彼が見た夢

 気付いたときには、燃え盛る炎の中で佇んでいた。周囲は炎熱で囲まれているものの、火が持つ特有の熱さも息苦しさも感じない。足は動くことはなく──とはいえ何かに固定されているという感覚はない──燃えているそこをただ、じっと見ている。例えるなら傍観者だ。

 こんなにも恐ろしい光景を目の前にしているというのに、何故こんなにも他人事でいられるのか。その理由は自分でもわからない。


 ひとまず落ち着こう。焦っていては視野が狭くなる。熱さを感じないのならば、深呼吸しても大丈夫だろう。ひとまず視界を閉ざしてから深く息を吸って──その場に似つかわしくないほど新鮮な空気が入り込んだ──吐き出す。次にゆっくりと瞼を上げて前を見据えようとして、思わず息を呑んだ。

 そこは凄く見慣れている風景で、むしろ忘れられない風景。一気に思考が混乱に襲われる。何故ならそこは、自分が住んでいる場所に他ならなかったからだ。


 なんで故郷がこんな目に?

 誰がこんなことを?

 なんの目的で?


 どうしてと叫ぼうとして、声が出ないことにハッとした。喉が潰れてしまったのかといえば、そうではなく。まるで声そのものが、声帯から切り取られてしまったようだった。助けを呼ぶ声も悲痛な叫び声も、この状態ではとても上げられそうにない。

 ますます理解に苦しんだ。そもそもここは本当に己の故郷なのか。自分の故郷は、世界の中心とも呼ばれている程の大国だ。軍隊もいるし、滅多なことがない限りこんな状況になるはずがない。


 じゃあどうして? その滅多なことが起きてしまったのか?

 ありえない、そんなことあっちゃいけない。

 でもありえたら?

 もし本当にこれが現実だったら?


 自問自答のなか、他人事のように炎はただひたすら勢いを増す。それらが逃がさないと言わんばかりに、自分の四方を囲んでくる。


「これは予言です」


 突如響く女性の声。今まで聞いたことのない声だ。高潔で威厳のある、膝を地につかせる程の力を持つ、圧倒的なまでに力強く静かな声。

 炎が家々を燃やす音など掻き消してしまいそうなその声は、どうやら自分に向けられているようだ。根拠のない単なる勘だがそれを信じ、耳を傾ける。


「これは遠くない予言。このままでは人間の地も、魔物の地も、精霊の地も滅びてしまいます」


「命あるものは、逃れられません。絶対的な死の運命からは逃れられない。大地は燃え、海は干からび、天は光を失う。世界は今、少しずつ滅びに近付いているのです」


「神さえも抗えぬ星の定め。星はずっと、破壊と再生を何億年と続いている。屍の上に積み重なる新たな屍。運命はどうしようもなく、堂々巡りしているのです」


 声は止まる様子がない。いったいいつまで続くのだろう。言葉の意味が組み合わない。それでも耳に入ってくる羅列は恐ろしく、無視をしたくても叶わなかった。


「これは予言。遠くない予言。原初のヒトの子、貴方は語らねばなりません。私の代弁者として、この事実を伝えなければなりません。これも抗えない、貴方の逃げられない運命なのです」


 突然呼ばれて体が硬直した。

 代弁者って、誰が?誰の?


「この惨状は別世界の貴方の光景。これから辿る道で、いずれは貴方にも降りかかる可能性がある話なのです。貴方は貴方の運命からは、逃げられません」


 もういい加減うんざりだった。聞きたくなかった、もうこれ以上聞きたくない。


「これは遠くない未来の予げ──」

「うるさい! いい加減黙ってくれよ!」


 重ねるように叫ぶと、声は消えた。


 ふと景色が変わる。とはいえ、相変わらず周りは炎で燃えているけれど。

 人影が一つある。後ろ姿しか見えなくて、それが誰なのか全くわからない。ただ、体つきを見て男なのは間違いないだろうと、確信出来た。手には何か細長い物を持っている。針のような、そうではないような。

 その人物からは恐ろしい狂気を感じ取れた。


 この惨状の原因だろうか?


 周囲を確認すると、燃えているのは見覚えのある場所だった。そこは古郷の国の、城の内部だ。信じたくなかった。しかしそれ以外に考えられない。

 見たことのある絨毯、記憶の中にあるステンドグラス、言葉を交わしたことのある軍の人。何もかもが急にリアルで鮮明なものになり、目眩がした。

 そこでもやはり相変わらず熱も感じないうえに、鉄が錆びたような血生臭い匂いも漂ってこない。まるで自分は外部の人間で、ただの傍観者のようで、途端に居心地が悪くなる。


 別の人物が来た。その人物は元からいた人物よりも圧倒的に何かが違う。それは感覚的なもので、何が違うのかと問われたら答えられないが、これだけは思った。


 あの人物と関わってはいけない、と。

 関わったら最後、命はないだろうとさえ思えた。


 元からいた人物はあとからやってきた人物に膝をつき、こうべを垂れる。二人は主従関係にあるのだろうか。彼らの会話は聞こえないが、絶対的な何かがあるだろうということは、なんとなく感じられる。

 震える体──実際に震えていたかはわからない。恐怖から両腕を抱え、その場から目を逸らす。ふと、ある人物の亡骸が視界に入った。


 それは自分が心から慕っている人物で、かけがえのない人物の──。


「───!!」


 声が出なかった。叫んだはずだ、そのはずだ。声いっぱいに、喉が潰れるくらい叫んだはずだ。



 途端に足元が崩れた気がした。落ちて落ちて、それから、それから……?

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