【天才棋士】——藤井聡太、彗星のごとく現る

千葉七星

【天才棋士ー藤井聡太四段】新記録達成に寄せて

 平成二十九年六月二十六日——「将棋界」の歴史が変わった日。



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「将棋」というもののルールはおろか、駒すら見たり触ったりしたことのない人の方が圧倒的に多いだろう。それほど地味な存在であったのだ、将棋は——。


 しかし、去年の十月一日をもって史上最年少でプロ棋士となった藤井聡太の出現により「将棋界」の歴史が変わり始め、その存在が徐々にクローズアップされるようになる。


 とは、言っても———


 史上五人目の「中学生プロ棋士」の誕生と「史上最年少プロ棋士」の誕生——としてセンセーショナルにそのニュースが報じられたものの、この時点ではまだ将棋ファンや少しばかり将棋を知っているもの以外は耳にも記憶にも残らないニュースだったに違いない。


 そしてその次にニュースや紙面に藤井聡太の名前が踊ったのは、昨年末の藤井四段のプロとしての初公式対局である「加藤一二三」九段(ひふみんの愛称で呼ばれ、最近ではバラエティー番組にもよく出ている)との一戦での勝利である。


「加藤一二三」九段は、将棋界のレジェンドと言ってもいい存在だ。現役最年長の七十七歳。すでに力は衰えて連敗につぐ連敗であったが、「大物棋士」であることは間違いない。その元将棋名人を負かした中学生棋士の藤井聡太と言う名はここで一躍知られるようになるのだが、これもまた年が明けると、しばらく紙面やニュースにその名前が出て来ることは無かった(一部関連雑誌や特集番組以外のごく普通のニュース番組や新聞記事に、という意味である)


 今年に入って、少しずつプロとしての公式戦をこなしていく中で連勝を重ねていくのであるが、その最中に行われたネット配信番組AbemaTVが企画した【炎の七番勝負】という将棋特別番組で、遂に藤井聡太の名前はメジャーに躍り出るのだ。

 結果は、六勝一敗の完勝だった。それも現役A級トップ棋士(羽生善治三冠を含む)三名までも倒してのだ———。

 この時、羽生三冠をしてこう言わしめた。


「凄い人が現れたものだ………」———、と。


 この非公式戦ながら圧倒的な強さを見せた「七番勝負」の頃からメディアの注目が集まりだして、朝、昼のバラエティー番組でもちらほらと取り上げられ出してた。


 そして、公式戦の連勝記録が十、二十と続いていくと、連勝の回数を追うごと、日を追うごとにその「騒ぎ」は本格的になる。

 

 それまでの連勝記録は二十八である。三十年前に神谷八段が打ち立てた記録だ。「将棋界」ではきっとこの記録は破られることはないだろうと言われ続けてきた大記録だ。あの天才棋士、羽生善治三冠ですら二十二連勝止まりなのだから、どれほど凄く、どれほど達成不可能なものか、分かるだろう。


 そして迎えた六月二十一日。タイ記録の懸かった澤田真吾六段との一戦。

「関西将棋会館」前は蜂の巣をつつくような大騒ぎ。澤田真吾六段は二十連勝を達成した時の相手であるが、この時は「藤井危うし!」と言われるまで追い詰めた男である。結果は大逆転で辛くも勝ったが、それまでの対戦相手の中で一番苦戦を強いられた相手である(それまでにもいくつか苦戦や敗戦濃厚な対局はあったが、どちらかと言うと藤井自身のミスによるものだった。実力勝負で苦戦に追い込まれたと印象を持ったのは澤田慎吾六段が初めてだったと記憶する)


 さて、この難敵との一戦の結果は……、前回とは違い、横綱相撲での圧勝だった。その勝ち方を一言で表現するなら——「瞬殺」だった。

 終盤、ここぞという時に見せた爆発的な読みの深さと切れ味。澤田真吾六段をバッサリと斬って捨てた———。


 さて、この頃になるとグッズは即完売、朝な昼な夕なに、藤井聡太の名を目にしない日がないくらいの「大騒ぎ」になっていた。

 挙句、対局の日に食った昼飯のメニューまでが映像付きで報道されたりするもんだから、注文されるお店にとっては、「すわ!、今ぞッ!」とばかりに絶好のPRのチャンスだ。実際に「関西将棋会館」の一階にあるお店は「聡太メニュー」がバカ売れらしい……。


 そして迎えた新記録を賭けた一戦、増田康宏四段との対局。


 その時、歴史は動いた——平成二十九年六月二十六日。

 朝から、東京は千駄ヶ谷にある「東京将棋会館」には四十社、百名以上の報道陣が朝から詰め掛けていた。まさに「世紀の大勝負」を報じんと——。




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 将棋を知らない人に説明するのは難しいのだが、この日の対局の経過を簡単にできるだけ分かりやすく書くと、こうだ———。


 序盤、増田四段は、藤井四段の得意とする「角換り戦法」をさせまいと角道を止めて交換を拒否するという戦術(この序盤戦術は、昨今よく指されている戦術で、増田四段の受けは雁木ガンギという受けの戦法です*1)に対して藤井は果敢にこれを受けて立ち、銀を繰り出しての奇襲に出る。待ってましたとばかりに増田はこれを逆手に取り意表を突く角の配置換えで藤井の攻撃を往なし反撃に出る。

 この時の藤井は確かに困っていた。一度のミスも許されないとこまで一瞬で追い込まれたように見えた。

 ここで藤井は自陣の飛車(王の次に大事な駒。素人は王より飛車を可愛がり——って言われるほど、飛車という駒は最強で将棋指しには愛してやまない駒なのだ)を取られるのを避けられないと見て、「最善手」を探す。

 そこで繰り出された最善手「2二歩打」。これを見て増田は大長考を強いられる。しかしその後、形勢有利のまま一旦局面を落ち着かせてじんわりと藤井の息の根を止めてやろうとする増田の戦略に藤井は「鬼手」を放って大反撃が始まる——。


 ここからは、ほぼAI(コンピューターソフト)の示す手筋通りの手が繰り出され、ほんの三手で形勢を大逆転してしまったのだ。私はこの時、大きな興奮と肌にイボが立つ思いで観戦していた。

 徐々に追い込まれ、受け身に回る増田。懸命に粘る手を放つが藤井はそれを許さない……。


 最後に、増田は勝負手を放つ。素人ならあっさり逆転されるような「罠」を張る。当然、藤井はそれを見切って一手たりとも緩むことなく、最後は名刀政宗の切れ味宜しくな激辛な一手を放ち、増田の首をバッサリ討ち取った。


 終わってみれば九十一手という短い手数の将棋で、増田を退けた———。


 増田康宏五四段は、戦いの前、こう語っていた。


「今の藤井くんは勝ちすぎている。このままだと将棋界はぬるい世界だと思われてしまう。力戦に持ち込んで必ず勝ってみせます」——と。


 十九歳の増田四段は、藤井が現れる前は唯一の十代のプロ棋士であって、「東の天才」とも呼ばれた逸材だった。前回、歳下の藤井に非公式戦(炎の七番勝負)で負けているので何がなんでもリベンジしたかったのだろう。

 確かに、増田は強かった。飛車を取った展開までは事実、増田が押していたのだから———。


 こうして、歴史的な一日は終わった。


 将棋では、戦いが終わり負けを確信した時点で敗者となるものは必ず口にしなければならない言葉がある。


 ——負けました (参りました)


 勝負師にとってこの一言を吐くことの屈辱と悔しさは言葉にはならないものがある。自分の負けを認める。相手の力を認めねばならないのだ、、、辛い、辛すぎる一言だ。


 勝ったものは、驕ることもなく、頬を緩めることもなくひたすら敗者の無念を推し量り静かに佇むことを求められる「将棋道」は、「武士道」に相通ずるものがある。これこそ日本の伝統文化ではないか。


   ***—————————————————————***


 私もまた将棋を指す。アマ初段程度の腕だ。大したことはない……。

 ただ、あの藤井が繰り出す勝負手の数々の意味を少しは理解できている。よってこの世紀の一戦は固唾を飲んで見守っていた。

 実に楽しく、エキサイティングな時間だった。本当に将棋って素晴らしいな、本当に奥深くて楽しいな——って改めて思った。


 さて、次戦(平成二十九年七月二日)の相手は佐々木勇気五段。

 これまた強力な刺客だ。

 佐々木もまた中学生棋士誕生候補だったのだ。中学二年時に「三段リーグ」に進み、あと三期のうちに(三段リーグは年に二回開かれ、十八戦して上位二名がプロになれる。従って、年に生まれるプロ棋士はたったの四名なのだ)抜けていれば藤井聡太の前に中学生棋士になっていたであろう、男である。


 この佐々木勇気五段、例の二十八連勝時と、昨日の二十九連勝達成時の戦いをこっそり「東京将棋会館」まで来て堂々と偵察に来ていた。テレビにまで映っていた(座敷の隅の方に座って、まるで座敷童のように 笑)すでに次は俺の番だ、って感じか。


 三十連勝なるかッ!?———


 その記録更新も楽しみだが、佐々木五段に連勝を止める刺客にもなって欲しいとも思ったり……

 そう、こうして少しでも「将棋界」がメジャーになり、プロの棋士の待遇改善に繋がればと考えるのだ。


 現在「日本将棋連盟」に所属するプロ棋士は百六十名程度。そのトップ棋士であるA級棋士(上位十一名)の年収は驚くほど少ない。

 あの羽生善治三冠ですら、昨年の年収は一億に届かないのだ。プロになる——というだけならプロ野球選手やプロゴルファーの方が遥かに容易いのに、だ。

 断っておくけど、プロ棋士になるに比べての話である。どの世界でもプロになるような逸材はほんの一握りの人々なのだけど、その中でもプロ棋士への道は厳しい、厳しすぎるのだ。ここで書くのは割愛するが、これは自信を持って言える。


 故に、今、世の中の若いご両親は我が子を藤井聡太のような棋士に育てようと「将棋教室」に通わせようと考えているかもしれないが、情操教育には確かにいいかもしれないが、プロ棋士に育てようなんて夢々考えめさるな、我が子を殺し合いの世界に放り込みたくなければ——プロ棋士一歩前の三段リーグはまさに殺し合いの場だと、私は思うのだ。


 そんな厳しい場だからこそ、やっとなれたプロ棋士にはもっと「いい思い」をしてもらいたいと思う。

 確かに好きなことをやって飯が食えるならそれだけで幸せじゃないか、という意見もあるけど、少年少女に「夢」を与えるなら、せめてトップ棋士十人には年収三億〜五億くらいは取って欲しいものだ。


 今、巻き起こっている「藤井聡太旋風」が「将棋界」を変え、多大な経済効果をもたらし、プロ棋士の待遇改善と将棋界の裾野が広がることを、切に望む。


 颯爽と現れた藤井聡太———


 どうか、このまま順調に大きく育って、日本の「将棋界」の未来を引っ張って行って欲しい。そしてあえて言うなら、好敵手としてもう一人二人のスターも生まれて欲しいな……。


 十四歳のあどけない素顔を持つ中学生棋士に望むには酷かもしれないけど、もはや君はその宿命を担っているのだから、圧倒的な強さを身につけ「最強のラスボス」に育って欲しい————


 ああぁ、将棋をやっていてよかった。  



*1)脚注 komarimasu様よりご指摘を受け、この戦術が今の流行のものだと教えて頂き、改稿させて頂きました(六月二十九日)       



                  平成二十九年 六月二十七日

            藤井聡太四段、連勝新記録達成に寄せてー寄稿


                         千葉 七星

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