第二話
第二十八節 敗退のあと
ガラッと大きな瓦礫が崩れたあと、静寂が辺りを包んだ。建物があったはずだった場所は、無残にも崩れてしまって影も形もない。まるで時が止まったかのような感覚。それを自覚出来た頃、自分たちの周りを包んでいた光がふわりと消えた。
自分たちは、助かったのだろうか。
「怪我はないな」
上から降ってきた声に顔を向ければ、感情を削ぎ落としたような表情の自分の師匠がいて。一目で、彼が怒っていることがわかった。ヤクの隣にいるスグリの表情も険しいものだ。自分の隣にいたエイリークも、苦虫を噛み潰したような顔をしている。特に彼に至っては怪我もしている。魔術や救急セットで簡易的な治療はしたが、それでもしっかりとした治療を受けた方がいいと判断できる具合の怪我だ。
「……艦体に戻るぞ。色々言わねばならんことや聞きたいことがあるが、まずは手当てを受けるのが先だ」
「でも師匠!師匠やスグリの部下の人達が、まだ何処にも……」
「それはお前が気にするべきことか?」
レイやエイリークに背中を向けたヤクから、底冷えする程落ち着き払った声で問いかけられる。相当怒らせてしまったようだ。いつもならここで引き下がるが、今回はこちらとしても、そうもいかない事情がある。
ここに来る前に遠目で見ただけだが、軍艦から降りた人物たちが見えた。その中に、以前ノーアトゥンで自分たちを護衛してくれていた隊員がいたからだ。
「確かに俺は一般人扱いかもしれないけど、でもだからって気にしないわけじゃないし、それに──」
「お前が今したいのは人助けか?それとも人殺しか?」
自分の言葉を失う。この場合の人殺しとは、怪我をしているエイリークを治療せずに、放っておくことを意味していると理解できた。確かにこの中で一番怪我をしているのはエイリークだ。つい今しがた、彼にはしっかりとした治療が必要だと理解していたというのに。
今度こそ何も言えなくなり、ごめんなさいと謝罪する。何も言わずに歩き出すヤクとスグリ。怪我をしているエイリークに肩を貸そうと屈んで、そこに転がっていた瓦礫が目に入る。
辛うじてわかる、手の形。ブーツを履いていたであろう、足の形。さらにはご丁寧に、壊れたミズガルーズ軍の襟章まで。
それらを目にして、一瞬で悟ってしまった。自分たちは、誰一人として助けられなかったのだと。烏滸がましいと重々理解している。それでも、助けられるのならば助けたかった。
(ごめんなさい……!!)
心の中で何回も謝る。艦体へ戻る足取りは、重かった。
******
軍艦は、自分たちの帰還と共に出航する。行き先はアウストリ地方の南にある、首都ヨートゥンの近くらしい。
艦体に戻ったヤクとスグリが、ソワンにエイリークの治療の指示を出したらしい。そして別れ際に、ソワンに自分たち2人と共に後程、スグリの執務室に来るよう伝えられた、とのこと。ソワンが自分たちを手引きしたことも、すっかりバレていた。
でもこれは想定内のこと。説教は甘んじて受けようと、ここに最初に降り立った時に決めていた。ただ、何名かの死亡報告と共の帰還になるとは思ってはいなかった。
エイリークは、ここに戻ってくるときも無言だった。苦悶の表情のまま、最初はそれが怪我からくる痛みに対するものだと思っていた。しかし治療を受けて完治した後も、その表情は変わらない。
アジトで出会った、あのヴァダースとかいう人物を知っているようだった。その人物と何か、関係があるのかもしれない。かくいう自分も、アジトで戦ったあのカサドルという人物について考えていた。彼が言っていたことが、今になって思い出されて頭から離れない。
そもそもどうして、見知らぬ人物が自分の夢に出てきていたのか。彼から自分のことを
とにかく今は、スグリの執務室に赴かなければ。エイリークとソワンと共に、執務室へと向かった。
執務室では、険しい表情のヤクとスグリが待っていた。自分たちが入ってきたことを確認した彼らが、重い口を開く。
「……ソワン、彼らを手引きしたのはお前だな?」
「はい」
「わかっているのか、それがどういうことか」
「存じております」
ソワンも覚悟は出来ていたのだろう、落ち込むことなくあくまで冷静に受け答えをしている。軍人としての経験からだったり、慣れからだったりするのだろうか。
軍の行動を他人に漏らすことは、当たり前だが厳禁である。そのうえで規律を犯した人物にはそれ相応の処分が下る。これは学園で習ったことだ。今回ソワンは、これに抵触した。それがどういうことか、レイとてわからないわけではない。
本来なら、ソワンはこんなことに巻き込まれる必要はなかったはずだ。それなのに自分たちのことを想い、己の立場が危うくなることも想定済みで、手伝ってくれたのだ。だとしたら、自分はなんてことをしてしまったのだろう。
「ですがヤク様、スグリ様。彼らはそれほどまでに必死だったんです。確かにボクのした行動は、許されるものではありません。ですがそれを破ってまでも、ボクはこの二人を助けたいと思った。これは昔のよしみだからではなく、一人の軍人として行動をしたいと思ったボクの勝手です。処分は甘んじて受けます」
「何言ってんだお前……!違う、お前は何にも悪くない。悪いのは俺だ!」
「黙ってレイ。ボクがこう感じたのは本当のことだから」
「そうじゃない、俺が言いたいのはそんなことじゃ──」
「二人のせいじゃない!全部、俺のせいなんです!!」
ソワンと言い合いになりかけていたが、エイリークの叫びで執務室がシン、と静まり返る。やがてゆっくりと静かに、エイリークは語り始めた。
「……俺の仲間は、ヴァダースに連れ去られたんです。それまでも、カーサとは何回か衝突はしてきました。でもある時……運悪くアイツと出会って。その時に、俺の仲間は……!!」
悔しそうに拳を握りしめ、今にも泣きだしそうな表情で語る彼。まるで懺悔をしているみたいだ。仲間がカーサに連れ去られたということは、以前聞いていた。だがもしかして、エイリークは目の前で自分の仲間を連れ去られたのだろうか。
確かに仲間だという人物の一人、ケルスはアウスガールズ国の現国王だ。元々支配下にあったアウスガールズ国内の支配力を強めるために、連れ去ったことは理解できる。だがもう一人の、グリムとかいう人物については、わからないことが多すぎる。その人物は果たして、カーサに狙われてしまうような存在なのだろうか。
「エイリーク……」
「だから軍の人達のことも、カーサのことも全部俺が、俺の関わった人達が傷付くのは全部俺のせいなんです!だから……」
「またそうやって卑屈になる!」
エイリークの卑屈になる癖が出て、それに対しソワンと共に指摘する。でも、と引き下がらないエイリークにこちらもヒートアップしそうになっていた。引っ込みがつかないと頭では分かっていたが、出てくるのは反論の言葉ばかり。
「いい加減にしないかお前達」
スグリの剣のある言葉で、ピタリと言い合いが止まる。ゆっくりとヤクやスグリの方を向けば、相変わらず固い表情でこちらを見ている。自分たちが落ち着いたと理解しただろうスグリは、話を続けた。
「……ソワン、確かにお前は軍の規律に反した。本来なら、降格ないし除隊の処分を下さなければならない。だが降格させようにも、お前はまだそれ程の階級ではない。更に言えば、情報漏洩は保護している一般市民にのみだ」
「その為指導不足ゆえに、身勝手な行動を起こさせた。と、それが私とスグリの見解だ。よって今回は、厳重注意ということで処分を進める」
それを聞いて、異例の処分だと思うと同時にソワンへの被害が最小限に留まって良かった、と感じた。ソワン自身も驚いているらしく、深々と礼をして謝礼の言葉を述べていた。次に、とヤクに注視される。その視線にまだ冷たさを感じ、思わず背筋が伸びた。
「……お前達を責めるわけではないということを前提に、言わせてもらう」
「はい……」
ヤクが語り出したのは、あのアジトでのことだ。
あの戦闘で、軍は部下を失う痛手を受けた。あの時自分達が侵入しなければ或いは、数名だけでも助けられたかもしれない。結果論に過ぎないが、同行した部下が全滅しない方法もあったかもしれない、と。それを踏まえて今、自分たちが生きていられている意味を考えるようにと釘を刺される。
「……今後もカーサのアジトを見つけ次第、戦闘は避けられん。その度に今回のような、勝手な行動をされては保護しきれん。わかっているな」
「うん。……でも──」
「それを踏まえ、今後の戦闘にはお前達にも同行してもらう」
その言葉に驚き、思わずエイリークと顔を見合わせる。今、何を言われたのだろうか。鳩が豆鉄砲を食ったような表情で、ヤクたちを見つめる。
本来なら一般市民に、軍の作戦行動に参加させるのは言語道断のはず。
「今後もお前達の勝手に振り回されては、こちらが持たん。ならばこちらの目の届くところに、お前たちを置いておくことが最適だと判断した」
「……いいの?」
「言っても聞かんだろう。その代わりに、今回のことは絶対に忘れるな」
射抜かれそうな程、鋭い視線。しっかりと頷いて、それに答えた。最後にと、ヤクとスグリはエイリークに視線を移す。
「カーサについては、世界巡礼前から軍議にも度々出ていた話題だ。遅かれ早かれ、衝突するだろうことは想像がついていた。だから気にするなとは言わんが、自分一人のせいでと抱え込むのは傲慢だ」
「それに、お前が俺達に関わったんじゃない。俺達がお前に関わったんだ。そこを履き違えていては困る」
「ヤクさん……スグリさん……」
自分を見てきたエイリークは、不安そうな目をしている。安心させるように笑って頷く。ソワンも同じように、片目を閉じてにこり、と笑う。途端に彼が、泣きそうな表情に変わった。
「ありがとう、ございます……!」
軽く肩を叩けば、くしゃりと笑いながら、ありがとうと返ってくる。
その後、今後は勝手な行動は控えるなどの説教を受けて、その場は解散となった。
******
外はすっかり夜の帳が下りていて、星々が空を包んでいる。波を掻き分ける軍艦の音が響く。打ち合わせをするでもなく、惰性で甲板に出てきたレイとエイリーク、そしてソワン。夜風が気持ちよく、頭がスッキリする。
「ソワン……その、ごめんな。俺たちのせいで……」
「気にしないで。ボクが好きでやったんだし、それにボクだって覚悟してたからね」
「ソワンさん、その……ありがとうございます。何から何まで……」
「んー。エイリークには兎に角その卑屈になる癖を、どうにかしてもらいたいなぁ」
小首を傾げて、いたずらっぽく言うソワン。エイリークが視線を逸らしながら、善処すると答えた。頬が少し赤くなっている辺り、まだソワンに慣れていないのだろうか。
ぴちゃん
談笑していたが、ふと響いた水音に振り返る。その様子に、どうしたのかと尋ねられる。
「なぁ、なんか音がしなかったか?」
「音?どんな?」
「なんていうか、水の音っていうか」
「水の音なんて、今渡航してるんだから当たり前じゃないか」
「そうじゃなくて、なんか雫が滴り落ちるような……」
ぴちゃん
ほらまた、と言うがエイリークもソワンも、不審そうに互いを見るだけだ。
自分にしか聞こえてないのだろうか。それにしても、この音。まるで──。
ぴちゃん
ぴちゃーん……
「呼んでる……俺を……」
意識を水の音に集中させる。
その瞬間から、光の中に包まれたような感覚を覚えたのであった。
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