序説1 韓流時代劇にみる脇坂安治

 平均的な日本人は脇坂安治の名をほとんど知らない。多少知っている歴史マニアでもその事跡としては「賤ヶ岳の七本槍」と「関ヶ原の寝返り」の二つあげるのがせいぜいだろう。


 まれに例外がいると

「七本槍の仲間で出世頭の加藤清正も福島正則も、外様大名としてお家は断絶。明治維新まで生き残ったのは脇坂家だけ。それは『貂の皮』の御利益なのさ」

と熱く答えるかもしれない。その人はきっと歴史マニアではなく司馬遼太郎の短編歴史小説「貂の皮」の愛読者だ。困ったことに司馬の創作を歴史的事実と混同していることが多い。


 ところでお隣の韓国で、脇坂安治は知らない人がいないほど有名な戦国武将の一人である。平均的な韓国人の知っている日本の戦国武将は5人に絞られる。


その一、豊臣秀吉、朝鮮全土を戦火で踏みにじった大魔王

その二、加藤清正、大魔王の部下1、血も涙もないタカ派

その三、小西行長、大魔王の部下2、多少話がわかるハト派

その四、徳川家康、大魔王を滅ぼし、善隣友好を求め、国交を回復した善玉

その五、脇坂安治、日本一の水軍大将、朝鮮水軍李舜臣の好敵手


 本国でほとんど業績のない脇坂安治が、大物と並んでいて私たちには違和感がある。まるでタツノオトシゴが龍の仲間にまぎれこんでいるようだ。それは実は韓流時代劇大ヒットのたまものなのだ。


 『不滅の李舜臣(ふめつのイ・スンシン)』は、韓国放送公社(KBS)にて、2004年9月から、2005年9月にかけて放送された全106話の時代劇である。NHKの大河ドラマが週に2話のペースで放映されたようなもので「大河2年分」の超大作だ。ドラマの原作はキム・フン(金薫)著の「孤将」。日本でも拉致被害者の蓮池薫さんの訳で新潮社から刊行されている。


 李舜臣を演じたキム・ミョンミン(金明民1972年~)は身長180cm、体重70kg、冷静だが時に激する緩急のある演技で役のカリスマ性を十分に表現し、この作品が出世作になった。


 脇坂安治を演じたキム・ミョンス(金明洙1966年~)はほとんど全編にわたって李舜臣の好敵手として死闘を繰り返す。ドラマはCGを多用し数十隻の軍船が入り乱れる海戦シーンのスペクタクルが売りだ。彼も身長180cm、体重72kgの堂々たる体躯で鎧武者姿が船上に映えた。


 キム・ミョンスの役作りは脇坂を単に悪役として類型化せず、どこか憎めない愛嬌のある敵役として好演している。ちょうどアニメ「ポパイ」の悪役ブルートのように。

 ドラマの中で脇坂の胸中はキム・ミョンスの独白で次のように吐露される。


私がいちばん恐れる人は李舜臣であり、

最も憎い人も李舜臣であり、

最も好む人も李舜臣であり、

最も欽慕して崇めたてる人も李舜臣であり、

最も殺したい人もやはり李舜臣であり、

最も茶を一緒に飲みたいのもまさに李舜臣だ。


 これはドラマの創作に過ぎないのだが、困ったことに歴史的事実と混同している韓国人が多い。


 そこで両国の脇坂安治イメージの落差はこんな風にまとめられる。


日本人: 司馬遼太郎の「貂の皮」

韓国人: 大河ドラマの「不滅の李舜臣」


 この大河ドラマの大成功で、KBSは同工異曲の「李舜臣もの」を手を変え品を変え造るようになる。ちょうど「忠臣蔵」が俳優を変えて数限りなく造り直されるように。


 そして「松の廊下」や「吉良邸討ち入り」がどの作品でも外すことのできない忠臣蔵の「見せ場」になっているように、「閑山島海戦」はどの李舜臣ものでも外すことのできない定番になっている。なにしろこの海戦で李舜臣の水軍は脇坂の水軍を鶴翼の陣で包囲殲滅し、それが「朝鮮の役」の帰趨を決めることになるのだから。


 脇坂の艦隊は大船36隻、中船24隻、小船13隻の計73隻、大船とは安宅船のことで現代の戦艦に相当し、中船は関船のことで巡洋艦に相当し、小舟は小早船のことで駆逐艦に相当する。さらに朝鮮水軍の側には超弩級戦艦「大和」に相当する「亀甲船」も複数登場する。CGの未発達だった時代には到底こんな大規模なスペクタクルを映像化できない。


 2004年の「不滅の李舜臣」ではCGの普及という時代状況が大規模海戦の映像化を可能にし、それが大ヒットに繋がり、以後も李舜臣ものの定番の見せ場になったといえよう。いったい何人の俳優が脇坂安治を演じただろう。こうして吉良上野介を知らない日本人がいないように脇坂安治を知らない韓国人はいなくなった。「吉良邸討ち入り」シーンを見たことのない日本人がいないように「閑山道海戦」シーンを見たことのない韓国人もいなくなった。


 ある時期まで李舜臣ものの日本武将は韓国人俳優が演じ、韓国語を話していた。李舜臣と脇坂安治も通訳を交えずに普通に会話 (ののしりあい)していた。リアリズムの観点からはこれはいただけない。


 2016年同じKBSのテレビドラマで「壬辰倭乱(임진왜란)1592」が放映されたが、この作品では日本人武将は日本語を話し、明軍の武将は中国語を話し、通訳を介した交渉ごとも描写されるようになる。日本人俳優・武田裕光(다케다 히로미쓰)が脇坂安治役に抜擢され日本語で「いくさは速さじゃ」と叫び、豊臣秀吉は韓国人俳優キム・ウンスだが7年間の留学の成果のほぼ完璧な日本語で「いくさは機会じゃ」と叫ぶ。


KBS公式ページ引用「壬辰倭乱 1592(임진왜란 1592)/Imjin War 1592」

放送局:KBS1  放送時間:木・金 22:00

放送日:2016-09-03 ~ 2016-09-23

キャスト:チェ・スジョン(李舜臣)

     キム・ウンス(豊臣秀吉)

     イ・チョルミン

     チョン・ジン

     タケダ・ヒロミツ(脇坂安治)

     ソン・ジョンハク(織田信長)

     チョ・ジェワン

     ペク・ボンギ


 武田裕光(1981~)は身長180cm、体重62kg、大阪出身、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のイケメンで、キム・ミョンスの愛嬌とは違った、クールでダークな、いささか神掛かりな武将像を演じている。




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