第八節 不安と旅立ち
その光景を見て、頭が冴えたのだろうか。ヤクが冷静にその術を判断した様子を見せた。そんな師に対して鼻高々に説明を始める。
「
「そうか、氷による光の乱反射を利用したのだな?」
「そうそう! あとさ、ちょっと離れた所から俺に向かって攻撃魔法打ってくれない?」
見せたいものがあると伝えても、検討もつかない様子のヤクである。まだまだ、自分の成長に驚いてもらいたい。早くとせがむと、ヤクは言う通り数メートル離れてからレイに向かって、攻撃魔法である
「"スリートイルミネーション・シューツェン"!」
そう叫ぶと今度は地面に輝く氷の塊が積み重なり、ヤクから放たれた氷の槍を防ぐ。次に氷と光の壁は乱反射を起こし、
「どう?我ながらいい考えだろ」
「成程、攻守両用出来る術か」
「そういうこと!」
術を解除して、どうだと胸を張る。それを見て、ヤクに去来した感情はなんだったのだろう。レイに歩み寄った彼から、技の評価を下される。
「よくやった、レイ。課題クリアだ」
「本当!?」
「ああ、中々に良い術だ。十分使えるだろう」
その言葉にガッツポーズを決める。歓喜に包まれたが、
「だが、氷と光の乱反射の事をお前が最初から知っていたとは、思えんがな?」
ぎくり
鋭い一言に思わず動きが止まる。その指摘はごもっとも。スグリからのアドバイスがなければ、技の完成にまでは到底至らなかっただろう。そのことを見抜いたヤクはどこまでいっても、己の師匠なのだと再確認した。
「まぁいいだろう。なんにせよ、よくこの短期間で術を組み立てたな。以前もこうであればよかったんだが……」
「う、で、でもこれからはちゃんとやるって!」
「あまり期待はしないでおこう」
「ひっでぇ!!」
そんなやり取りをするのも久々で、自分はもちろんヤクも楽しんでいるようだった。その日はこれまで蓄積していた疲労から、死んだように昼の時間を寝て過ごしたのは言うまでもない。短期間での修行で頭も体もくたくただったのだ、存分に熟睡を楽しんでしまうのも、さもありなん。
結局目が覚めたのは、夕方の6の時を過ぎたころのこと。
一階のリビングに降りると、夕食の用意はすでに終わっていた。キッチンに視線を向ければ、ヤクが調理で使ったであろう器具を洗っている。
「ようやく起きたか」
「今日、帰り早かったんだ?」
「明日の朝が早いのでな」
そっか、と呟いてイスに座る。ふとテーブルに置かれている料理を見て思う。この料理を次に食べられるのは、いつなのだろう。
ヤクの性格上、世界巡礼前だからと豪勢な食事は取らない。目の前に並べられているのは、いたっていつも通りのシンプルな料理。だがレイはその味が好きだ。実のところヤクが夜勤である時以外は、この料理が食べたくて夕飯前には帰宅するように心がけている。
それが食べられなくなるとなると、少し寂しい気もした。
「師匠の料理食べられるの、次はいつになるんだろ」
「全くお前は……。私ばかり頼らずに自分で作ったらどうだ」
「えぇー」
「文句を垂れるな。少しは自立しろと言っている」
洗い物が終わったのか、ヤクが手を拭いて向かいのイスに座る。返事もそこそこに、少し早めの夕食をとった。食べていたさなかで、ふと気が付く。今日の夕飯のメニューは蒸した鶏肉にポテトサラダ、そしてオニオンコンソメスープ。それらは自分の好物ばかり。
(まさか師匠……)
なんだかんだ言っても、ヤクにも甘い部分はある。きっとレイのためを思って、好物ばかり作ってくれたのだろう。そう考えると味も変わり、一段と美味しく感じた。にやけた顔で師を見れば、不審そうに見返してくる。
「なんだ気持ちの悪い」
「いやぁ? なんだかんだ言って師匠、俺のこと大好きなんだなぁって」
「馬鹿なことを言うな、いいからさっさと食べろ」
「へへ、へーい」
ヤクの気遣いが嬉しくて、その日の夕食は特に味わって食べた。やがて食べ終わったレイは水場に食器を置くため、立ち上がる。洗い場まで向かう途中で視界に入ったオーブンの上を見て、思わず歓喜の声を上げた。
そこに置かれていたのは、自分の大好物であるヤク手製のアップルパイ。見るも美しいホールのそれは、ケーキクーラーの上で粗熱を取っていたようだ。
「うぉお、アップルパイ! 師匠作ってくれたの!? てか食べていい!?」
「勝手にしろ」
「よっしゃあ!!」
食後のデザートまで大好物で揃えてもらえるなんて、気分は最高だ。十分粗熱が取れたアップルパイを切り分けて皿に盛り、さらに冷凍庫からレイ専用と書かれてあるバニラアイスをディッシャーで掬い盛りつければ、あっという間に完璧なデザートの完成である。
鼻歌交じりでそれを手に、再びリビングに戻る。ヤクは自分用に食後のコーヒーを用意していた。食後の甘いひと時。早速と言わんばかりに、アップルパイにフォークを入れた。
さく、という耳に心地よい音が鳴り、美しい断面が露わになる。切れ目から漂ってきたシナモンとアップルの甘い香りが、更に食欲を掻き立てる。一口食べればただ甘いだけではなく、ほんのりと酸味も効いた味わいが口いっぱいに広がった。嗚呼、これが幸せというものか。
「うんめぇー!」
「いちいち煩いぞ」
「いいじゃん別に、褒めてるんだしさ!」
「わかったから」
アップルパイを堪能し、心身共に大満足したところで、時刻は夜の8の時を過ぎていた。
「そういえば師匠、明日早いんだろ? 俺が皿洗いやるから、風呂入って休みなよ」
「ほう? お前にしては珍しいことを言うものだな」
「アップルパイ食えたし、それくらいはさ」
「全く調子のいい奴め。だが、今回は甘えさせてもらおうか」
ヤクはそう言って立ち上がると、コーヒーカップを水場に置く。そしてリビングを出ようとして、そういえばと呟いた。
「明日からのお前の修行メニューをまとめたものが、そこにある。しっかりと目を通しておくように」
そこだと指差された先を見て見れば、そこにあったのは分厚い魔術書の山。そのあまりの量に思わず引いてしまう。一年間のうちに、あれだけの量を全てこなせるだろうか。そんな不安を抱えながら大きくため息を吐き、気だるそうに返事を返す。それを聞いたヤクは苦笑しながら部屋を出て行った。
「文字通り山積みだよ、これ……」
師匠の鬼、と項垂れてから皿洗いをする。その後、風呂に入ってまたベッドに戻る。熟睡して眠気がこないはずだったが、横になると自然と眠りに身を任せることになった。
******
何度も目にした、あの夢を見る。眼前には相変わらず炎と黒炭が舞っている。その景色に慣れることはなかった。もううんざりだ。それでも、目を逸らし続けるのは違うと頭を軽く振る。直後に響いてきた音に驚愕し、発生源の方を見る。そして飛び込んできたその光景に、目を見開いた。
「師匠にスグリ!?」
レイの目の前で、傷だらけのヤクとスグリが誰かと戦っている。叫んだにも関わらず、二人はレイに全く気付いていない。むしろレイの存在を認知していないのか、見向きもしない。戦っている相手は暗くてよく見えないが、圧倒的な力で二人をねじ伏せようとしていた。
レイが知る限り、ヤクもスグリもミズガルーズ国内一の魔術師と剣士だ。その実力は国内の誰もが認めている。そんな二人が全身に傷を負い、苦戦している目の前の光景は、とても信じられないものだった。
ありえるはずないと頭を振るい、目を覚まそうと試みるもそんな気配は感じられない。再び、恐る恐る目を開く。そこには相変わらず苦戦している二人の姿があり、なんなら段々と追い詰められていた。
やがて相手の強力な魔術が、まずスグリを捉えた。剣で何とか防いでいるスグリだが、相手は嘲笑うかのように今度は一太刀を与える。勢いは数段増しているようで、とうとう彼の剣は限界を迎え粉々に砕け散る。
相手の一太刀は勢いそのまま、彼の身体を深く斬り裂いた。
「ぐ、ぁああ!」
「スグリ!!」
彼の悲鳴がレイの耳を貫く。それを掻き消したくて声の限り叫んだ。それは目の前のヤクも同じだったらしく、彼の名前を叫んだ時に一瞬だが隙が生まれてしまう。相手はそれを見逃さなかったらしく、スグリを斬り裂いた剣を投げつけて彼の左胸を貫いた。ヤクの身体から血が吹き出す。
「ぐっ……」
心臓に致命傷を受け、その場に崩れ落ちるヤク。その姿が目に焼き付いてしまい、しかし早く消したくて喉が潰れる程に叫ぶ。
「師匠ッ!!」
******
あまりの衝撃に飛び起きると、そこはいつもの自分の部屋。息が荒く、自分の鼓動がどくどくと響いているのがわかる。身体中から汗が溢れ出して止まらない。落ち着けと言い聞かせ、少しずつ息を整える。
時計は朝の4の時を刻んでいた。今日はヤクとスグリが世界巡礼に出発する当日。よりにも寄ってそんなタイミングで、こんな悪夢を見てしまった。気分はだだ下がりである。
「最悪……。なんで、こんな日に限ってこんな夢……!」
吐き捨てるように呟く。汗でぐっしょり濡れていた体が気持ち悪い。よろよろと立ち上がり、ひとまずシャワーを浴びることにした。シャワーで夢そのものも洗い流したかったのだ。だがあんな光景を一度目に焼き付けてしまうと、そう簡単には忘れられない。どうしようもない不安に襲われる。
シャワーを浴びた後も寝たくなかった。気を紛らわそうと、リビングにあった山積みの魔術書を手に取りひたすら読み漁ってみる。それでも時折夢の光景がちらつき、集中出来なかった。朝の5の時を過ぎた頃、軍に行くための準備を整えたヤクがリビングに顔を出す。
「起きていたのか」
レイがそこにいるとは思っていなかったらしく、少々驚いたような声色で話しかけられた。
「昼寝してたからあんまり寝れなくてさ、たまには早起きもいいかなぁなんて」
動揺を悟られないよう、敢えていつも通りの様子で笑ってみせる。レイの言葉に、いい心がけだとヤクは感心した。どうやら、誤魔化しは成功したようだ。
「今後もその調子でいることだな」
「まだ言うか!」
「いつものお前は三日坊主で終わるからな。これくらい念を押して当然だ」
「ひでぇ」
落胆する自分を見てヤクは笑うも、ではと続ける。
「当分の間留守にするが、頼んだぞ」
「うん、気をつけて。スグリにもよろしく言っておいて」
「ああ、伝えておこう」
いってらっしゃいとヤクを玄関先で送り出してから、レイは一人リビングでこれからのことを考える。自分が見てきた夢は、ただの夢でしかない。そう片付けたいが如何せん、気になることが多すぎる。
何故ミズガルーズが燃えていたのか。そこに立っていた男は誰なのか。いつか見た夢で聞いた女性の声は誰なのか。そしてヤクとスグリを殺した相手は誰なのか。ただの夢だと言ってしまえば終わりだが、納得しないまま片付けることをレイは嫌った。
だが解決するためにはどうしたら良いのか、それは考えても中々思いつかなかい。そんなジレンマに苛まれ、答えが出ないままウィズダムが始まって一週間の時が過ぎようとしていた。
「……やっぱり、このままここに居ても何もわからないよな」
決めた。呟くや否や立ち上がり、準備を始める。
一週間の思考の果てに、自分もヤク達と同じく世界を回ることで答えを見つけようという答えを導き出した。手がかりのての字もないが、少なくともこの家でじっとしているよりマシだ。幸い自分はウィズダム中で、時間はたっぷりある。必要最低限のものだけをまとめてバッグに入れていく。
地図はミズガルーズから出て行く時に売店で買えばいいだろう。野宿することも考えて、ナイフも入れる。お金はヤクが世界巡礼に行く前に用意してくれた大金があるから、その半分を持っていこう。
最後に、簡単な食材を入れようと冷蔵庫を開けた。一番先に目についたのは、一週間前ヤクが作ってくれたアップルパイである。あの後すぐに食べるのが勿体無くて、少しずつしか食べていなかった。幸か不幸か、量はまだ半分も残っている。これにしよう。
ただしそのまま持っていくわけにもいかず、日持ちさせるためにパイの水分を蒸発させる術をかけた。食感は元より悪くなるが、質量が減り味が凝縮される。持ち運びやすくなって、荷物にもならない。
「とりあえず、これでいいかな」
荷物をまとめ終え、玄関前まで来てから振り返って無人になる家を見た。しん、と静まり返った家。多少の虚しさを抑えて、笑った。
「いってきます」
誰にも聞かれない挨拶だが、それだけ告げて家を後にした。
これがレイの、夢の真相を確かめるための旅のはじまりである。
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