がろうとして、手足が椅子に固定されていることに気付いた。思った以上に最悪な状況だ。

 目の前のキゴニスから、まるで品定めをするようにじっくりと眺められる。舐めまわすようなその視線が、ねっとりとしていて気持ちが悪い。


「ようやく捕まえた……。ユグドラシル教団に属している巫女ヴォルヴァでない、ましてやまともな魔術も扱えるかどうかの半人前の魔術師」

「っ……」

「そんなお前がカサドルの報告にあった通り、女神の巫女ヴォルヴァの力を扱えるのなら、どんな謎があるのか。……ああ、研究者としての血が騒ぐなぁ」

「違う!俺は女神の巫女ヴォルヴァなんかじゃない……!」

「お前が否定しても、報告には未確認の力とある。お前だって、本心では気になっているんじゃないのか?」


 どうして自分にこんな力があるのか、と。


 反論できずに息が詰まる。図星を突かれたとは、まさにこのこと。

 確かにそのことについては、自分が誰よりも知りたい。ノーアトゥンのユグドラシル教会での出来事、カーサのアジトに初めて乗り込んだ時に発動できた術。未だにそれについて明確な手がかりらしきものは、掴めていない。それについて不安もあるし、焦りもある。だが──。


「お前らに教えてやるものか!」


 キゴニスに吠える。そんな自分の言葉に微塵も動揺せず、嘲笑しながら近付く。


「教えてくれなくても結構。僕が今からそれを調べるのだから。少しは自分の置かれた状況というのを、理解してみたらどうだい?」


 言いながら懐から取り出したのは、注射器だ。実験台にされるものかと、マナを集束してキゴニスに放とうとした。攻撃を繰り出そうとした瞬間、椅子から放電したような、パリッという小さい音が聞こえた気がした。そして一瞬遅れて、突如身体に強い電流が流れる。

 突然の衝撃に悲鳴をあげる。集束したマナは四散し、攻撃どころではなくなってしまう。肌を焼くような痛み。しばらく電流が流され解放された頃には、肩で息をしていた。


「危ないなぁ。逃げようとするのは普通のことだが、もう少し危機感を持つべきだ!僕に攻撃しようとするのは別に構わないが、今度は今よりも強い電流が流れる。あんまりやりすぎると、死んでしまうぞ?」

「こ、の野郎……!」


 電撃を受けたことで推測できた。恐らくケルスも、この椅子に座らされて実験されていたのだろう、と。能力を引き出すため、自分と違い彼は無理矢理電流を流されていたのだから、痛みはこれ以上だろう。

 左腕にチクリ、と小さい痛みが走る。注射器の針が刺され、血が抜かれているのが視界の端に見えた。何をするつもりだと訊ねれば、見ているよう告げられる。

 キゴニスが向かった機械の前には、巨大なモニターがある。彼が機械の前で自分から抜いた血を少量、そこに設置した。数分後、モニターに何かしらの結果が映し出された。


「これは、お前の血の成分を分析した結果だよ。実に健康的で良い結果だ。だが僕が最も興味を惹かれたのは、ここさ」


 キゴニスは言いながら、写し出された結果のある2つの部分を拡大した。そこには「血中マナ含有量」「血中マナ伝達量」と、それぞれ記されている。簡潔に説明するならば、これらはそれぞれ「血液中に含むことのできるマナの量」と「体外に魔力を放出する際の血液中のマナの伝達力」を表している。

 モニターに映っていた結果に、キゴニスは着目したらしい。レイの「血中マナ含有量」は平均を大幅に上回っているが、「血中マナ伝達量」は、平均から少し下回っている。「血中マナ伝達量」に関しては、レイが半人前の魔術師であるならば致し方もないと考えられる。この「血中マナ伝達量」は、修行を重ねることで値が大きく変化していくものだ。だがそれは「血中マナ含有量」と値が同じくらいであるならば、という仮定の下での話。「血中マナ含有量」と「血中マナ伝達量」は連動するもの。どちらか片方が大きく上回っていることは、通常であるならばあり得ないという。では何故、そのあり得ない結果が出ているのか。


「この結果から見ても、お前は体内に膨大な量のマナを蓄えていると証明される。だが、どうして伝達量と連動していないのか……。お前が女神の巫女ヴォルヴァとしての力を、解放できていないからじゃないのかい?」

「そんなの、知るか!」

「だから僕がお前の深層心理を見てやろう。解放できていない理由も、きっとそこにあるだろうからなぁ!」


 そう言いながら、キゴニスは残っているレイの血を己の機械の右手に垂らす。更に自分に近付いて、胸の付近に同じく残りの血の全部を使い、陣を描く。陣が描かれていくごとに、身体の中で何かが強制的に開かれるような、そんな感覚を覚えた。

 キゴニスの指が自分の胸元から離れたとわかった直後、胸部に強烈な痛みが走る。衝撃をそのままに、レイの意識は闇に落ちた。



 ******



 次に意識を取り戻したレイの目の前にあったのは、暗闇と淡く光る泉だ。

 その泉は彼の潜在意識の中にある泉。レイが、あのエダという女性と出会った場所だ。何故またここに、と思うよりも前に暗闇に声が響く。キゴニスの声だ。


「ほう、中々興味深い。その泉はまるでミミルの泉みたいじゃないか」

「てめぇ!俺に何しやがった!?」


 叫んでから気付く。この空間で自分の意識がしっかりとあることと、以前よりはここに来るまでの前後の記憶が、繋がっていることに。

 そういえばここに来る直前、胸部に強烈な痛みを感じたはず。確認のために胸を触る。しかしそこに傷はなく、キゴニスが描いていた陣もない。不安要素ばかり増えていく。


「はは、素晴らしい!生命力に満ち溢れたマナをそこから感じる。ああ、もっとよく見せてもらおうか」


 声が響き終わると、泉の周りに黒い物体が出現する。それらから感じる、明らかな悪意。浸食するように、じっくりと湖に近付いていく。


「やめろ!その泉に手を出すな!!」


 追い払うべく先に進もうとしたものの、足が固定されているかのように動かない。何事かと足元を見て、思わず息を飲んだ。

 何かが足元を掴んでいた。ボロボロの服に、傷だらけの身体。しかしそれは決して新鮮なもの、とは言えないくらいの腐敗が進んでいる。一人だけではない。足に、腰に、まるで神に救いを求めるように、人間だったであろうそれらは、レイにしがみついていた。


 ――『イィな、明ルい光ダ』

 ――『マルデ神の使ィみダい』

 ――『助けテ、ネぇ、たずケて』


 眼球のない黒い穴、血反吐を吐いた後の異臭のする口臭。それらから聞かされる言葉に、畏怖した。


「ち、違う!俺は神の使いなんかじゃない!」

『ちが、ゥ?助ケデぐれ、なィの?』

「俺にどうしろってんだ!」

『アノ泉、キレイ。あれ、飲ム、私ダヂ、助ゲラレる』

「あ、あれは駄目だ!大切な場所だから、触っちゃいけないんだ……!」


 自分にしがみつくものが直視できず、視線を逸らす。しばし沈黙が流れたが、やがて怨嗟の声が耳に届く。


『ズルイ狡ィずるい!!同ジ人間ナノに!お前明るイ!私ダヂ暗イ!』

『ォ前、悪!!私ダヂ、タズゲナイ!綺麗、独り占メ!許セない!!』

『私ダち、普通に生きテタ!何も悪イコト、しなカった!なノニ狩人、私たヂ殺シタ!!如何シて!』


 紡がれた言葉は、恨み節だった。

 しがみつかれていた力が強くなり、最早圧迫してくる勢いだ。首の近くに纏わりついていた人間に、腐って骨が見える腕で、首を絞められる。離れようともがくが、その力は強い。そんな状況は露とも知らず、黒い物体は泉に近付く。


「や……め、ろ……!」


 ぼやける視界の中、レイが最後に見たのは泉の中心に佇む女性だった。

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