第十一節 変化していく心境
レイとエイリークが出会った翌日。朝陽の柔らかな光に刺激され、ぼんやりと目を開けたのは、昨晩のレイの言葉に甘えて寝ていたエイリークである。
硬い地面で寝ていたために少し体が痛むが、野宿を沢山経験している自分にとっては慣れたことだ。上体を起こし、軽く伸びをすると声をかけられる。
「あ、起きた? おはよう」
レイに──誰かに声をかけられたのは久し振りだ。そう思うと同時に、今自分が一人ではないのだと安心感を覚える。それが何故だか懐かしく、嬉しかった。笑いかけてくれる彼に、自分も同じように笑顔で応える。
「うん、おはようレイ」
「ちゃんと寝れたか?」
「大丈夫大丈夫。野宿すること結構あったから、大して苦じゃないよ」
人間であるにも関わらず、バルドル族の自分の身を案じてくれるレイ。屈託のない笑顔で、種族の差別をせずに平等に接してくれる。彼の優しさが自分の心を温めていた。こんな人間に会えたのはいつ以来だろう。珍しい人間がまだこの世にいたんだと、嬉しく思う。
でも、それでも。バルドル族であることで人間に虐げられてきたことも、変わりようのない事実。これまで人間にどれだけのものを奪われたか。人間を恨んでいないと言えば、正直それは嘘だ。まだ彼らを信じ切れていない自分がいる。
その感情が、レイと一緒にいてもいいのかと判断を迷わせていた。まだ、臆病な気持ちを捨てきれずにいるのだ。
「おい? エイリーク?」
「あっ、え? な、なに?」
考え事をしていたせいか、レイの顔が間近にあったことに気付けていなかった。想像以上の距離の近さに、思わず身を引いてしまう。そんな様子を不審そうに見ながらも、レイは言葉を続ける。
「いや、簡単な朝ごはん出来たから食べようって言ったんだけど……。大丈夫か? なんか顔色悪かったけど……」
「ああ、ごめん。大丈夫、なんともないよ」
「本当か?」
自分を覗き込んでくる瞳は、嘘は許さないと訴えている。大丈夫じゃないと言えば嘘になるが、これは嘘のための嘘だ。笑かけながら本当と応えれば、レイも納得したようだ。用意してあったらしいトーストを手渡してくれた。
程よく焼かれたパンの上には、昨日の余りであろう鶏肉の燻製とオニオンスライスが乗せてある。簡単で質素であるが、腹を満たすには十分であった。それをペロリと平らげて、満足そうに一息ついてる時だった。
「なぁ、エイリークは甘いもの好き?」
突然そう質問された。甘いものは大好きだと応えれば、彼はバッグの中から何やら取り出した。見たところ、乾燥させたグラノーラバーだろうか。しかしふわりと漂うこの匂いは、焼きリンゴのそれに似ている。
あれは一体なんだろうか。レイの取り出したそれをまじまじと見れば、彼は手に持っていたその物体を渡してくれた。
「これなに? 焼きリンゴっぽい匂いするけど……」
「これは旅に出る時に持ってきた、乾燥させたアップルパイなんだ。食感は……まぁちょっと硬くなってるんだけど、味は凝縮されて美味いからさ。食べてみてよ」
成程、道理で焼きリンゴのような甘い香りを感じたわけだ。それによく匂いを嗅ぐと、ほのかにシナモンの香りも漂ってくる。
勧められるままそれを齧る。乾燥させたとあって、確かに噛むのは大変だ。アゴも疲れてくるが、不思議なことに噛めば噛むほど、生地の味や煮詰めたリンゴの甘さが口に広がる。初めての食感や味に、自然と笑顔がこぼれてしまう。
「美味しい!」
「へへっ、だろ? 俺もこの味大好きなんだ!」
「凄いね、これ自分で作ったの?」
「いや、これを作ったのは俺の魔法の先生さ」
嬉しそうに笑いながら、レイも乾燥させたアップルパイを齧る。その顔は、自分が今まで見た彼の笑顔の中でも一番の笑顔だ。それを見れば、その先生という人物が彼にとってどんな存在か、安易に予想がつく。
「先生がいるんだ?」
「んー、先生っていうよりは師匠、かな。先生は学校に沢山いたけどね」
「そうなんだ?」
簡単にレイの言葉を受け流し、アップルパイを齧る。
そうだ、深くまで詮索することはやめよう。レイに関しては興味を唆られることが沢山あるが、これ以上踏み込めば彼のことが大切と感じてしまう。優しくしてくれたからと言って、簡単に信じると痛い目を見るだろうし。そんな風にレイへの態度迷っているこんな中途半端な気持ちでは、彼に失礼だろう。
朝食を食べ終わる頃。さて、とレイは自分の荷物から地図を取り出し広げた。次の目的地を決めようとしているのだろうか。でも──。
「ねぇレイ。本当に、俺に付き合わなくても大丈夫だよ? 確かにキミは俺の事を差別しないし、対等でいてくれる──」
だけど現実は、そんなに甘くない。いくら説明しても、大抵の人間はバルドル族の事を狂った種族って蔑む。それだけでは飽き足らず、匿ってくれているレイのことも罵倒するかもしれない。
正直、今でも信じられないでいる。バルドル族の自分に対して、ここまで心を砕いてくれる人間なんて、過去数える程しかいなかったのだから。純粋に感謝している、だからその恩を仇で返したくない。
──だからこれ以上、俺にキミのことを大切だと思わせないでほしい。
そんな本心を隠し、あくまで彼の身を案じるフリをする。
レイを顔を見れず目を逸らしていたが、不意に小石が頭に当たる。
「あ痛っ!?」
「なぁエイリーク、痛いだろ? 小石が当たれば当たり前だよな。俺だって痛いよ」
「れ、レイ……?」
レイの言葉で石を投げられたとは理解できたが、突然のことに反応に困る。確かに失礼なことを言ったかもしれないが、まさか小石を投げてくるなんて。動揺をよそに、レイは話を続ける。
「バルドル族だろうが人間だろうが、小石が当たれば痛いし疑われたら嫌な気持ちにもなる。美味いものを食べれば嬉しくなるし眠たくなれば寝たくなる。……なぁ、俺とお前、種族とか一切無視してさ、そこに何か違いがある?」
「そ、れは……」
思わず口を噤む。だってその言葉は正しい。否定できる要素がない。
「違わないだろ? 同じ生き物なんだぞ? なのに種族なんかに囚われて生きたいようにできないなんて、そんなの苦しくないか?」
なんで、そんな真っ直ぐに言えるのだろう。どうして、彼の言葉にここまで惹きつけられるのだろう。
自分の生きたいようにできない、それは仕方のないことだと思っていた。自分は人間とは違うから。人間から恐れられている種族だから。自分がどうしたいかを考える前に、そんな壁を作って見ないフリをして。仕方ない、仕方ないと言い訳して生きてきた。そんな生き方を、多分、初めて恥ずかしく思ってしまった。
「俺はエイリークと旅がしたいって思ったし、いろいろ話もしたいと思った。だからこうやって一緒にいるし、話もしてる。それは俺が決めたことだし、他の誰にも邪魔されたくない」
「っ……」
「エイリークはどうなんだ? 俺の身を案じたりとかする前に、何がしたいか決まってないのか?」
「……俺は……」
何がしたいか、なんて。
そんなことずっと忘れていたのに。
人間達に蔑まれて疎まれて、自分の気持ちを押し殺すことを覚えていたのに。皮肉にも、その人間に、その選択が間違っているんじゃないかと諭されるなんて。
「……俺は。俺も、レイと一緒に旅がしたい。一緒に色んなこと話したい」
悩みながらも言葉を紡ぐ。
どんなに虐げられても、どんなに恐れられても、己の気持ちまで捨てなくてもいいのだと。自分は自分のしたいように生きてもいいんだと。
自分自身を殺さなくてもよかったんだ。そう思えて、よかった。
エイリークの言葉を聞いて、レイは嬉しそうに笑う。それが聞けてよかった、と満面の笑みを浮かべた。
「なら、いいだろ? 一緒に旅したってさ!エイリークといると楽しそうだしさ!」
「へへ……ありがとう」
「どーいたしまして」
話し合いが終わると、なんとも清々しい気分になれたような気がした。体に溜まっていた膿が出ていったような、そんな感覚だ。
レイは、さてそれじゃあ、と再び地図に目を落とす。
「なぁ、エイリークは何処に向かうつもりだったんだ?」
「そうだね……俺はプレアリーからずっと北に行って、エグランティエ川を渡った先にある港町を取り敢えず目指してるんだ。ここからだとかなり遠いから、3日は猶予を見てたんだけど……」
エグランティエ川とはアウストリ地方に流れている川の一部であり、栄養豊富な川魚が獲れることで有名だ。大都市ミズガルーズの売店でも、エグランティエ川産の鮭は脂が乗っていて人気である。
「港町かぁ……今が大体朝の8時頃だろ? となると……今日はこの草木の村エルブ村まで行ければいいかな?」
エルブ村はエグランティエ川の近くにあるそこそこ大きい村だ。村のシンボルでもある瑞々しい生花で咲き乱れる花時計は、訪ねてきた旅人を癒す観光スポットだと聞いたことがある。
そこまで辿り着ければ十分だ。その反応にレイも決まりだなと地図に印をつける。
目的地が決まったら話は早い。各々準備をして、出発することにした。
準備をしている最中、エイリークは心の中でレイと出会えたことの幸せを噛み締めていた。こんなにも明るく、こんなにも対等に、自分に接してくれる彼はまさしく光の使いかなにかだろう、とも思う。誇張してるようにも聞こえるが、自分にとってレイという少年は輝かしくて眩しくて、とても羨ましい存在だ。そんな彼と一緒に旅が出来る。思い出が作れる。これ以上の幸せは、今の自分にはない。
(だから、レイ……キミは何があっても、俺が守るよ)
そう心に誓い、自慢の大剣を担いでエイリークはレイと肩を並べて歩き出したのであった。
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